
米寿を迎えて
今年如月の誕生日に,鹿児島市医師会から米寿祝いの訪問があり,続いて水無月の吉日,鹿児島県医師会から,医師会総会の席上,米寿表彰の記念品が贈られ,更に日本医師会からは晩秋の頃,長寿祝いの銀盃が贈られてきました。思いもよらぬことで,医師会の細やかな気遣いとご好意に謝意を表することでした。
大正の末期に生を受け,戦前,戦中,戦後を生きて88歳,流石に感懐深いものがあります。
生き抜いてきた感慨,生かされてきた感謝,そろそろ賞味期限の切れる頃ではありますが,今はただ,家庭に,社会にあること自体が静かな助言者である,そんな老人でありたい,と願っています。
健康寿命と死因年次変動(スライド1)
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スライド 1
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最近WHO(世界保健機関)は,平均寿命に加え,健康寿命という表記を使い始めています。
健康寿命とは,日常的に介護を必要としないで,自立した生活ができる生存期間のことをいいますが,今年の厚生労働省の発表によると,日本人の健康寿命はスライドに示すとおりで,平均寿命との差,男性9年余,女性12年余は,病気などのために自立した生活ができない期間があることを意味しています。なお,鹿児島県の健康寿命は,男性71.1歳,女性74.5歳と全国平均を上回ってはいます。
スライドに日本人死因の年次変動を示しましたが,まずトップの「がん」が目を引きます。「がん」が死亡原因の第1位となったのが昭和56年で,以来今日まで一貫して「がん」による死亡者数は増え続けて,現在,「がん」による死亡者数が全死亡者数に占める割合は30%で,日本人の約3人に1人が「がん」で亡くなっていることになります。
ガンは,遺伝子が発ガン物質や放射線などによって傷つけられて異常を来し起こる病気ですが,国立がんセンターが提唱する「ガンを防ぐための12カ条」にみられるように,現在では生活習慣病であると理解されています。
次に目を引くのが,嘗て昭和26年から昭和55年までの30年間,日本人死因の第1位を占めていた「脳卒中」を抜いて,「肺炎」が死因の3位を占めるに至った事実です。高齢化が進むほど肺炎の死亡率は急激に増加しますから,肺炎は高齢者の最大の敵と考えなければなりません。そのために,風邪・インフルエンザに注意しなければなりませんが,普段の口腔ケアと肺炎球菌ワクチンの接種を重視することです。
メタボリックシンドローム(スライド2)
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スライド 2
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高血圧症,脂質異常症(高脂血症),糖尿病などの生活習慣病は,自覚症に乏しく,日常生活に大きな支障がない場合が多いのですが,そのまま生活習慣を改善せずに経過すると,脳卒中や心筋梗塞,その他重症な合併症に進展する危険性が高い病気です。
近年,これらの生活習慣病有病者や,その一歩手前の状態の人(予備群)は,内臓肥満,高血糖,高血圧,脂質異常の状態が重複している場合も多く,そのような人は,脳卒中や心筋梗塞の発症危険性が更に高いことが明らかになってきました。このため,国内外でこれらの重複状態の重要性が注目され,メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)という疾患概念として,これらの病態の重複を重要視した考え方で捉えることとされました。
スライドに,メタボリックシンドロームの診断基準と,肥満の判定基準を示しましたが,不適切な食生活,運動不足,ストレス過剰,喫煙,飲酒など生活習慣の改善に取り組みたいものです。
認知症と対応(スライド3)
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スライド 3
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認知症患者は,高齢社会を反映して確実に増加しており,日本では現在その数は250万人を超えますが,今後更に漸増し,20年後には400万人に達すると推測されています。
原因不明の脳の変性で,脳が進行性に縮む(脳の老化と密接に関係)「アルツハイマー型認知症」,脳梗塞,脳出血などにより,脳の血液循環が悪くなり起こる「脳血管性認知症」,原因不明の脳の変性で,神経細胞にレビー小体ができて細胞を死滅させる「レビー小体型認知症」,これらが三大認知症といわれており,中でも最も多いのが「アルツハイマー型認知症」です。
認知症の人の言動の根拠を理解し,信頼関係を深め,更に理解を進めていくことが,認知症の介護の基本ですが,そのためのキーワードを5つ挙げておきます。
1.敬意:認知症の人は人生の先輩です。敬意をもって丁寧な態度で接し,自尊心を傷つけないようにします。
2.受容:コミュニケーションが円滑になれば,その人が好きになるはずです。奇妙に思える言葉や行動も含めて,その人を受け入れましょう。
3.笑顔:どんなに丁寧な言葉遣いより,笑顔こそがあなたの気持ちを雄弁に伝えるコミュニケーション手段です。
4.スキンシップ:挨拶をするときには軽く手をかける,話しかけるときには手を握ったり肩に手を回したりすることが,安心と信頼に繋がります。
5.なじみの環境:新しいことは苦手なので,なじんだ場所,なじんだものに囲まれて過ごせれば,本人の気持ちが安らぎます。
生き方上手五カ条(スライド4)
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スライド 4
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1.禁煙
WHOから,「喫煙は,健康障害と早死の主要要因であり,しかも,確実に取り除くことのできるもの」との指摘があり,「喫煙か,健康か,選ぶのはあなた」と呼びかけられて,「紫煙よ,さようなら」と,漸く禁煙の歩調も早まってきました。
平成22年の日本の成人喫煙率は男性22.2%,女性8.4%で,全体では19.5%ですが,それを10年後には全体で12%にしようという数値目標が,今年6月に政府のガン対策推進基本計画に盛り込まれました。
5月31日の世界禁煙デーにWHOが掲げたスローガンは,「たばこ産業の干渉を阻止しよう」です。たばこ業界より健康重視で,たばこ対策は考えてみたいものです。
2.塩分を控える
日本人は1日平均13グラムの塩分を摂取していますが,国を挙げて取り組んでいる目標は,1日10グラム未満にしましょうということです。
日常,塩分をどの程度摂取しているかを知る目安があります。駅やコンビニで弁当を買って食べたとき,塩分が濃いと感じる人は,日常の味付けは合格といっても良いでしょう。市販のお弁当の味付けを丁度良いと感じる人は,日本人の1日平均13グラムか,それ以上を摂っていると見て間違いありません。逆に,薄いと感じる人は,普段,塩分を摂りすぎていると考えるべきでしょう。
3.腹八分目
貝原益軒の「養生訓」に説かれているように「腹八分目に医者いらず」は,古来食べ過ぎを戒める諺です。今,日本ではメタボ健診の必要性が力説され,保健指導が懸命に行われています。そんな中で,サイレント・キラーの異名を持つ糖尿病の増加も気がかりでなりません。
私が推奨している1つは,食事中に箸休めの習慣をつけることです。「箸休め」とは,食事は時間をかけゆっくり食べましょう,ということです。ゆっくり食べると,最初に食べていた分が血糖値をある程度上げていき,視床下部の所謂満腹中枢に刺激を与えて,満腹になったと伝えるわけです。ところが早食いの場合,その刺激が上がってくるより食事の方が早いため,なかなか満腹感を味わえない,ということになります。食事中に箸を置く,箸休めをする習慣こそが腹八分目への確実な歩みといえます。
4.適度な運動
ほどよい運動といえば,まず歩くことでしょう。10,000歩以上の散歩が推奨されていますが,国が定めている「健康日本21」で運動の目標はこうなっています。日常生活における歩数の増加を,男性は現在8,200歩を9,200歩以上へ,女性は現在7,280歩を8,300歩以上へ。70歳以上の高齢者の場合,男性は現在5,400歩を6,700歩以上へ,女性は現在4,600歩を5,900歩以上へ。約1,000歩乃至,約1,300歩増やしましょうと呼びかけているのです。歩く時間にすれば約10分乃至15分,余計に歩いて欲しいというのです。
「ラジオ体操」やNHKテレビの「みんなの体操」などは,毎日実行したいものだし,また,足腰を衰えさせないためにスロー・スクワットや筋肉のストレッチも心掛けたいものです。高齢の方に理解して欲しいことは,寝たきりの原因が,トップは脳卒中ですが,これに迫っているのが転倒,それも屋内が多いという事実です。
5.頭を使って生きる
生き方上手を願うなら,なんとしても認知症は避けたい,皆がそう思っています。認知症は,その原因の判明している疾病は勿論,原因の不明な疾病,アルツハイマー型認知症にしても,いかに認知症を予防するかという観点からの調査研究が進んでいます。とりわけ生活習慣病と認知症との関連が注目されていて,中年期におけるアルツハイマー病の発症・促進にかなり影響を与えているといわれています。食生活の改善や,適度の運動などの実行が,認知症の予防に繋がることを再認識する必要があります。
と同時に,頭を使って生きるという心掛けを忘れてはなりません。脳細胞を働かせ続けると認知症にはなりませんし,たとえ始まっていても進行を抑えることができます。頭を使うということ,何事にでも好奇心を持つ,新聞をしっかり読む,本を読み,手紙を書く,持続できる趣味を持つ等,前向きな意欲を失わないように生きたいものです。
医療が変わる(スライド5)
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スライド 5
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私達を巡って,いま医療は変わりつつあります。変わろうとしています。当然患者も変わらなければなりません。変革の時代なのです。
「患」という字の形を見てみましょう。心に串が刺さった形なのです。ということは,医療者の仕事は,その刺さった串を取り除くことなのです。更にいえば,口を2つ書いて棒でかんぬきを懸けた字を心に載せている形が患という字なのです。医師と患者とのコミュニケーションの難しさを示唆しています。
いま問われているのは,「説得よりも納得」だと医療者は肝に銘ずべきですし,「傾聴」という姿勢の医師を患者は望んでいるのです。当然,患者側も医師に訴えたいこと,聴きたいことをメモにでも用意して医師の前に座って欲しいところです。
「看」という字を形作っている手と目の役割も考え直してみたいところです。手は患者さんの手を握り,病んでいる部分に当てる手であり,目は患者さんと目線を合わせ,訴えを読み取るための目であり,単に点滴のスピードを見るだけのためではないのです。
高度化し臓器別に専門化してゆく医療には,人間まるごとを診る視点が必要となっているのではないでしょうか。
超高齢社会になった今,病気が増えてきているというより,加齢・生活習慣に伴う障害・病気が増加している,と視点を変える必要があるのではないでしょうか。病気を検査し,治療するということを何よりも優先するキュア重点の病院医療から,病気や障害があっても,地域(在宅)の生活の場で,最後までの生活を保障するケア志向の在宅医療・地域包括ケアへと,医療も変革の時代なのです。そのために,いま問われているのは多職種連携という課題でしょう。
生者必滅・会者定離。人は皆,生・老・病・死の4つのステージを経験します。終末が近づいたとき,なんとしても長寿を目指し,胃瘻などの延命医療を選択するか,天寿を全うする,自然死つまり尊厳死の道を選ぶのか,かねがねの覚悟が問われています。
3つの事件(スライド6)
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スライド 6
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終末期医療を考える際,忘れてはならない3つの事件があります。
1.東海大学病院安楽死事件
事件の概要はスライドに示した通りですが,平成7年3月,横浜地方裁判所で下された懲役2年の有罪判決と,裁判長の示した「医師による積極的安楽死の4要件」が話題になりました。1)耐え難い肉体的苦痛,2)死が避けられず死期が迫っている,3)他に代替え手段がない,4)患者の明示の意思表示があること。
4番目の患者の明示の意思表示がないことが有罪となった理由でした。なお,所謂安楽死とは,本人の意思を受けて薬剤など手を加えて死期を早める行為で,明らかに犯罪です。
2.射水市民病院人工呼吸器取り外し事件
平成18年3月,全国的に大きく報道された事件の概要はスライドに示しましたが,重症の病気の終末期で意識もなく,人工呼吸器で生きていた患者さんに対し,無意味な延命治療を行うことに反対であった医師が,家族の口頭の同意を得て人工呼吸器を取り外したという事実が明らかになりました。結局不起訴処分になりましたが,もし患者さんが意思表明の文書,リビング・ウィルを書き残して,無意味な延命治療をして欲しくないことを明示していれば,恐らく全国的な話題にはならなかったでしょう。
3.エホバの証人輸血拒否事件
医療の現場に大きな波紋を呼んだ本事件の概要をスライドに示しましたが,たとえ医学上の必要性があるにしても,自己決定権を尊重することが憲法上の権利であるとみなして,損害賠償を支払うよう命じたのです。最高裁にまで争われたこの事件の判決は,日本でインフォームド・コンセントが注目されるきっかけにもなりました。
リビング・ウィル(尊厳死の宣言書)(スライド7)
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スライド 7
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日本尊厳死協会は,昭和51年,医師,法律家,学者,政治家などの同志が集まって設立されて以来,不治かつ末期になったとき,無意味な延命措置を断り,安らかな自然な死を迎えたいという願いから,リビング・ウィル(尊厳死の宣言書)の普及に努めています。健やかに生きる権利,安らかに死ぬ権利を,自分自身で守るために活発に運動を展開しています。
スライドにリビング・ウィルの要旨を示しましたが,「死に方上手」に欠かせないのは,リビング・ウィルに自分の意思を明示することです。
尊厳死という考えは,今や臨床の現場では定着しつつあるとはいうものの,終末期の患者が延命措置を望まない場合,延命治療をしない医師の免責(民事,刑事,行政上の責任を問われないこと)などを柱とする法律の存在が必要になります。現在,超党派の国会議員が参加する「尊厳死法制化を考える議員連盟」などで,論議されている法案「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」が早期に成立することが,強く望まれています。
生かされている「いのち」(スライド8)
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スライド 8
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何か絶対的なものに生かされて生きている自分,私にはそんな実感があります。私なりの死生観を簡明にスライドに整理してみました。
人間とは「からだ」,「こころ」,「たましい」の3つからなる大自然の一部であると,私は考えています。モノとしての人間が死んだことは,人間の全てが消滅したことではありません。モノでない「いのち=自分=たましい」は,パートナーであった「からだ」,「こころ」と別れて,無限の世界に還っていく,永遠の「いのち」となるのです。
人は死を背負って生きています。今の生は死に裏打ちされているのです。いずれ,私にも間違いなく終焉の時が訪れます。できれば,身辺整理を綺麗に終え,自分が生きた人生をそれなりに納得し,最後は孤独ではなく妻や子供,孫達,親しい友に手を握られ,感謝の念を伝え,静かに旅立って逝きたい。そう願っています。
(本稿は平成24年10月,かごしま市民福祉プラザにおける「尊厳死かごしま公開講演会」の講演内容に若干加筆したものである。)

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