=== 随筆・その他 ===
肛門疾患と温泉
−温泉の効果,痔疾対策−
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永い間,痔疾治療を続ける合間に温泉との関係を考えたことがある。簡単に解説してみたい。
★温泉の歴史
昔の人は山の中や川のほとりで,鶴や鷺など鳥類または鹿,猿等の獣が湯浴みをしていて暫くすると元気になって立ち去るという場面を見て経験的に温泉が病気,傷に効くのではないかと知るようになってその効用を利用していたのだ。
大体温泉療法の元租は大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナビコナノミコト)で共に医学,薬学の神として知られている神々である。因幡の白兎の故事にみられるように,山陰地方には至る所に例えば城崎(豊岡市),玉造(松江市)など幾多の有名な温泉地がある。既に「万葉集」に山部赤人が道後温泉を詠んで聖徳太子を偲んだ詩もあるという。何れも古今和歌集,枕草子,源氏物語等随分昔から知られていたのだ。近代的作家でも尾崎紅葉の「金色夜叉」は熱海,夏目漱石の「坊ちゃん」は道後温泉,川端康成の「雪国」は新潟湯沢温泉などを舞台に書かれている。それほど文学的にも庶民に染み渡っていたのだった。
★温泉の定義
法的には水温25℃以上で冷たく感じても,一定の成分を含んでいるのを温泉というが,鹿児島県は有数の温泉地で,県庁所在地鹿児島市の50前後の銭湯はほとんど40℃以上の温泉で,泉質は単純泉,重炭酸水泉,食塩泉,明ばん泉,硫黄泉等と種類も豊富であり,60万人都市としては国内第一温泉に恵まれた環境である。これらの温泉は,特に主たる成分そのものに複合した他の温泉成分が含まれて全体的な効果をみせるものである。25℃でも水素イオン,臭素イオン,ヨウ素イオンその他上記記載の何れかの成分を含んでいれば温泉とみなされている。地球上の温泉は大体火山帯に沿っており鹿児島,霧島,指宿などは霧島火山帯に属して,別府,阿蘇は阿蘇火山帯に属している。何れも各地の川筋に並んでいるのは不思議な現象だ。
★温泉の利用
日露戦争以来,第二次大戦の間,陸海軍競って全国に温泉を主にした軍病院や傷痍軍人温泉療養所を設立し多数の戦傷兵の創傷治療,リハビリテーション,長期療養に温泉効果を重要視してそれを利用していた。
戦後,厚生省でも保養,休養,静養の三効の地を温泉療養地として施設を薦めていたようだが,一地区に民間施設と競合して多く設立し過ぎたため,乱掘が酷く水位が下がり,泉量も減り,地盤が沈下して温泉そのものも枯渇するようになった。まもなく泉源を保存するため,湯船に出た温泉をモーターで湯船に戻して循環した湯を流すようになった所もある。所謂「循環湯」と呼ばれて戦前には見られないものだった。循環湯の温泉そのものに異臭が漂い細菌が増殖するという可能性もあり,最近レジオネラ症(在郷軍人病ともいって,風邪から肺炎症状を来たして死亡例も出て問題視されている)の大規模な感染発病,死亡の問題が薩摩郡東郷町,宮崎県日南市など各所に起こってきた。今後,この傾向は注目すべき点と思う。私もこのことを知らない前は,湯船にトウトウと湯は流れてくるのに湯が外に溢れないのを不思議に思った頃があった。
大体,温泉はビールと同じで新鮮さが命だ。循環湯では本来の温泉効能を期待できない。源泉から遠く離れた所や容器に入れて持ち運んだ湯は,元来の温泉とは異質のものだと思っている。また,循環湯でレジオネラ症予防のため,塩素消毒をしている所もあるが,この場合人間の皮膚に及ぼす影響も考えるべきだし,温泉自体の効果も確かめるべきだと思う。
★温泉地の変遷
温泉地はレジャーブームの波に乗り,休養,保養,療養という目的を外れて現代は遊興(連れ込み,トルコ,ソープランド),行楽,観光が主体となり,旅館からホテルに大改造されて,個室,家族湯,大浴場,露天風呂,うたせ湯,サウナ,噴気浴,泡風呂,ジャグジー,電気風呂などを競って設備しデラックス化されるようになった。それに怪しげな女性も集まり,温泉治療に行ったのにクラミジア等変な性病を貰ってくる例も聞く。やはり温泉は深山幽谷,白砂青松,静かな環境に十分なオゾンを吸いストレスの解消ということも大きな目的と考えている。
★温泉掘削の技術進歩
この頃,多くの温泉地がお互いの競争のため,より深く大量に泉源を乱掘採取して温泉の枯渇欠湯を招いているようだ。この現象は泉源の探索技術が進んだためだと考えられる。超音波,人工地震,地質学の研究が進み,無駄なく温泉を掘り当てるようになったという技術革新によることも大きい。それに深掘りの技術が進み,昔風の上総掘り(かずさぼり)からロータリー,ボーリングと今まで障害になっていた硬い四万十層(しまんとそう)を掘り抜けるようになったのだ(四万十層とは地球のマグマが競り上がってきたもので,例えば屋久島全体が花崗岩(かこうがん)の塊みたいに頗る硬く滝が流れても侵食を受けないみたいなものである)。それに昭和63年,竹下内閣のとき全国市町村に1億円ずつばら撒いたことがある。これを資本に全国の市町村に温泉掘りブームが起こり,成功や失敗もしたのだがこれにより泉源の枯渇,環境破壊に拍車が掛かったと思われる。
★本格的な温泉の利用
従来温泉利用の根源である静かな環境,山間における森林浴,渓流のセセラギ,海辺のオゾン浴,ストレスの解消などが高齢化社会に対する福祉指向だったという考え方が次第に薄れているのは残念なことと思う。
九州大学は以前から別府に専門の温泉治療研究所を持ち,鹿児島大学も霧島に大学病院附属の温泉病院があり,系統的に学問的な研究を続けている。健康保険でも温泉を治療に利用できる保養所を持つようになった。
私がオーストリアに行った時,バーデン・バーデンというローマ時代からの歴史的な温泉地があり,豪華な賭博場(政府公認)や大規模な劇場,乗馬クラブ等があった。此処は昔から有名な保養地でベートーベン,バッハ,トルストイなどの別荘があったが,彼らも賭博に夢中になり借金を重ねて帰りの旅費に困ったというエピソードがあるという。近くにあった公衆浴場は非常に広く,彫刻や飾りに囲まれた優雅な浴槽だったのを見てきた。
特にフランス,ドイツ,スイスなどは古い歴史を持つ立派な温泉病院が完備しており,温泉気候学会で認めた専門の医師が飲用の量,浴用の時間,間隔などを監督・指導しながら治療に積極的に利用している。その病院,研究所によりロイマチス,高血圧,胃腸病,糖尿病,喘息,リハビリ等と専門的に分かれている。あちらでは浴用よりもむしろ飲用に力を入れているようだ。
★入浴上の注意
温泉療養にはまず温泉の質を選ぶことだ。何処の温泉でもその入り口か脱衣場など目に付きやすい所に温泉の成分,温度,適応症,禁忌などが詳しく掲示してあるから参考にして貰いたい。
昔は折角来たのだからと1日何回も入浴する人もいたようだが,頻回に長く入り過ぎないようにしてもらいたい。始めは1日1回,慣れたら2〜3回。温度は40〜41℃で,1回10〜15分ぐらいがよいだろう。よく頭にタオルを置いて入浴するのを見かけるが,これは頭の血の巡りをよくするといわれている。食前,食後,または激しい運動の後,飲酒の後,浴槽内での飲酒はよくない。雪の降る露天風呂で,湯に浸かりながらお盆に浮かせた徳利で一杯やるのは絵としては美しいが,寒さの中の露天風呂,それにアルコールは健康上注意した方がよい。
昔は田植え上がりとか稲刈りが終わった時,打ち上げといって親族,部落総出で温泉保養に行ったものだ。その人たちは例年の定宿があり,薪や米野菜などを持って1〜2週間ゆっくり逗留するものだった。これもあまり長くなったり,入浴回数が多かったりすると温泉による副作用が出てくる。
★湯あたり現象
所謂湯あたり(湯疲れ)という現象がそれだ。折角調子のよかった患者さんの肉芽形成が温泉から帰った時,急に悪くなったり,疲労倦怠,体の調子が悪くなったり,食欲が減退し発熱,眩暈が来たりするから注意して貰いたい。しかも湯あたりは2〜3週間過ぎてから起こることがあって,患者さんは温泉に行ったことを忘れているので何故だろうかと気付かない例が多い。このようなことがあると承知しておいた方がよいと思う。その時は入浴を暫く休めば症状は自然に回復する。
★痔核専門の温泉病院(分院)の構想
私も永い肛門疾患の診療の合間,ある時期,私の病院に来院した患者さんの手術後の療養のために分院として温泉病院をつくり,本院の手術後患者さんを転送してゆっくりと温泉療法を続けたらと考え,所謂痔に効くという県内各地の温泉を随分見て廻り環境の条件を調べ,湯の泉質を確かめ,実際に入浴して温度などを見て廻ったことがある。
痔だけに有効というわけではないのだが,一応肛門疾患に有効とみられる泉質としては単純泉,炭酸泉,硫黄泉,含鉄泉等が挙げられる。正確な研究をしたわけではないのだが湯之元(東市来町),伊作(吹上町),安楽(牧園町),塩浸(牧園町),栗野(湧水町)などが印象に残っている。世間で昔から「痔に効く湯」という噂のある温泉を選択の標準にしたらよいと思う。
★痔疾患に対する温泉の効用
肛門病に有効な温泉としては,まず痔核発作の鎮痛,手術後の創面肉芽形成促進,出血による貧血,または併発の糖尿病等生活習慣病に向けられる。それに飲用による便通調整の効果が知られている。
温泉には飲用の化学的作用のほか,温浴の機械的作用もある。浮力,静水圧力,温熱作用が痔核発作の鎮痛,手術後の創傷の治癒を促進しているのだ。例えば肉芽の色調改善,肉芽形成促進,壊死組織の脱落,創面縮小,分泌減少という経過で皮膚再生が進んで行く。また出血による貧血,便秘に対しては緩やかに便通を整える等各方面に総合的な効果を現す。ただ,前に述べた通り「湯疲れ」には注意して貰いたい。温泉はただの湯ではないのだ。地下数千尺から何かしら地球のエネルギーを持って湧いて来ているのだというのが私の持論である。
だから鉄筋コンクリート,タイル張りの派手な浴槽よりも自然のままの岩風呂が好きだ。泉源から遥かに離れてパイプで引いたとか,40時間も溜め置いたとかは効力を失うと思う。温泉を科学的に合成した時代もあったがこれは無意味であろう。しかし,湯の花は源泉には及ばないにしてもそれなりの効果があるのではないかと思う。温泉の静かな環境,川のセセラギの音,海の漣の音,森林浴としてオゾンの効果などによりストレスの解消など大きな役割を持っているのだ。
病院に通院するほどでもない軽い程度を含めると痔に悩む人は多い。痔疾患には最近のハイテクトイレでも及ばない自然の川底の砂利の間から湧き出る天然温泉風呂が,痔の不快感を和らげる元祖だったのかも知れない。
色々温泉について述べてみた。鹿児島は有数の温泉地なのだ。これを活用しない手はない。最後に拙文が皆さんの参考になれば幸いと思う。

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