随筆・その他

リレー随筆

日曜,祝日は朝が待てないゴルフ修行


北区・上町支部
(今給黎総合病院) 中目 康彦

 現在57歳,日曜日,祝日は朝5時には目が覚めてしまう。これはまだ遅い方で,正直4時には起きていて,妻を起こさないように気をつけながら(妻は日曜,祝日は遅くまで寝ないと疲れが取れず間違って起こすと機嫌が悪いのである)時間を見計らって明かりをつけ,夏はクーラー,冬はファンヒーターにスイッチON,コーヒーとパンを食し降圧剤服用を忘れず,NHK BS(特にPGA〔Professional Golfer's Association〕ゴルフ)を見ながら待つのである。待っているのは早朝6時開場のゴルフ練習場である。これは今給黎総合病院に着任してから14年間続けており,習慣というより病の状態である。決して健康によいことをしているとは思っていない。それはお金を払うからである。健康のためなら散歩,ジョギング,城山登山と思う。6時前に到着すると4-8人列を作っており,扉が開くと黙々と打席に向かうのである。早いもの勝ちの争いはない,なぜならいつもの打席が決まっているからである。私も人の打席には向かわない。私は1番か30番,最近は30番が多い。30番は右端で背後で打っている御常連の顔を見なくて済むからである。故にこれまで常連たちと話したことは一度もなく,みな思い思いに打ち始めるのである。春-夏-秋は6時10分には1階は満席になり,真冬は半分くらいの混みようとなる。真冬は大変寒い中,もくもくと練習するのである。さて練習を開始するがスタート時間に合わせ30分だったり90分だったり色々である。玉数は100球以上,マシンの如く打つ私にはなんてことない数である。つまりあまり考えずに打っていると自分でも自覚している。またよい球が出たらすぐ別なクラブに変えるのもいつものことである。しかし朝練をしなかったらティーショットでモジモジ且つ硬直し,球が大きくスライスして隣ホールに飛んでいく自分の姿が目に浮かび心配で仕方ないのである。実際はフック(チーピンに近い)が多いのにもかかわらずである。ゴルフ歴40年経ってもゴルフ初心者の頃や,ヒヤッとした失敗を引きずっているのである。スタート時間に余裕があるときは(うまくクラブが振れず,疲れ果てていることが多い)わざわざ自宅に帰り,それからコースに出発する。ゴルフの予定がない時は残念ながら病院に向かうのである。常連たちはまだ練習している。コースに向かう気配がないので練習のみで面白いかなと勝手に思いながら毎週練習場を後にするのである。練習は朝練のみではなく平日夜も週2回程度練習している。スクールにも4年間通ったが,今はお金の問題もあり止めている。さてコースでの結果は後述する。

ゴルフの始まり
 私がゴルフを始めたきっかけは広島福山の友人STさん(3歳上,6年間隣同士でした)がK大卒(ゴルフ部)で再入学してきたSMさん(5歳上)からアイアンを借り,段ボールを敷いて桑畑に向かって練習したのが始まりである。グリップの握り方,スウィングは確か中学の時でしょうか,NHK特別番組でジャック・ニクラウスをみた記憶から知っていて,その時簡単そうなスポーツと思ったのがそもそもの間違いの始まりだったようである。すじがいいと言われたり,インターロッキングは女性の握り方だからオーバーラッピングにしろと言われながら調子に乗って振っていたところ,せっかくもらった練習アイアンが桑畑(養蚕不況であれ放題,田舎の大学でよかった,池袋まで電車で1時間半)に飛んでいき,探しても発見できず友人に怒られ,また事故にならなかったがヒヤッとした苦い経験からが始まりであった。それからゴルフ練習場に月1回通うようになり,練習場併設のショートコース長くて30ヤードが9ホール,たまに友達と回って初パーが出た時は大変嬉しかった。とにかく3打で上がればOKなのですから。本コースは荒川の河川敷コース,各ホール数え切れないくらいでとにかく走り回った。その当時ゴルフブームで平日7,000円,食事抜きです。クラブの値段,プレー代は40年前と変わっていないようである。

練習好きになった春日部市立病院時代
 練習好きになったのは春日部市立病院時代である。4人体制,部長2人(都内から通勤),下は3年目の私,同じ3年目のボーリング好きのK先生(都内から通勤)だった。外来が100人程度で非常に忙しく,薬処方も1Mまでが限度の時代でしたが大変勉強になった。ポケットベルなどなく連絡は自宅の電話のみの頃である。必然的に毎日私が自宅待機であった。病院から200mに練習場があり,仕事が済んで練習し,また術後をみるため病棟に戻る生活。この頃はゴルフが日課の毎日であった。また2番目の部長(現在某私立医大教授)がゴルフ好きで,色々なゴルフコースが回れてそれなり楽しいのですが帰りは大渋滞。部長は一緒に帰らず手ぶらで電車で帰り,私は茨城,栃木,千葉方面から2-3時間かかって帰り着くとぐったりしてリフレッシュのためのゴルフとは言えなかった。その頃栃木の新設ゴルフコースを300万で購入,理事長杯優勝などそこそこのコースでは活躍したが,バブルがはじけあっと言う間に暴落,妻に年会費が高いと言われ1万円で売却。ゴルフ会員権は基本的にプレー権と身につまされる思いを経験したのである。妻とは春日部時代に結婚,妻にゴルフを勧めスクールに行き,コースも3回くらい一緒に回った時代が懐かしい。

中部銀次郎,病気されたゴルファーから始まる一流師匠達
 学生時代にSMさんのネットワークを使い夏休み,春休み平日,名門コースを回っていた。中でも東京ゴルフ倶楽部で故中部銀次郎さん(その頃アマチュアの至宝とは全く知らずキャディさんから教えてもらい,後で雑誌で知った程度)が2人連れで前の組にいました。指導を受けたわけではない。有名人と一緒の写真に収まり知り合いだといっているのと同じで勝手に師匠にしているだけだが,若い時にみた印象は強烈で今も忘れられない。バネが強いというか鞭で叩いたが如く強烈なインパクト後,低い弾道で飛び去っていくのである。4-5ホールついていったところ,半身麻痺で今にも転倒しそうな歩きの40歳台の男性(キャディさんによるとこの人も一流プレイヤーで脳梗塞後らしい)が前に入り,3ホールプレーしたら上がりますのでよろしいでしょうかと言われOKしたところ,その男性は挨拶した後,右手一本でドライバーは180ヤード飛ばし,ボギーかダブルボギーで上がるのだった。感動というかゴルフの奥義を見た気がした。鹿大医局時代はKプロ(今も師事),小林時代夕食を忘れ練習していた頃はMプロと一流の方に指導してもらっていた。このように師匠には大変恵まれていたが,未だに私は練習場でのシングルと言われている。

ゴルフのために始めたテニス
 テニスは入局時先輩がテニス好きだったため遊びで始めていた。その頃のラケットは木製でジョン・マッケンロー使用ジャッククレーマーを使い始めた。今も大事にとっているがフェース面は今みると極小である。今のラケットは難しくなく,よりスピーディとなっている。ゴルフもパーシモンからメタルヘッド,チタンヘッドと進化している。昔より簡単に打てるが,練習そこそこでコースに出るのはよくない。練習が大事である。運動させるため娘3人をテニススクールに通わせ,その送迎している内,足腰の鍛錬がゴルフの現状打破,飛距離向上に役立つのではと思い入会,すでに12年が経過した。娘たちは成人したが,今かろうじてたまにしているのは長女だけとなった。新婚の時テニス,ゴルフをした妻は全くしていない。同じクラスで一緒にしようと誘ってはみたが体力がない,今は忙しいがいつもの返事である。初中級5年,中級7年,月日に経つのは早いもので万年中級のまま。だが楽しんでいる。テニスもいつも同じミスでバック側にくると萎縮してしまう。現在テニス上達のため週2回スクールに通っている。ここでもどうも人に習うのが好きなようだ。

現 況
 ゴルフの腕前は80台,80台後半が多く,90台もよくある。以前はたまに70台が出て中上級と言っていたが,3-4年ないので中級と言っている。こんなに練習していても同じところで同じミスをするのは変わらない。ちなみにドライバーはキャリーで200-210ヤード,得意クラブは昔はドライバーだったが今はパターである。グリーンにやっとたどりつくのでラインをゆっくり読んでいられない。距離を合わすだけだがこれが意外と入る。その意味ではパターは上級かもしれない。天気に関してはどんな雨の中でも自分から止めたことがない。小学校の頃雨の中,田んぼで遊んで親に怒られたことも思い出しながら童心に戻ったつもりで遊ぶ。雨を嫌がらないのは指宿GC,土砂降りの中だした77ベストスコアを20年来破れず,自分は雨に強いとの思い込みもある。よって月1回の今給黎総合病院コンペ(数十年続いている)は中止になったことがない。どんなことがあっても現地集合,誘われ予定がなければ2つ返事で快諾することをモットーにしている(写真)。

写真 数十年続く今給黎総合病院コンペ。毎月第2日曜日,空港36CC。
私は右より5番目。ライバルはM先生(左より3番目),Tさん(左より5番目)。



今後のゴルフ
 長年練習し色々な経験,努力してきたがこの程度である。ゴルフは難しい。しかし生涯スポーツには変わりなく一度も興味をなくしたことはない。また日曜日とか祝日しか休みのない我々にとって適している。また一人でもできるので私は好きである。道具にたよらず練習場でシングルを目指す。またいつラウンドしても70台を目標に今後も朝練を続けたい。スウィングは上半身の力を抜いて特にトップで右手の力を入れず振りきること,プレーは早く。いろんな人に極意を聞くのは変えようがない。とにかく継続は力なりである。
 最後に仕事では腹腔鏡下手術は世代交代を兼ね若手にしてもらっている。私は毎日の外来と新しいところでTVM(Tension-free Vaginal Mesh),TOT(Trans-Obturator Tape)手術,密封小線源療法でいまだ修行中である。朝練してラウンドした日は,夕食が済んだら朝までぐっすり眠れ,月曜から頑張れるのである。また健康でゴルフができるのも妻のおかげである。ゴルフ,テニスを夫婦共通の趣味には今のところできそうにないが,来年は結婚30年目。どうにか休暇をとってゴルフ旅行より妻,子供たちと20年ぶりの海外旅行が実現できるように努力したい。

次号は,じげんじ久保クリニックの久保博幸先生のご執筆です。(編集委員会)




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