=== 新春随筆 ===
仕 事 と 子 育 て
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鹿児島県言語聴覚士会 会員
(大勝病院リハビリテーション科 言語聴覚士) 平峯 実結
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私は言語聴覚士になって7年になります。私が勤めている病院はリハビリスタッフだけで100人近くいます。同世代のスタッフも多く,その中には2人,3人と子どもがいてフルタイムでバリバリと働いているお母さん達がたくさんいます。私が独身のころはそのようなお母さんスタッフをみても“子どもたちもいて,旦那さんもいて毎日忙しいんだろうなあ”とぐらいにしか思っていませんでした。ましてや自分が将来母親になることなんて考えたこともなく,自分のことで精一杯暮らしていた私にとっては,まだまだ自分自身が未熟であり,ひとりの生活を変えることなんて全く考えていませんでした。そんな私が,働きだして5年目のときに結婚,妊娠,出産をすることになったのです。私の職場は結婚し子育てをしている人も多く,妊娠,出産,子育てには理解がある職場だということは理解していたので,そこはあまり心配していませんでした。実際に,体調が悪いときなどは仕事を手伝っていただいたりと助けてもらうことも多かったです。そんな皆さんには本当に感謝しています。
問題だったのは,担当の患者様です。問題といっても,妊娠したことをどう伝えよう,移乗など介助量の多い方はどうしよう,訓練の途中で気分が悪くなったらどうしよう,というこちら側の心配です。私は妊娠初期につわりがありましたが,まだ安定期にも入っておらず,妊娠を理由に患者様に迷惑が掛けられないという理由もあって,妊娠後期になるまで患者様にはお伝えすることをしませんでした(噂というのは広まるものでいつの間にか妊娠しているのがばれていることも多かったのですが)。しかし,介助量の大きい患者様に関しては今まで通りというわけにもいかず,早い段階で他のスタッフに担当を代わってもらいました。患者様からしたらただでさえ慣れない入院に加え,担当スタッフがころころと変わることで不安に思った方もいたかもしれません。それなのに訓練中に「きついでしょう,座りなさい」と,私のほうが気を遣わせてしまい申し訳なく思うことも多かったです。
同僚のスタッフや患者様,そのご家族の協力を得ながら,何とか仕事をすることができました。日に日にお腹は大きくなり,なんとなく母親という実感が湧いてきたころ産休に入らせていただくことができました。
私が出産をしたのは8月の暑い時期です。いつ生まれてもいいという時期になってからは,暑いのが大の苦手の私を主人が無理矢理連れ出し,夕方の散歩に出かけるのが日課になりました。生まれたらああだのこうだの言いながら我が子と会えるのを楽しみにしていました。そんなある日,とうとう出産の日がやってきました。いつもの調子で夜中にトイレに起きた私は,軽い腹痛に気付きました。夕食で食べた大盛りのハヤシライスのせいだと思っていた私は食べ過ぎのせいなのか,陣痛なのか分かりませんでした。一応予定日も近いし,痛みの間隔でも計るかと思っていたら,等間隔で痛みがやってきます。どうやら陣痛のようでした。そのまま2時間程様子を見て入院する際の荷物確認などをして過ごしました。そのうち陣痛の間隔も短くなり,主人をたたき起こして病院に行きました。まだそのときは,痛みもひどくなく近所にジュースを買いに行くぐらい余裕でした。主人とも笑いながら「絶対,まだまだ生まれないから家に帰されるよ」なんて話していました。しかし,病院に着くなり急に陣痛がひどくなり,破水,出産とあれよあれよと進み病院到着4時間後には我が子とご対面でした。立ち会い出産だったのですが,今でも鮮明に覚えていることがあります。それは我が子が出てきたときに主人の第一声が「うわっ」でした。感動的な出産に“うわっ”とはなんだ!失礼なやつだなあと思いましたが,へその緒が繋がった真っ赤な我が子を見た正直な感想だったんだと思います。それにしても何時間も苦しむ覚悟をしていた私にとってはあっけない出産でした。
初めての子育てに戸惑いながらも何とか娘は1歳になりました。それと同時に待ち構えているのは職場復帰です。すっかり休みに慣れてしまった私は,このまま専業主婦になりたいとも思いましたがそうはいきません。仕事も一年振りということでちゃんとできるのか不安でいっぱいです。仕事でミスをしないか,家事もして育児もして,仕事までしてどれだけ忙しくなるのだろう,仕事の日に子どもが熱を出したらどうしようか,考え出したらキリがありません。主人も「きつかったら時短で働いてもいいよ」と言ってくれましたが,私の周りにはフルタイムでバリバリ働いているお母さんがたくさんいるので,どうにか働いてしまえば私にもできるだろうと言い聞かせました。そのころの娘は,まだ夜中も1回は起きて,朝は4時半に起きるという生活スタイルでした。もちろん私もそのスタイルに付き合わなければなりません。出産前は早寝早起き,一日8時間は睡眠をとっていた私には,仕事しながら4時半起きというのはなかなか大変でした。時間に追われながら子どもの着替えに食事,自分の準備と朝から寝るまで一日中大忙しです。
そんな中,家事に育児,仕事の両立が全くできていない復帰一週間ほど経ったときに,娘がRSウイルスに罹り一週間近く高熱を出してしまいました。娘にとっては初めての病気であり,苦しむ娘を見るのも辛かったです。そんな娘を見て母親である私が看病しなければという思いはあったのですが,私も仕事復帰したばかりで早速仕事を休み迷惑を掛けるのも気が引けます。職場の上司に事情を話したところ“ここは休みが取りやすいのが良いところだから,気にしないで”という返事でした。私に気を遣って言ってくれたのかもしれませんが凄く気が楽になったのを覚えています。主人と交代で仕事を休みながらも何とか娘も回復し元気になりました。その後も,娘は月1〜2回のペースで熱を出しては数日休むというのを繰り返しました。集団生活に入ると色々と病気をもらってくるとは聞いていましたが,ここまで頻回に熱を出し仕事を休むことになるとは思ってもみませんでした。毎日,心の中で“今日は保育園からの呼び出しがありませんように”と願ったものです。勤務途中で呼び出しがあったときには早退させていただくこともありました。そんなときは,予定していた患者様のリハビリをお休みさせていただくことになります。患者様も自分自身の身体のことで大変なのに「あら,大変ね,早く行ってあげなさい」「気にしないで」「私の息子も小さい頃はしょっちゅう熱を出していたのよ」等,嫌な顔一つせず温かい言葉を掛けてくださいました。私は申し訳ない気持ちでいっぱいで謝ることしかできず保育園にお迎えに行くのでした。
そんな娘も今は2歳になり,熱を出す頻度も落ち着いてきました。最近はお喋りも上手になり,第一次反抗期真っ只中です。朝は,どれだけ早く起きても自分の準備に加え娘の準備にとバタバタです。さて,急いで家を出ようというときになって「ママ〜,うんちする〜」「これ(靴)イヤ〜!」とスムーズに家を出られることなんてありません。反抗期も成長の証だとは分かっていますが付き合うのも一苦労です。
こんなことばかり書いていると,仕事と家事,育児の両立は大変だ!というふうに聞こえるかもしれませんが,私は育児をしながら仕事をしていて良かったと思います。良い意味で子どもと離れる時間が持てたことです。私の性格上,一つのことしかしていなかったらそのことで頭がいっぱいになるはずです。しかし,仕事と育児をすることで,仕事中は育児のことから頭を切り離せます。もちろん,全く子どものことを考えない訳ではありませんが,仕事をして家庭から離れるという時間が持てるのはいい気分転換になります。
私は,言語聴覚士という仕事に就けて良かったと思っています。言語聴覚士は,様々な言語障害を抱えた方のリハビリをさせていただきますが,特に私は失語症の方とお話をしているときにふっと言葉が出てきたり,上手く伝えられないながらも一生懸命話そうとしてくださり,伝えたいことが理解できたときにこの仕事をしていて良かったなあ,もっともっと患者様のことを理解できるよう頑張ろうと思います。言葉を伝えたいのに伝わらないことは,本当に辛いと思います。患者様が,ご家族やスタッフに一生懸命何かを伝えようとしているけど,結局上手く伝わらず諦めてしまうという場面をよく目にします。そんな姿を見ると悲しい気持ちになってしまいます。どうにかしたら,もう少しぐらい上手くコミュニケーションが取れる良い方法があるんじゃないかと考えます。
以前,外来リハビリに通っていた失語症の患者様がこんなことを言いました。「病気になる前は職場の人とはよく喋ったりするほうでした。今は上手く言葉が出ないのでなるべく仕事中は下を向いて静かにして黙っています」と。その方は若くで失語症になった方です。失語症の症状も軽く,私と話をする分にはほとんど支障がありません。しかし,ご本人様からすると大きな問題であり,以前のように気軽に話ができていないようです。その方は,リハビリに来ると毎回ご自分の話をたくさんしてくれます。私と共通する話も多く,リハビリの時間が押してしまうこともしょっちゅうでした。私は失語症もほとんど日常会話に支障ない程度だし,リハビリを卒業しても良いかなと考えていたところでした。しかし,その話を聞いてからは,一度自信を無くすとまた以前のように周囲の人と笑顔で話すということは大変なことで,勇気がいることなんだなと改めて思い知らされました。リハビリ中の様子だけしか見れていなかった私は,その方にとっての“言葉のリハビリ”というものの在り方を考えさせられる良いきっかけとなりました。ありきたりな言葉ですが,頭で考えるのは簡単だけど行動に移すのって大変なんだな,と思います。その方も,きっと周囲の目や,言葉が上手く出なかったときのことを考えて以前のように話せなくなってしまっているんだと思います。そんな方に,リハビリのときだけの様子を見て“もう言葉もだいぶ上手になったのでリハビリは卒業しても大丈夫でしょう”なんて言えません。リハビリ室を一歩出てからが重要で,その方自身が一人で前に進んでいけるよう手助けできなければ意味がないのだなと思いました。
こんなことを考えながら,毎日育児と仕事に終われる日々ですが,今後2人3人と子どもが生まれ,仕事もどれだけ忙しかろうが,私はどちらかをやめるという選択はしないと思います。毎日,子どもの笑顔を見れば疲れも吹き飛ぶし,子どもの笑顔で一日,いや一週間,何ならその笑顔一つで一生頑張っていけそうな気だってします。毎日育児を頑張っていけるのも,やりがいのある仕事と出会えたお陰だと思っています。
これから先,どんな方たちと出会い,娘はどんな風に成長していくのかとても楽しみです。

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