=== 新春随筆 ===
丙午生まれのヤツってのは。。。 |
(昭和41年生)
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西区・武岡支部
(田上記念病院)
松尾 敏明
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・・・・・パカラッ,パカラッ,パカラッ,パカラッ。
ぶるるるるるるるるるる。
ひっひぃ〜ん(できればここだけは元気に大きな声で読んでください)。
学問とは程遠い日々を送っていた私でしたが,学生時代に先輩諸兄と同様,若月俊一先生の 『村で病気とたたかう』(岩波新書)に感動し,大学生8回目の夏休みに夫婦で若月先生に会いに行きました。初めて若月先生に会ったとき,私はあまりの感動でとっさにポケットに入っていた紙切れに何か書いてくれとお願いしてしまいました。すると当時84歳の若月先生は右も左も分からない初対面の馬鹿な学生のリクエストに対し“新しい医療をつくる”と書いてくれたのです。鳥肌が立ちました。私たちの知る方々でこんなに熱い84歳はあまりいませんよね。今から70年近くも前に若月先生が佐久で何をやったのかを学ぶため長崎大学卒業後,長野県の佐久総合病院で働きました。退職後,ボランティアや研究などでカンボジア,タイ,ソロモン,インドネシアその他アフリカ諸国に行く機会を得ました。その間,感じたことは医療従事者がポンと医療が未開の地に行ったところで,思い出作りをするだけでやれることは高が知れているということでした。それなら,日本の僻地に根を下ろし,そこで住民主体の医療を展開し,地域住民を巻き込んだ国際協力を行おうと考えました。かつて若月先生は若月塾で,地域保健の最小単位は《自分自身》だとおっしゃっていました。自分自身の命を大事にしなくなったときに戦争が起こるといったお話でした。私自身は,地域保健の最小単位は《家族》と思っています。命に携わる私たちの仕事は,少なからず平和活動の裾野に位置しているのかもしれないなぁなどとぼんやり考えながら,「お父ちゃんが働いてお前たちを食べさせているのは世界平和のためだ」と,ポカンと口を開けている小学2年生と6年生の息子,「はいはい」と言っている高校1年の娘と家内に薫陶して今年も元気に出勤したいと思います。
12歳:スーパーカーブーム。母親にどうやったらスーパーカーに乗れるか尋ねたところ,「医者になればいい」と言われる。池田塾へ塾通いの日々。
24歳:長崎大学留年。ボート三昧の日々。
36歳:神戸大学大学院休学。神戸空港建設反対の日々。
48歳:釣り三昧の日々。
60歳:加計呂麻島温泉掘削。温泉三昧の日々。
72歳:『島で病気とたたかう』(岩波新書)執筆。
84歳:新しい医療をつくる。
多くの人が自分は明日も生きているという根拠のない確信を持っているため,臨床の現場をさらに複雑で厄介なものにしているんだろうなぁと思いつつ。。。
また,会おう!
パカラッ,パカラッ,パカラッ,パカラッ,・・・・・

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