=== 新春随筆 ===
傘寿のクラス会「陽光会」へ出席して
−様々な人間模様から政治批判まで−
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昨年(2013),私たちが傘寿に当たる年(数え年だと傘寿は一昨年になるのだが−),大学の恒例のクラス会に出席して旧交を温めた。私たちのクラス会は,卒業の昭和33年の33を太陽の「燦々」に語呂合わせして「陽光会」と呼称している。会は,原則として,毎年,9月の第2土曜日,5人ほどで構成されていた各ポリクリグループが,順次回り持ちで幹事になり,開催している−最近は鬼籍に入ったり体調不良の者が増えてグループ内の人数が少なくなり,複数のポリクリグループで担当せざるを得なくなったが−。
名簿では78人のクラスメートのうち54人が存命とされているが,今回の出席者は約半数の26人であった。
開会に先立って全員の集合写真を撮り,会の終了時には配布された。
会は,型のごとく,幹事代表の挨拶の後,この一年間で故人となった2人の冥福を祈り黙祷を行い,ついで乾杯,宴会となり,料理とアルコールが程よく入ってからは,各人の近況報告などのスピーチが行われた。
八十路の様々な人間模様
卒業後50余年,八十路に入った各人のスピーチは,まさに様々な人間模様を反映したものであった。大多数の者は現役を子どもや後進にバトンタッチし,新たな環境の下で生活を楽しんでいた。
もっとも,中には相変わらず今も現役で,学会の研究班の班長などとして第一線で活躍したり,客員教授として動物実験など行い,国際誌に発表している者などもいた。ちなみに,後者の一人は,入院中にもかかわらず,論文を皆に見せたいと言って病院を抜け出して出席したということであった。
話の内容は,各人のこれまでの人生の歩みから近況や思いなど多岐にわたり,由緒ある病院の理事長・病院長を務めていたが,近親者とトラブルになってその職を追われ,裁判沙汰になっているという話まであった。
話題で多かったのは,矢張り自分の病気に関することで,脳梗塞・難聴で悩んでいる者をはじめ,パーキンソン病の闘病生活で奮闘している者,腰痛・脊柱狭窄症や変形性膝関節症,腰椎ヘルニアなどで歩行障害になり苦労している者,心筋梗塞で危うく助かり入院治療した者,糖尿病・視力低下・眼精疲労で悩んでいる者,尿路感染症で緊急入院した者,肺がんの手術体験者からは医療従事者の心すべき事柄や,終末期医療への対処の仕方,等々,それぞれ示唆に富んだ貴重な体験談や教訓などを語っていた。
中には,自分の日常生活をユーモラスに,「目が覚めて 名前と住所を 言ってみる」 「欲しいのは 10分前の 忘備録」,家庭内を「円満は ばば指図で じじ我慢」「近頃は ばばの予定が 最優先」といった川柳で表現した者などもいた。
しかし,この会に出席した面々は,さすがに病気とは上手に付き合っていて,生活をそれなりに楽しんでいるようであった。
披露された趣味は極めて多彩で,学生時代から続けてきた楽器を楽しみながらボランティア活動を行ったり,読書,映画・音楽鑑賞,ゴルフ,囲碁,将棋,旅行,カラオケ・演歌三昧,さらに,学生時代の姿からは想像もつかなかった少々高尚な能楽を演じている者,変わったところでは,脳卒中による言語障害のリハビリを兼ねて般若心経の経典を読むのを日課としている者,等々,内容も豊かであった。
最近の政治批判から日本の将来への想い
全員のスピーチが一通り終わってからは,アルコールの量が増すごとに各人の話題は益々テンションが上がっていった。いわく,憤懣やるかたない医師会の非民主的な運営への批判,困難なセクハラ・男女共同参画問題への対応,最近の政治情勢に関連して「我々は平和憲法のお蔭で60年余りは戦争の無い時代に生きて来れたが,安倍政権のもとでは危うい」とか,脱原発・原発輸出問題,TPPの医療への悪影響批判,等々,日本の将来を危惧する話題など様々であった。
クラス会を振り返って
ところで,私たちが生まれた昭和8年(1933)は,ヒットラーが首相に就任し,ナチスの一党独裁が成立した年で,以後,人種差別・戦争の時代へと突入していった。また,わが国では,中国侵略により成立させた「満州国」を国際連盟が承認しなかったために国際連盟を脱退して「世界の孤児」となり,以後,言論の自由が益々封殺され,暗黒・破滅の戦争の時代へと突き進んで行った。
「歴史は繰り返す」といわれる。クラス会でのあれこれの話題を振り返り,「日本を取り戻す」の選挙ポスターなどを見るにつけ,わが国の将来に大きな不安を覚える。
秘密の範囲が曖昧で,国民の「知る権利」や言論の自由の侵害への危惧など極めて問題点が多い特定秘密保護法案を十分な審議もなく強行採決したり,集団的自衛権行使を容認し,「武器輸出三原則」の見直し,憲法9条など「日本国憲法」の理念や基本的人権をなし崩しに破壊する政策を遮二無二強行している自民党安倍晋三首相の政権運営には,大きな危惧を抱かざるをえない。
この60余年,戦争がない平和な生活を過ごす恩恵に浴してきた私たちは,「戦争ができる・戦争をする国」への回帰の動きに対しては,声を大にして異を唱える必要性を痛感している昨今である。

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