随筆・その他

リレー随筆

『極楽,地獄,そして・・・』

三州脇田丘病院 富永 雅孝

 この度は極楽と地獄の話をしてみたいと思います。
 日本人は「極楽」「天国」/「地獄」「黄泉」と称される二項対立をどのようにイメージするのでしょうか。前者は善きものとして,後者は悪しきものとして描かれるのでしょうが,自分自身の子どもの頃を思い起こすと,天国は神様,仏様がいて,綺麗な音楽でも流れている所で,地獄は閻魔様がいて,悪いことをすると舌を抜かれると躾けられていたように思います。今の子ども達がどのように躾けられ,どのような世界観を持って育っていくのか分かりませんが,自分のそのようなイメージはどのようにして生まれてきたか考えてみようと思いました。
 そこで,ウィキペディア先生に教えを乞うこととしました。
 「読売新聞」が2005年8月6日,7日に行った「宗教」に関する世論調査では,「宗教を信じていない」という選択肢を選んだ人が75%に上り,「信じている」を選んだ人は23%と,1979年の調査の34%と比べて11%減った。
 宗教を信じる日本人は少なくなっているんだな。
 日本における宗教の信者数は,文部科学省の宗教統計調査によると,神道系が約1億700万人,仏教系が約8,900万人,キリスト教系が約300万人,その他約1,000万人,合計2億900万人となり,これは日本の総人口の2倍弱にあたる。神道系と仏教系だけで2億人にせまる(文部科学省宗教統計調査平成18年12月31日現在)。
 それなのに,信者数は総人口の2倍なところが,日本人らしさだな。つまり,神道,仏教,キリスト教を調べれば,私のイメージを理解できることになりそうです。

古来の日本
 (高天原が)『古事記』などでは,地上の人間が住む世界である葦原中国や,地中にあるとされる根の国・黄泉に対し,天上界にあった,と記述された。古くから神話に書かれていることを現実だと見なして解釈しようとする人たちがおり,大和,九州(宮崎県高千穂,熊本県阿蘇,長崎県壱岐),北陸,富士山他,実在の場所であったとの説も多数となえられた。『古事記』においては,その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ,国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから,海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。天照大神が生まれたときに,高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では,高天原には多くの神々(天津神)が住み,機織の場などもあったことが記述されており,人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され,天照大神の孫のニニギが天降り(天孫降臨),以降,天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。
 天岩戸等の神話で知っている神様達の住む世界は,ギリシャ神話にも感じるような随分人間臭いもので,イメージしているものと違うな。
 黄泉とは,大和言葉の「ヨミ」に,漢語の「黄泉」の字を充てたものである。漢語で「黄泉」は「地下の泉」を意味し,それが転じて地下の死者の世界の意味となった。太古の日本には黄泉路が存在し,黄泉比良坂(よもつひらさか)で,葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り,根の堅州国(ねのかたすくに)に入ったという。そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは,腐敗して蛆にたかられ,八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれたイザナミの姿であった。その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。
 オルフェウスの冥府下りに類似するこの逃走劇が黄泉の国の怖さを印象付けるな。

仏 教
 日本では神道,仏教の信徒が大多数を占めている。ただし,日本では長く神仏習合が行われたため,明治初期に神仏分離がなされた後も神道と仏教の間の区別には曖昧な面が残っている。例えば,神棚を祀り仏壇も置いている家庭,仏教寺院の檀家であると同時に神社の氏子でもある家庭は少なくない。考え方を変えると,神道と仏教という2つの宗教が日本に存在したと捉えるのではなく,神道が仏教を飲み込んで渾然一体となった土着の信仰があった(あるいは今もある)と捉える方が自然であるともいえる。

 日本では神も仏も混ざってあり続けたんだな。
 仏教の世界観はヒンドゥー教と起源を同じくしており,デーヴァローカに対応するのは天部(神々)や天人が住む天(天道・天界)である。これは六道最上位,つまり人の住む第2位の人道の1つ上に位置する。しかし仏教では,神々すら輪廻転生に囚われた衆生の一部にすぎない。それら全体に対し,輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が,仏陀の世界として浄土が存在する。この対立構造においては,天国に相当するのは浄土(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である極楽)である。
 なるほど,仏教においては,神々は,私達の一階上の住人というだけで,問題としている言葉は極楽浄土がふさわしいのか。
 いまをさること十劫の昔,阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えられた。そして,現在でも,この極楽で人々のために説法している。この極楽という仏土は広々としていて,辺際のない世界であり,地下や地上や虚空の荘厳は微をきわめ,妙をきわめている。この浄土にある華池や宝楼,宝閣などの建物もまた浄土の宝樹も,みな金銀珠玉をちりばめ,七宝乃至は百千万の宝をもって厳飾されている。しかも,それらは実に清浄であり,光明赫灼と輝いている。衣服や飯食は人々の意のままに得ることができ,寒からず暑からず,気候は調和し,本当に住み心地のよいところである。また,聞こえてくる音声は,常に妙法を説くがごとく,水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。したがって,この浄土には一切の苦はなく,ただ楽のみがある。
 どうやら私がイメージしている天国,極楽のイメージはこの辺りのようです。
 地獄は,サンスクリット語で Naraka(ナラカ)といい,奈落(ならく)と音写されるが,これが後に,演劇の舞台の下の空間である「奈落」を指して言うようになった。
 ほう,豆知識。
 地獄とは仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。欲界・冥界・六道,また十界の最下層である。日本の仏教で信じられている処に拠れば,死後,人間は三途の川を渡り,7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け,最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており,焦熱地獄,極寒地獄,賽の河原,阿鼻地獄,叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって,再びこの世界に生まれ変わるとされる。
 なるほど,閻魔様の判決で地獄落ちになる感じは,私のイメージだな。
 元々は閻魔大王,牛頭,馬頭などの古代インドの民間信仰である死後の世界の思想が,中国に伝播して道教などと混交して,仏教伝来の際に日本に伝えられた。そのため元来インド仏教には無かった閻魔大王を頂点とする官僚制度などが付け加えられた。その後,浄土思想の隆盛とともに地獄思想は広まり,民間信仰として定着した。
 なるほど,閻魔様は,元々の仏教にいなくて,伝わる中で,民間信仰が混ざり,おまけに地獄省のトップ公務員となったようです。

キリスト教
 かなり,核心に至った感はありますが,私はカトリック系の幼稚園に通って,クリスマス会において,2年ただ寝ているだけのイエス役を務めた経験があるので,その影響も考えてみましょう(3年目はイエスを弾圧する王のお使い役に転落しましたが)。
 キリスト教では,天国とは神の愛と至福から成る超自然的な幸福の場と状態,およびキリストが昇天した栄光の座を指す。旧約聖書では,天国では神の玉座が天使の軍勢に囲まれており,王として地上を見下ろして支配する場所。天は宇宙論的に天と地の2つの空間,および天と地と水の3つの空間における,神の支配領域および天使たちの住処でもある。終末思想の発達と共に,メシアを王とし,終末に神によって建てられる王国と見なされるようになった。キリスト教徒は天国からイエス・キリストが再臨するのを待ち望み,中世のキリスト教美術では最後の審判の様子を描かれたり,来世を歴訪する天国の図像が散見される。例えば,ダンテの『神曲』では,地球を中心として同心円上に各遊星の取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙を天国界とし,恒星天,原動天のさらに上にある至高天を構想していた。
 自分自身そんなに明確なイメージは持っていなかったのか,これはこれでありのような気もしてきます。
 キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。地獄と訳される事の多いゲヘンナと,黄泉と訳される事の多いハデスの間には厳然とした区別があるとする見解と,区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解など,両概念について様々な捉え方がある。厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば,ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所,ハデスは死から最後の審判,復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。(日本の仏教の)地獄の構造は,イタリアのダンテの『神曲』地獄篇に記された九圏からなる地獄界とも共通することがたびたび指摘される。たとえば,ダンテの地獄には,三途の川に相当するアケローン川が流れ,この川を渡ることで地獄に行き着くのである。
 何だか仏教とキリスト教の地獄は重ねてしまっても仕方ないところがあるのかな。

中 国
 念のために,その文化圏的影響力を考えて,中国の方も見ておきましょう。儒教と道教ということになるでしょうが,まずは中国の一般的な考え方として,「天」の思想があるのでしょう。
 人の上の存在,人を超えた存在という意味に関しては,中国の思想では,全ての人には天(天帝)から,一生をかけて行うべき命令(天命)が与えられており,それを実行しようとする人は天から助けを受け,天命に逆らう者は必ず滅ぶと考えられている。天は全ての人のふるまいを見ており,善を行うものには天恵を,悪を行うものには天罰を与える。その時の朝廷が悪政を行えば天はこれを自然災害の形を取って知らせ,逆にこの世に聖天子(理想の政治を行う皇帝)が現れる前兆として,天は珍しい動物(麒麟など)を遣わしたり,珍しい出来事を起こして知らせる,と考えられた。特に皇帝,王朝の交代時には盛んに使われ,ある王朝を倒そうとする者は「(今まで前王朝に与えられていた)天の命が革(あらた)まって我々に新しい天命が授けられた」と言う考え方をする。つまり革命である。
 政治的な色彩も強いけれど,昔から「お天道様がいつも見ている」と言われたことを考えると,影響は受けているかな。
 江戸時代になると,それまでの仏教の僧侶らが学ぶたしなみとしての儒教から独立させ,一つの学問として形成する動きがあらわれた(儒仏分離)。中国から,朱子学と陽明学が静座(静坐)(座禅)などの行法をなくした純粋な学問として伝来し,特に朱子学は幕府によって封建支配のための思想として採用された。神道,仏教に加えて,宗教として意識されることは少ないものの,葬儀,死生観を中心に儒教も大きな影響を残している。先祖霊などの観念は現在では仏教に組み込まれているが,本来は仏教哲学と矛盾するものであり,古来の民間信仰と儒教に由来する。位牌,法事など,先祖供養に関わる重要な習慣が儒教起源である。
 天国,地獄という概念を横に置いて,先祖供養というものは儒教が強く影響しているんだな。陰陽道,風水,易等でその思想を今に留める道教は,老荘思想と神仙思想等が混ざったもののようです。
 老子とは別に道教の源流の一つとなった神仙とは,東の海の遠くにある蓬莱山や西の果てにある崑崙山に棲み,飛翔や不老不死などの能力を持つ人にあらざる僊人(仙人)や羽人を指す伝説である。
 神や仙人の住む世界は面白いけれど,物語に過ぎない印象かな。
 今までの検討をまとめると,どうやら私は,「極楽」と「地獄」というイメージを持つ神仏習合した上での仏教っ子であったようです。そこには宗教画や物語を通して知ったキリスト教の天国と地獄や,イザナギの逃走した黄泉の国や,中国の「天」も少々混ざっていたということになります。

極楽,地獄
 さてさて,前置きが長くなりましたが,温泉の話をしましょう。九州で極楽と言えば,宮崎県高原の極楽温泉匠の宿です。茶褐色(温度で変わるようです)の含炭酸鉄泉ですので,鉄臭くぴりりとする湯をぐびりとしながら,冷泉のぬるめの湯にゆっくり入ることとなります。元は湯治湯ですが,今は囲炉裏囲んでの食事もできて,山女魚,鮑,宮崎牛を焼いて食べれば,家族の会話も弾むことでしょう。
 そして,九州で地獄と言えば,熊本県南阿蘇の地獄温泉清風荘です。JRのあそぼーい!でキャラクター犬くろちゃんと旅し,玄関の提灯と猪にお迎えしてもらっても良いでしょう。単純硫黄泉のにごり湯で,湯船は幾つかありますが,やはり,底から源泉が湧出している露天風呂「すずめの湯」が硫黄好きにはたまらないでしょう。ここの料理も囲炉裏で,どんぶらこと流れて来るたらいを取って,山女魚,ウズラ,田楽豆腐を焼いて食べることになります。
 極楽も地獄も,九州の高天原候補の周辺ということが,なかなか面白いのですが,結論としては,ここまで極楽/地獄と二項対立させてきましたが,温泉好きにとっては,実はどちらも興味深い泉質で,囲炉裏を囲んで美味しく食べられる,心地良い空間であったということです。

そして・・・
 以前,別誌で行けなかったと書いた鹿児島県霧島の新燃荘にもやっと行けました。2012年7月25日より,営業再開となったようです。さすが,秘湯番付西の大関に選ばれただけあって,単純硫黄泉ですが,その湯の臭いと乳白色の濃さから,安全のため「入浴時間は30分以内」と言われても,うなずかざるを得ません。そして,料理について派手さはありませんが,ここの味噌鍋はかなり好みに合いました。
 そして・・・私の温泉旅は続くのでありました。

 太字はウィキペディア出典。

次号は,井上メンタルクリニックの井上賢人先生のご執筆です。(編集委員会)




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