随筆・その他
夏 休 み の 自 由 研 究 か ら
|
|
|
このリレー随筆への寄稿依頼を受けたのは8月下旬。さてどうしようか。何をテーマにすべきか頭を抱えていたある休日のことであった。
そこに,夏休みの宿題の仕上げに悪戦苦闘している娘の様子が目に入った。
「何の宿題をやっているの?」と問う。
「自由研究だよ。どうしたらいいのか,わからないんだよね」と聞こえた。
テーマがなかなか決まらないらしい娘の様子に,私のその当時の苦い思い出を重ねていた。遠い日のことながら,子ども心に緊迫感があったように思う。娘の宿題の出来具合を案じながら,その側に置いてあった一冊の本が目に入った。その表紙一面にはカラフルな挿絵が描かれてあり,「すぐできる,よくわかる自由研究」のネーミングに大勢の子らの興味を誘うような本だと直感,娘の顔色を気にしながら手を伸ばした。
まず,化学や物理,科目毎のテーマに分かれ,さらにいろいろなマニュアルが書いてある。「こんなキミは,ここから読もう!」と,ご丁寧なことに子どものタイプに合わせてテーマが絞り込めるように,フロー図まで準備されている。テーマが決定すれば,それぞれのマニュアルに沿って実践していけば完成。と,さらに制作時間,難易度,うまくゆかぬ時のヒント,レポートのまとめ方まで準備されており,至れり尽くせりのマニュアル本の様子に感心しながら見入ってしまった。
が,そこに「お父さん,もういいでしょ!返してよ!」と娘の言葉。究極のマニュアル本から手を離し,後は娘のやる気に期待。この本を通して,やがて学者の卵が育つきっかけになり得ることもあるだろうと,諸子にも期待。後日には,娘の自由研究の成果の程に,そっと触れてみたいとも思った。
では,自分の時代はどうであったか,何をテーマにして夏休みの課題に向き合い,自由研究に取り組んでいたのであろうか。苦労した覚えはあるけれども,中身を思い出すことができず,親許を訪ねることにした。今の娘と同世代の頃読んでいた漫画本,日記帳,恩師・学友らとの思い出の品が保管されていた部屋の片隅に,仕事のこともすっかり忘れて居座っていた。こころに安らぎを味わっていたところで,黄土色に色あせた一冊のスケッチブックに出会った。表紙には【夏休みの自由課題】と小学校4年生の私が書いた文字。長く会っていなかった友人に会ったようで,少々恥ずかしくもあり,嬉しさも交錯しながら,当時の自分と対面することになった。
その年の夏休みのこと,現在の東京有明の地で「宇宙科学博覧会」が開催されていた。記憶している方も少ないと思われるが,アメリカと日本の宇宙開発を主なテーマとして,のべ一千万人以上が入場した博覧会である。私も,当時横浜に住んでいた叔母一家と共に見学ができて,良い機会となった。その日に仕入れた資料を大事に持ち帰り,叔母たちに感謝しながら,自由研究を作成し仕上げることとなった。
その博覧会の一つの目玉は,スペースシャトルの模型であった。その当時は,有人宇宙飛行の実用化には至っていなかったが,この3年後にコロンビア号が初フライトを遂げていて,平成23年にはアトランティス号のラストフライトをもって,スペースシャトルは退役している。その間の時代の流れの速さに感慨深く思った。ロケット広場なるアトラクション会場では,実物の日本やアメリカ製のロケットの数々に出会うことができた。当時最新型の日本製ミュー3Hロケットは,同年に内之浦宇宙空間観測所から打ち上げに成功している。そのロケットに触れたことは,よほど嬉しかったようである。
 |
H2Bロケット こうのとり
|
その後,宇宙開発の夢が次々と現実のものとなり,今年7月23日油井亀美也宇宙飛行士がソユーズ宇宙船に乗って,国際宇宙ステーションへ入室し,様々な実験活動を行っている。また,宇宙ステーション補給機「こうのとり」は,8月19日種子島宇宙センターから打ち上げられ,今後も宇宙の定期便としての役割を担っていくと聞いている。自由研究の中に記されていたスペースコロニー計画は,かなり壮大なもので,残念ながら現状はその計画と開きがある事は否めない。しかしながら,近年の日本が果たしている宇宙開発への役割は非常に大きく,その成果は一歩一歩夢の実現へ近づいているように思える。
私の粗末な小学校当時の自由研究資料から,壮大な宇宙計画への興味を呼び起こすことになり,感慨を新たにしている。そして当時の子ども心にふれ,昔の自分と会話ができたような,不思議な感覚を味わうことにもなった。現在は,インターネットなどから潤沢な情報を収集でき,また色々なマニュアルも普及している。私の小学4年生当時の情報収集とは,隔世の感しきりである。さらに,研究の完成度は今の方が遙かに高いものと,若い人らに期待を寄せることとした。しかしながら,プロセス重視か,出来上がり重視か,いずれでも良いと思うが,娘にも将来私と同じ感覚を味わってもらいたいとも思う。
本稿を綴るきっかけとなった宿題に向かう娘の姿と,さらに当時の私の思い出を大切にしてくれていた両親に感謝しつつ,締めくくることとする。
| 次号は,今村病院分院の武田浩一郎先生のご執筆です。(編集委員会) |

|
|
このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2015 |