=== 新春随筆 ===
風 の 中 で |
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鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
心身内科学分野 教授
乾 明夫
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台風の影響であろうか,木々のざわめきが心地よい。硫黄の香りがする露天風呂には,静寂が包んでいる。鹿が一頭,餌を食べている。人と鹿の微妙で,自然な空間がそこにあった。
僕は旅人である。風の中で,風に流されながら,また時には風に抗いながら,歩み続けている。人間は何て,ちっぽけな存在なのであろうか。セミやチョウなど自然の生き物と同じく,輝ける命は限りあるはかないものであろう。
人は旅の中で,自分を磨こうとする。その遺伝子は生き物として,進化の中で受け継がれてきたものであろう。しかし,人間力は大きく相違し,気高さと卑しさが垣間見られる。卑しい命のとどのつまりは,生きた証が問われることに違いない。心して生きて行こう。
医師としての人生は,生涯続く。研究は,果てしない努力の積み重ねである。桜の花に映る研究は,純粋な夢の世界である。努力の中でこの楽しみに浸る。かつて,オピウムと称した研究者がおられた。ニューヨーク州立大学のメギード教授である。悲劇に対峙しながら,新たな人生の道を切り開いておられる。そこにもやはり,研究があった。
幾つまで,研究を行おうというのか。研究のために封印してきたことに,振り向く必要はないのか。それとも,若い人を育てながら,少しずつ封印を解いて行こうか。解けきれぬまま,見果てぬ夢を追いかけたとしても,それも人生であろうか。
外は風が吹いている。雨音が風のざわめきを消そうとしても,風の音は聞こえるに違いない。時代の閉塞感を打ち破る風が,そこに吹いているのであろうか。ただひたすら求めた若い夢は,どこに向かうのであろうか。朽ち果てることなく,歩み続けることができるのであろうか。
旅人は深く,自然と向き合うことであろう。自然の中で,風の囁きを耳にしながら,細りゆく若い夢を,昇華させることができるのであろうか。
忙しい人生はしかし,感謝すべきことであろう。生き急ぐ人生は,多くの景色を見落としながら,過ぎて行くものである。しかし,そこには夢という,かけがえのない宝物を見続けているに違いない。見失うものが多いとしても,時空を越えて行く心が,そこにあるに違いない。
雨風の中に,陽のさす時がある。陽のさす瞬間は,美しい。台風の風の音は,激しさを増している。しかしその一瞬に,静寂がある。いよいよ雨音が増してきた。その音に聞き入りながら,ふと旅人の幸せを味わう。
虫の声が秋を告げる。9月のある暑い夕方,甲突川はすでに,虫の音色に包まれていた。秋の気配に驚きつつ,季節の営みを楽しんだ。今,虫の声は,雨風の中にも途切れることがない。
昨夜は酔って,感傷に耽りながら,パソコンに向かっていた。今日もその続きであろうか,時を忘れた瞬間があった。これからは若い人を育て,旅人になることにしよう。果てしなく夢を追い求めても,生きとし生ける限り,心の旅をしてみたい。
若い人たちよ,努力を惜しむことなかれ。個性溢れる生き方と,人間性溢れる生き方を両立すべし。
外は嵐である。露天風呂の僕に,激しい雨風が吹きつける。雨風を避けながら,しかし心地よく打たれていたい。その嵐は,夢をはらむ風であろうか。未来を切り開く,追い風であろうか。若い人たちよ,大志を抱け,ただひたすら前に進め!

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