=== 新春随筆 ===
鹿 児 島 老 い の 行 方 |
(昭和8年生)
|
社会医療法人緑泉会 会長
(中央区・中洲支部 整形外科米盛中央駅クリニック) 米盛 學
|
|
日々の診療に追われることもなくなり,その傍ら諸々考えさせられることが多くなってきたが,80齢を超えた頭ではなかなか進まない。というより,ひと昔前に比べて考える内容がだんだん複雑で用心深くなってきたようだ。そんなとき平成28年1月から9月まで連載された南日本新聞の「かごしま老いの明日」という企画で「刑務所は今」という記事を読んでいたら,昭和35年時代のころがふっと思い浮かんできた。
当時,私はまだ医師になったばかりの駆け出しだった。そんなころ草牟田町出身という縁で,当時近くにあった鹿児島刑務所(現・鹿児島アリーナ)の嘱託医を刑務所長から依頼され,週に1回出掛けていた。勿論,受刑者の診察・診療をするわけだが,そのたびに「体温38度以上,脈拍67〜68」という患者にしばしば遭遇した。脈拍は正常なのに,体温が高いという奇妙な現象に首をかしげていた。みな若くて元気そうな受診者ばかりだった。なぜ熱の高い患者が多いのか不思議でならなかったが,ある日,受刑者から「病気になれば個室に移されて,労働作業もなく,食事もよくなるんですよ」という話を聞かされた。
なるほど,病人になると快適な待遇になるんだ,と。よく観察していると,何のことはない検温時に隠れて体温計を手でこすっていたのだ。時には刑務官の目を盗んで私に「病人にして」と言わんばかりに手を合わせる受刑者もいた。
いつの時代にも楽をしようという人はどこにでもいるものだ,と若い医師はひとつ賢くなった。そのころは,まだ牧歌的なところもあったが,南日本新聞の記事によると最近の刑務所は高齢化が進んで刑罰を科すというより,刑務官が介護職のような役割も求められている。いわば刑務所の「福祉施設化」が進んでいるらしい。
世の中,日々変化しているが塀の中の刑務所でさえも大きく様変わりしてきている。
●少子高齢化
勿論,塀の外でも高齢化問題は深刻化している。「老老介護」,「特老施設不足」や「介護者不足」など難問山積だ。その背景には「少子高齢化」が大きな要因になっていると思われる。「少子高齢化」は昭和50年代ごろから始まったと言われているが,刑務所の様変わりもそのころから始まったのだろうか。
「少子高齢化」の言葉が歩き始めてすでに40年以上経っているが,いまだに解決策は見つからない。いまでも日本にとってさらに大きな問題として厚く覆いかぶさっている。子供が少なくなっている反面,高齢者の割合が高くなっている背景はいろいろあるだろうが,我が国の長寿社会を築いているのは医学の進歩と我々医療界の努力も大きい。
さらに「少子化」が進み人口減少に繋がっていることだ。昔から「人は力」と言われており,人口が増えているところは活力がある。少子化といえば必ず「出生率」という言葉が出てくる。1人の女性が生涯に何人の子供を産むかという割合を数字化したもので,日本の高度成長期には出生率が「3」を超えていた。1人の女性が3人以上の子供を産んでいたことになるが,2005年には「1.26」まで落ち込んでしまった。2015年には「1.46」になったが人口が維持できる出生率「2.08」には程遠い状態だ。
出生率の減少した理由は@核家族化による少子化A働く女性が増えたことによる晩婚化B子育ての金銭的負担増C価値観の変化−などの要因が挙げられている。政府も経済成長の隘路になっている「少子化」を克服するために「希望出生率1.8の実現」を掲げて子育て支援や社会保障の基盤強化などの取り組みを始めたが,その効果はどこまで有効なのか未知数だ。
●止まらぬ人口減少
国立社会保障・人口問題研究所などによる「日本の総人口の推移と推計」(図表1)をみると,江戸幕府成立時は1227万人だったが,明治期に入ると富国強兵や産業革命などで急速に増加している。2008年にはピークの1億2808万人に達し,それ以降は減少に転じ,2030年には1億1662万人,2050年には9708万人になると推計されている。
また,厚生労働省などの資料を基にした「合計特殊出生率と出生数の推移」(図表2)などからも日本の人口が右肩下がりに減少していることが分かる。第1次ベビーブームの団塊世代が75歳以上の後期高齢者に達する2025年ごろには,前期高齢者(65歳以上)を含めると高齢者の割合は30%を超える(厚労省)。それに団塊世代の子供たちである第2次ベビーブーム世代が高齢期を迎える2040年ごろには高齢化率も39%以上になると予測されている。いわゆる「2025年問題」,「2040年問題」はすぐそこまで迫っている。
鹿児島県の流れをみると1935年(昭和10年)の国勢調査では159.1万人だったが,戦後,第1次ベビーブームや奄美群島の日本復帰などもあり1955年にはピークの204.4万人となった。だが,その後は増減を繰り返しながら2014年には166.9万人に減少した。この間8年連続で減少を続けており,2016年の推計人口も163.7万人と減少の一途をたどっている。
もっと恐ろしいことに,鹿児島県内の過疎地域の中には将来,人が住めなくなる「限界集落」になる可能性があるという町内会や自治会が95カ所に及ぶという調査(南日本新聞社)もある。「限界集落」は少子高齢化,過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活が営めなくなる集落のことで,子々孫々,脈々と続いてきた社会生活が途絶えてしまいかねない危機に直面する現状だ。
●国民・県民ファースト
われわれ医療界も少子高齢化の大波から逃れることはできない。医療技術の発達や医師数の充足,健康維持システムの高度化,高齢化率の上昇―などで医療費や介護費は増え続けているが,国民の命を守るうえで必要不可欠なものだ。だが,それを支えている若年者がこれ以上減少すれば厳しい現実が到来することが予測される。
この人口減の真っただ中で医療界はどうあるべきか。これまでも国,県,医師会など様々な取り組みを試みてきているが,状況は年々厳しくなっている。厚生労働省の発表によると「2015年度の国民健康保険・概算医療費は41.5兆円」。医療費は13年連続で増加しているという。
日本では,すべての国民が平等に受診できる世界でも稀有の「国民皆保険制度」が昭和36年(1961年)スタートしてからすでに55年間,国民の命と健康を守ってきた。この国民皆保険制度こそいまの長寿社会を実現させたと確信する。国民の命を守るには当然コストがかかるのは言うまでもないことだが,そのコストも無限ではなく,有限である。有限の医療資源をどのように生かしていくのかを考える視点として,やはりわれわれ医療者の要諦は「国民・県民の命と健康ファースト」で臨まなければならないことだ。
「少子高齢化」は塀の中の刑務所をはじめ,すべての社会構造を大きく変えてしまう力がある。この巨大な力に挑戦することは「蟷螂の斧」に似たものがあるが,それでもなおわれわれ医療人は,どんな逆風が吹いてこようと毅然たる姿勢で立ち向かわなければならない,と思っている。
 |
図表1 日本の総人口の推移と推計
|
 |
| 図表2 合計特殊出生率と出生数の推移 |

|
このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2017 |