=== 新春随筆 ===

文 化 と し て の 鹿 児 島 弁



株式会社エフエム鹿児島 取締役会長
                   大囿 純也
 
  おどま薩州 薩摩のよごれ
  味噌と酢だっきゅで鍛えた度胸
  今じゃこげんして やんかぶっちゃ
               おっどんか
  やがっちゃ天下を 股ばいにひっぱすん
  そんときゃ わいどんも
  おいげぇ来んか 鹿児島(かごっま)ぃ来んか


 昨年,民間放送連盟のラジオ番組コンクールで九州沖縄地区のグランプリを獲得した,エフエム鹿児島制作の『鹿児島(かごっま)弁で若(わ)け衆(し)と語(かた)いもそ』の冒頭に登場する,ご存知『おどま薩州』の3番である。  
 ご存知,といったが,さあ現実はどうだろう。鹿児島弁がわからない,話せないという人が最近多い。当然ながら,若い層が特にそうである。
 私どもがこの番組をつくるきっかけとなったのは,
 「祖母と両親は毎日鹿児島弁で会話しているのに私にはいつも標準語を使う。鹿児島弁を教えて,と頼むのだが取り合ってくれない。のけ者にされているようで寂しい。」
という,新聞に掲載された小学5年生少女の投稿だった。普通語(標準語)が話せないばっかりに,東京に出て電話恐怖症に陥った,などという我々の世代とは隔世の感がある。

 私は鹿児島を出て福岡の九州大学に進学した。福岡はほどほどに都会であり,ほどほどの田舎だったので,しみついた鹿児島訛りにそれほどの引け目は感じなかった。どころか,寮の仲間は当然ながら全員田舎の出身だから,さまざまな地方語が飛びかった。部屋には在籍7年か8年という牢名主的ボスがいて,これが八代弁丸出しだったから,新入りがそれまで後生大事に身につけてきた故郷の言語がたちまち荒っぽい八代弁の感化を受けはしたが。

 『鹿児島弁……』は全国審査でも優秀賞の名誉に浴し,開局20年の記念すべき年に花を添えた。審査評に「ラジオならではの新鮮な切り口と発想」とある。
 番組冒頭の『おどま薩州』には,やむなく“翻訳”をつけて放送したが,本来言語とはその土地の文化に裏打ちされたものであり,文化は翻訳不可能な代物である,ということを示すために,ここでは歌詞の3番を紹介することにした。たとえば「よごれ」である。これは“汚れ”のことではない。outlawと「無法」の違いとでもいおうか。映画『無法松の一生』を引き合いにすればわかりやすい。

 主人公の車夫(三船敏郎)の無法とは,美貌の未亡人(高峰秀子)に身分不相応の恋心を抱いてしまったおのれを“無法”と責めているのである。俺が法律だ,と殺しを重ねるカウボーイのoutlawとは異質の,いわばやくざ世界の規律みたいなものだ。輸出版のタイトルが『Rickshawman』(車夫物語)となっている所以である。同様に「薩摩のよごれ」は“汚れ”ではない。西南戦争の前線で同郷の友に再会した薩軍の兵士が「よごれ,わいも来たか……」と声をつまらせたという話が伝わっているが,この「よごれ」と似た感情,とでもいおうか。

 似たような言葉に最近出会った。新聞の薩摩狂句の月間賞。

  先(さつ)の世も一緒(いつど)きなろち厳(いみ)し女房(かか)

 この「厳(いみ)し」も「よごれ」同様である。鹿児島弁ならではの,nativeならではの情愛こめた表現だろう。

 東京の孫息子が赤ん坊のころ,親に連れられて帰省するたびに,立ち上がったといっては「ンダモシタン!」,片言が話せるようになったといっては「コラノサン!」とはやしたてたものだが,しばらくして嫁が「最近子供が変な歌を覚えた」という。一人で遊びながら「ノサーン,ノサーン」と節をつけて口ずさんでいるのだそうだ。少なからず慌てた。この2語,普通語でどう説明したらいいのだろう。

 方言は文化である。文化は翻訳不可能である,とは,要するにそういうことである。




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