=== 新春随筆 ===

  迷走神経を電気刺激して「てんかん」を治す
(昭和16年生)



西区・伊敷支部
(植村病院)
 河村 弘庸

 鹿児島市医師会会員の皆様,佳き初春を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 東京女子医科大学を定年退職し,植村病院で仕事をさせていただくようになってから早くも3年半が過ぎましたが,会員の皆様にご迷惑をお掛けしているのではと心を痛めております。
 さて,この度鹿児島市医報新年号の「新春随筆」への寄稿のご依頼を受けましたが,鹿児島に由来するお話もできず,また,本来,新春の随想は,何か大きな夢のある話が一般的ですが,それも思い出せない野暮さに辟易しております。
 そこで,私どもが15年近く携わってきました『左頸部の迷走神経を電気刺激して「てんかん」を治療する』という話をしたいと思います。皆様には奇想天外な話と映りますか?初春に免じて,ご辛抱いただければ幸いです。
 迷走神経刺激療法は,日本での薬事の申請は古く1998年2月ですが,約10年間放置され認可が下りませんでした。世界では,既に5万件以上の治療が行われていますが,日本の厚生労働省の怠慢には呆れるばかりでした。
 しかし,諦めかけた2008年11月に,「医療ニーズの高い医療機器等の早期導入に関する検討会」で,この「迷走神経刺激装置」が検討の対象に選ばれ,俄に認可への期待が大きくなりました。2009年10月に「医薬品および医療機器審査機構」に申請書提出の運びとなり,2010年1月6日に厚生労働省から薬事法上の正式承認が下りました。現在,この治療法は保険適応の指定も受けることができました。既に,認可後約330症例にこの治療法が施行され良好な治療効果を上げています。12年にして,漸く「日の目」を見ることになり,てんかんに苦しむ多くの患者さんに大きな福音を与えることができます。薬事申請の当初から担当してきた一人として,新春の夢が現実となる「大きな歓び」のひとつです。
 前置きが長くなりましたが,それでは,ここ15年経験してきました「迷走神経刺激治療」をご紹介しましょう。
 これは,ヒトの左迷走神経を頸部で電気刺激して「てんかん」を治療する新しい方法です。初めて耳にしたヒトは誰でも,次のような素朴な疑問が浮かぶと思います。どうして,てんかん発作を抑制できるのか(抑制機序)?迷走神経を電気刺激して心臓や呼吸に影響はないのか,安全なのか?
 本治療法をご紹介する前に,脳科学ではどのような分野になるのでしょうか?
 最近,脳や脊髄を電気刺激し,主にパーキンソン病などの不随運動(movement disorder)や脳や脊髄の損傷後に起こる中枢性疼痛の治療が盛んになってきました。治療効果の機序として科学的根拠が少しずつ明らかになってきましたが,まだ不明な点も多く残っています。大きな概念としてneuromodulationが注目されています。長期間電気刺激を脳や脊髄に与えるとneuron networkやそれらに関係するneurotrasmitterも変化し,治療効果を上げるとする考え方です。ここにご紹介する迷走神経刺激療法もこの範疇に入ります。
 さて,迷走神経刺激治療法は,1988年にPenryらやUthmanらによりヒトに初めて応用されたもので,米国では500症例以上の治験研究を経て,1997年7月16日にFDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)の認可を受け治療が始まりました。その後,全世界に広まり既に5万以上の症例に行われています。日本では,先に述べましたが,2年半前から漸く治療許可が下りたばかりです。
 本治療法は,従来のてんかんの外科治療のように脳に直接外科的侵襲を加えるものでなく,左頸部を走行する迷走神経の持続的電気刺激によりてんかん発作を抑制しようとするもので,はるかにless invasiveな外科治療として注目を集めています。最近では,本治療法が小児のてんかんやうつ病の治療にも拡大され,期待できる治療効果を上げています。

1.迷走神経刺激装置(図1,2)と装着
図 1 埋め込み型刺激発生装置とらせん状電極
   (旧型Model101/300)

図 2 最新型刺激発生装置(VNS demipluse)
 新型刺激発生装置(VNS pluse)と比較すると,
約1/2に縮小化,さらに図1で示した旧型
(model 100)の約1/3の縮小,軽量化となる

図 3 新型programming wandと
mini-personal computer (PC)
 a : programming本体の表側
 b: 本体の裏側(この面をgeneratorに
   当て使用する)
 c: mini-PC(刺激条件,電極抵抗,リード線
  の断線の有無,電池の寿命などの確認に使用)
図 4 VNS装着の全体図(Landy HJ. et al, Neurosurg,
   78:26-30, 1993)
 1.頸部の皮切(われわれの皮切はほぼ水平,
   Landyらは胸鎖乳突筋前縁に平行な皮切となっている)
 2.左前胸部の刺激発生装置(generator)の埋め込みの
   ための皮切
 3.リード線を皮下を通して頸部皮切部に導く
 4.電極を迷走神経に巻き付ける
 5.リード線と刺激発生装置とを連結する
図 5 VNS装着後のX線像
 刺激発生装置,らせん状電極,リード線が所定の
 位置に埋め込まれている
図 6 てんかん抑制に関係する迷走神経の脳内求
  心性経路図(第3の経路)
図 7 日本の迷走神経刺激治験における各発作型
    の発作減少率
 (朝倉哲彦ほか,新しい医療機器研究,5:7-18, 1998)

 刺激発生装置は,Cyberonics社製のNeurocybernetic Prostesis(NCP)で,心臓のペースメーカーの装置と類似しています。刺激は10分間隔で0.25〜1mAで30秒間刺激を常時行います。刺激条件は,図3に示したprogramming wandにより設定,変更が可能です。刺激電極はらせん状に加工され,左頸部の迷走神経に巻き付け装着します。頸部の運動で電極が外れないように工夫されています(図4)。刺激装置を埋め込んだ後の胸部X線をみると刺激発生装置の位置,らせん状電極と接続リード線の関係がよくわかります(図5)。

2.なぜ左迷走神経刺激が安全か?
 左右の迷走神経は胎生期には情報伝達が左右対称ですが,成長に伴って,左右の機能が分かれ,左は内臓からの求心性情報の伝達,右は肺,心臓などの内臓臓器に遠心性の伝達をするようになります。従って上行性伝達を行う左迷走神経を電気刺激しても,内臓臓器には影響なく安全です。

3.なぜ左迷走神経刺激でてんかん抑制があるのか?
 まだ不明な点が多く残っていますが,最近の神経伝達物質の変化,脳血流量,脳波の変化から,神経抑制系のGABA系伝達物質の増加,反対に興奮系のグルタメイトが減少して,てんかん源性興奮が抑えられ,てんかん抑制効果を上げるといわれています。求心性迷走神経の脳内伝達経路も明らかにされつつありますが,迷走神経を上行したインパルスは孤束核を経由して,視床,視床下部,大脳辺縁系など広い範囲に投射されることがわかってきました(図6)。これらの投射系のなかで,GABAなど抑制系の興奮性が高まり,てんかん抑制につながるとの仮説が有力です。

4.治療効果
 既に全世界で治療が行われた5万以上の症例を基にした治療効果は,50%の発作減少が60%以上で,発作が完全に消失例も10%にもなっています。
 一方,日本における薬事申請のための34症例の治療効果は,刺激開始より発作が60%以上減少した症例の割合は全体で45%,単純部分発作で35%,複雑部分発作で53.3%,二次性全般化の症例では48%でした(図7)。日本における治療効果は米国の治療成績よりはるかに良好でした。特に,二次性全般化と複雑部分発作で発作回数の減少が著明です。有効な治療効果を得るための迷走神経刺激条件が0.25mAから1mA以下であり,米国における1.5mAから2.0mAの刺激強度と比較すると弱い刺激強度で高い治療成績を上げています。この理由について人種,体格の差などが考えられますが検討中です。

5.副作用
 迷走神経刺激による副作用は,嗄声,咽頭違和感,咳,頸部不快,胸部痛,腹部痛です。いずれも患者にとって耐えられないもではなく,刺激条件を変えることにより副作用を軽減あるいは消失させることができます。日本の治験では34例中,嗄声6例,腹部不快感2例,咳1例,頸部不快感1例,胸部痛・腹部痛各1例です。一番多かった嗄声をみても,日常の会話では不自由なく,歌を唄うと音程が少し狂う程度でした。

6.まとめ
 少し専門的なお話でしたが,この治療法の概要はご理解いただけたでしょうか?
 本治療法の特徴は,従来のてんかん外科と異なり直接脳に侵襲を加えず,左頸部の迷走神経を心臓ペースメーカーに似た刺激装置を用いて刺激するだけですむので,less invasiveな治療法です。治療効果も50% seizure reductionが50-60%の症例にみられ,しかも重篤な副作用もありません。従って,抗てんかん薬に抵抗を示す難治性てんかんに対する治療法として,切除外科や遮断外科などの侵襲の大きな治療を選択する前に試みる価値があります。また不幸にして外科治療でも期待する効果が得られない場合にも適応となる治療法といえます。
 本治療法は,厚生労働省の薬事認可が下りてから既に330症例に施行され,さらにその安全性と効果が明らかになってきました。成人もさることながら小児のてんかんにも大きな成果を上げています。
 てんかん患者さんは,何かと社会から疎まれ,差別化がまだ根強く残っています。ご紹介した本治療法は,こうした不幸な境遇におかれた人々に一筋の福音を与えるものと信じています。



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