『我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ,ヤガテ海ニ入リ,魚ヲ肥ヤシ,又人ノ身体ヲ作ル個人ハカリノ姿 グルグルマワル』
今から66年前,北アルプスの北鎌尾根から槍ヶ岳,穂高岳への縦走を目指していた岳人松濤 明(まつなみあきら)氏は,季節はずれの豪雨と連日の猛風雪に阻まれて遭難。この遺書を残して死亡した。百戦錬磨の岳人,松濤明氏には遠く足元にも及ばない私は2014年秋,北アルプス縦走に挑戦。
松濤 明氏が冬季初登攀に挑んだ槍ヶ岳や穂高連峰を一望できるルートを選んだ。
団塊世代の北アルプス縦走記を報告する。
アルプスの女王・燕岳へ
北アルプス縦走はJR大糸線の穂高駅からバスで1時間の所にある中房温泉登山口から始まった。標高1,450メートルにある登山口から一気に急登が待ち受ける。2,763メートルの燕岳までは標高差1,313メートル,距離は約5.5キロ。ガイド本によると北アルプス3大急登のひとつと書かれている。日頃トレーニングしていた韓国岳より約1,000メートル高い頂上を目指すことになる。
登山口は槍ヶ岳登頂を目指すルートにつながる,いわゆる「表銀座コース」の始点でもある。人気コースであるため早朝から登山口は混雑していた。
整備された登山道に沿って樹林帯をゆっくり歩き始めた。背負うリュックは前年の奥穂高登頂時の教訓を生かし減量。8キロに抑えた。
樹林帯を登る登山道には1時間おきにベンチが置かれ休憩をとりながら登り続けること5時間。標高2,489メートルの合戦小屋に到着した。合戦小屋の由来は桓武天皇の時代にこの近くで坂上田村麻呂が合戦したというから歴史はかなり古い。
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燕山荘から見た燕岳遠望
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急登は合戦小屋で終わり燕岳までは稜線歩きが続いた。好天の下,紺碧の空と紅葉を眺めながらの登行は疲れを癒してくれる。しかしこの天候はいつまでも続かないと思っていた。山頂近くにある燕山荘ではかつての職場(KTS鹿児島テレビ放送)の先輩佐伯惟宏氏が到着を待っていた。早速リュックを置き燕岳を目指した。ハイマツが生い茂る稜線を歩き続けると岩稜地帯となりその頂上が燕岳だ。雲よりも上にあった燕岳のピークは狭く畳1枚ぐらいしかない。写真撮影を終えるとすぐに燕山荘へ戻った。
初日は絶好の天気だったが沖縄の南を北上している台風18号の動きが気にかかる。
北アルプスで一番人気の山小屋
北アルプスには20の山小屋がありそれぞれ特色ある運営をおこなっている。
燕山荘は収容人数が650人で比較的大きな山小屋だ。毎年夏場は順天堂大学医学部が診療所を設け登山客の健康やケガ人などの発生に備えている。
私は昨年の奥穂高岳登頂した時,徳澤ロッジ,横尾山荘,涸沢ヒュッテ,穂高岳山荘に宿泊したが,燕山荘は人気の山小屋として評判になっている。
人気のひとつは外観が洋風であるからかもしれない。
この日は宿泊客でほぼ満室のため夕食も時間帯をずらして3回に分かれて行われた。
燕山荘は大正10年に創業した歴史ある山小屋であるが,夕食後に山小屋のオーナーが披露するアルプホルンの音色と山小屋生活の様子を紹介するミニ講演会が好評だ。
山小屋の赤沼健至オーナーがこの日は北アルプスの自然や環境保護などについて直接登山客に説明した。最近はストックを使う登山客が多いため登山道の路肩が崩落している。稜線歩きではストックは使わないように呼びかけた。燕岳がアルプスの女王と言われるだけに女性の宿泊客が多く見られたが台風18号の予想進路図を見て翌日はほぼ全員が下山した。
常念小屋へ雨中縦走
午前4時に起床。山小屋では大体この時間に皆起きる。朝食は前日の夜に受け取ったおにぎり弁当を半分だけ食べ,日の出とともに出発した。台風の影響を避けるためだ。
目指すは北へ8.3キロの所にある常念小屋。日本百名山で有名な深田久弥も宿泊した山小屋だ。縦走しているのは50歳代の男女2人だけで,前を歩く姿が小さく見え隠れする。
稜線に沿ってアップダウンを繰り返していると途中から小雨が降り始めた。歩き始めて3時間。大天井岳の手前に来たところで雨が強くなり山小屋の大天荘へ避難したが登山客は誰もいない。先を登行していた2人の姿もなかった。山小屋のスタッフによると台風接近のため今朝までに全員下山したとのこと。
食堂にあったストーブでずぶ濡れになった手袋や雨具を乾かし,朝食の残りのおにぎりを食べ小雨になるのを待った。そしてお昼すぎに出発したが常念小屋までの残り2.4キロは途中,東天井岳(2,814m),横通岳(2,767m)をトラバースしながらの登行となった。常念小屋は樹林帯を過ぎたところにあった。
先行していた男女2人組と小屋の前で会った。
「台風が接近しているので下山するか,小屋に2日連泊するか?どちらかにしてほしい!」と山小屋の主人から言われ,今から下山するところだという。
私は連泊を覚悟して常念小屋に入った。「縦走してきた」と伝えると小屋のスタッフは温かく迎え入れてくれた。その直後だった。
「なぜこんな日に登ってくるのだ!」と叱責する声が聞こえた。神戸からの男性3人組が三股登山口から常念岳を目指してびしょ濡れになり登ってきたのだ。
悪天候時,山小屋は「縦走してきた登山客」と「登ってきた登山客」を区別して対応しているのだろうか?
結局,この日の宿泊客は神戸からの3人組を除くと登山客は誰もいなかった。
食堂では山小屋の主人がテレビで放送される台風の進路図を黙って見つめていた。
異なった台風進路図
日本気象協会は10月4日午後9時現在の台風18号の進路について次のように発表している。
「大型で非常に強い勢力の台風18号は中心気圧940hpa,中心付近の最大風速は毎秒45メートル,南大東島の北北東の海上を時速10キロで北上しています。〜中略〜 5日夜遅くから6日明け方にかけては九州,四国に最も接近。6日明け方から朝は近畿地方,昼過ぎには東海,北陸に接近します。進路図の中心線をたどりますと静岡から関東に上陸の可能性もあります」
私はこの予報を確認するためにスマートフォンで台風18号の進路図を検索してみると情報を発信する「日本気象協会」「ウエザーニュース社」「米軍」の進路図が全く異なっていた。日本気象協会の予報は東海から関東に進路図の中心線があるのに対して「ウエザーニュース社」は進路図の中心線が石川県など北陸を向いており,「米軍」は上陸せず太平洋沿岸に進むと進路図は示していた。
「こんなに違うのもおかしいなあ・・・」と思いながら,強く打ち付ける雨音が部屋の中まで響いていた。
気象庁とウエザーニュース社は上陸地点でも「愛知県知多半島付近」と「三重県志摩市」と異なり,気象庁はウエザーニュース社に口頭注意したという記事が後日,新聞などで報道された。気象予報業務は平成7年から自由化され,民間会社でもできるようになったが防災情報については一元化する必要があるようだ。
常念岳から蝶ケ岳へ
朝5時に起床した。山小屋での起床としては当たり前の時刻。外は薄暗いが雨,風が強いのが分かる。すぐに台風の進路図を見たが東海地区がすっぽりと予報円の中に入っていた。山小屋の主人も進路図を見ながら,時折「これじゃダメだ」とつぶやいていた。
エスケープルートとして計画していた「一ノ沢登山口」への下山も山小屋周辺から雨が流れ出したら,「一ノ沢」が「川」に変わり下山できないとのことだった。
下山も縦走も断念し山小屋でゆっくり過ごすのも良い経験と思い,山の本を読んだりスマホに入れた好きな曲を聴いていた。
お昼前になり突然,「今から常念岳を経由して蝶ケ岳へ向かいます。山小屋の主人から縦走の許可が下りました。失礼します」と神戸からの3人組が伝えにきた。
びっくりして山小屋の主人に聞くと「登山道は大丈夫です。路肩も崩落していません。風は吹くが雨は降りません」
自信に満ちた話しぶりに早速,縦走に出発した。神戸組から遅れること30分。
岩稜地帯に付けられた赤いマークの目印を見つけながら登行した。宝探しのような気分で赤い目印を探した。日本百名山でもある常念岳は岩稜地帯を登りつめたところにあった。標高2,857メートル。韓国岳より約1,100メートル高いうえにここもピークは狭い。台風は遠ざかり穂高連峰の下に虹がかかっていた。眼下に虹を見おろすのは初めてで感動して写真撮影した。時刻は午後1時を過ぎていた。日没まであと約4時間半。「多分大丈夫」と思いながらこの日の山小屋,蝶ケ岳ヒュッテを目指した。
蝶ケ岳へ向かう下りの岩稜地帯はクサリ場や梯子の難所が数か所あったが無事通過した。
台風の影響で行き交う登山客は誰もいない。先発した神戸組の姿も全く見えない。
「まもなく小屋が見えるだろう」と何回も思いながら縦走をつづけること5時間。ついに日没となった。満月の月明かりのなかハイマツが生い茂る稜線を歩き続けた。
「道を間違えたかもしれない!」「いやそうではない。道はこれしかないはずだ!」と思考が交錯する中でようやく蝶ケ岳ヒュッテの灯りが見えた。真っ暗な中に浮かぶ「山小屋の灯り」を見てホットした。縦走の疲れも吹き飛んだ。
蝶ケ岳ヒュッテでは先発した神戸組が心配しながら我々の到着を待っていた。
宿泊客は神戸組以外は誰もいなかった。
蝶ヶ岳からみる穂高連峰の大パノラマ
北アルプスの常念山脈の南に位置する蝶ヶ岳。名前の由来は春先になると頂上近くの斜面の残雪が「蝶の形」になることから名付けられたという。
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岩稜地帯の登行が延々と続く
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蝶ケ岳頂上で
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縦走した稜線を眺める筆者
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標高2,677メートルの頂上はなだらかな山容となっており,梓川が流れる谷を挟んで正面の穂高連峰を眺めると「仕事のこと」「世の中のこと」など全てを忘れさせてくれる絶景だった。確かに「人生観」が変わる。日常の雑事から離れて登山家たちが「山に登りたい」という気持ちが痛いほどわかる。
昨年登った「奥穂高岳」,それに加えて職場の先輩たちがこれまで登った「北穂高岳」や「槍ヶ岳」をはじめ黒い岩肌を見せている「大キレット」もはっきり望むことができた。
アルプス最大の難所「ジャンダルム」に挑戦するために先輩の小笠原 弦氏と今村孝夫氏の2人はこの時,はるか遠くに小さく見える穂高岳山荘に滞在していた。「ジャンダルム」ではこれまで転落死など多くの遭難者を出している。初心者は入山禁止となっている。
プロでも超難関といわれる「ジャンダルム」。2人のジャンダルム征服を願いながら,蝶ケ岳から上高地へ7時間かけて下山し縦走が終了した。上高地到着に合わせるかのように小笠原氏からメールで「ジャンダルム征服」の吉報が入った。「やった!すごい!」と思いながらも「無事でよかった」と安堵した。
北アルプスに入ったのは昨年に続き今年で2回目。中高年の登山ブームが続くなかで天候の急変による遭難に加え火山災害に巻き込まれるケースも発生している。
私にとって台風18号による風雨は「多くの教訓」を残した縦走となったが,それだけに「大きな自信」にもなった。
アルプス縦走は「事前のトレーニング」「入念な計画とエスケープルートの確保」「日程がずれた場合の対応」「装備品の軽量化」などが求められる。
そして「すべてが自己責任」となることを忘れてはならない。
冒頭で紹介した松濤 明氏の遺書は「風雪のビバーク」として出版され山岳ドキュメントの古典となっている。山岳作家の新田次郎も「風雪の北鎌尾根」として昭和37年に小説化した。

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