=== 新春随筆 ===

人口2,3 0 0万人の上海を訪ねて



中央区・城山支部  
(高見馬場リハビリテーション病院)
                 林  敏雄
写真 1 万博跡の中国館

写真 2 浦東地区(テレビ塔右が森ビル)

写真 3 森ビル100階の展望台

写真 4 展望台から西を臨む

写真 5 浦東地区の夜景(左端が青い森ビル)

 1996年の夏,北京,西安,桂林観光の後,上海から帰国したが,バンド(外灘:ワイタン)周辺を歩いただけで観光して回る時間は殆どなかった。鹿児島発着の航空便も増えたこともあり,2011年10月中旬,15年振りに3泊4日の日程で旅に出た。
 上海は市の中央を黄浦江が南北に流れ,中心部で蘇州河という細い支流を西に出し,ガーデンブリッジという鉄橋がこの河を跨いでいる。戦前,このあたりは旧英国租界で,この橋から黄浦江西岸には旧香港銀行を始め重厚な英国風の建物がずらりと並んで残り,「バンド」と呼ばれて観光名所の一つになっている。
 黄浦江東岸の浦東(プードン)地区は畑だったのが,近年凄いスピードで開発されビル等の建築ラッシュで,2010年,万博が開かれ,リニアモーターカーが市内に走る広大な国際空港が出来,世界一高い展望台としてギネスに登録されている通称,「上海・森ビル」には大勢の観光客が押し寄せるようになった。上海到着の翌朝,早速ここを訪問して,市内を一望することにした(写真1,2)。
 2008年に15年の歳月をかけて日本の森ビルが建てた492mの超高層ビルは,正式には上海ワールド・フィナンシャル・センター(SWFC)といい,79階から93階までホテルとなっている。ビルの上部は英国の軽飛行機がすり抜けたという台形の空間が空いていて,下辺が97階の,上が100階の展望台になっている。100階の展望台までエレベーターが凄いスピードで上昇し,内部の電光掲示盤に高さと階数が目の回る速さで表示され66秒で到着する。展望台は一部床も含め総ガラス張りなので,恐ろしい感じであった(写真3)。生憎の曇り日和だったが,ほぼ市内が360度見渡せた。近くは天守閣のようなグランド・ハイアットホテル,ダンゴの串刺しのようなテレビ塔,遠くは黄浦江対岸のガーデンブリッジ,その左に並ぶバンドも見れた(写真4)。プロの写真屋さんがいて,この風景をバックに写真を撮って貰った。
 夜は遊覧船の黄浦江クルージングで浦東地区のビル群,バンドの素晴らしい夜景を楽しんだ。観光船もイルミネーションで飾った美しい船など数艘が出て賑やかだった。夜景の奇麗な写真が撮れずに残念だったが(写真5),昼間,ガーデンブリッジから撮ったの(写真2)と比べると面白い。
 英米仏日の旧租界は欧米風だが,租界を免れいかにも中国らしい所といえば豫園(ヨエン)である。浦東地区から車で黄浦江の地下トンネルを通って対岸に出ると直ぐであった。昔,上海城のあった辺りで,400年前の明の時代に,位の高い役人だった孝行息子が,父親のために17年の歳月をかけて造った名園だが,完成した時には父親は既にあの世だったという。
 豫園の「豫」は「愉」に通じ,豫園は楽しい名園の意になる。現在の姿になったのは1960年頃からで,周辺は豫園商城といわれて土産物などお店が沢山出来て物凄い人でごった返しており,スリなどが多いのでガイドさんもリュックを胸の方に抱いて案内してくれた。池には錦鯉が客から餌をねだり,ギザギザの九曲橋の先に美しい湖月堂があり,現在は茶館として利用されている(写真6)。遠くに森ビルが見えていた。
 小籠包(ショーロンポウ)の元祖という店があるらしいのだが,何時も長蛇の列なので,新天地の有名店・鼎泰豊に連れて行って貰った。色々な種類があって美味しかった。10月は上海蟹(正式名:チュウゴクモクズガニ)のメスが美味しい季節で,専門店に食べに行くと,茹でた蟹をウエイトレスが一匹ずつ解体してくれて,カニミソや卵の味が絶妙だった。





写真 6 豫園の九曲橋と湖月堂

写真 7 上海雑技団

写真 8 孫中山故居前の銅像

写真 9 宋慶齢文物館前の石像


 上海といえば雑技団が有名で5ヵ所あるらしい。夜間のみの公演で予約が必要で見に行ったら満席の盛況だった。タコのように体をグニャグニャに曲げてみせる個人芸,シルク・ドゥ・ソレイユのようなハラハラする集団アクロバットや,コミカルな帽子ショー,こま回し,皿回し,一輪車,バイクなど多種の曲芸で1時間半があっという間に過ぎた。別の日に違う雑技団を見に行ったら,同じような演目なのに見せ方が違うので,二度楽しんでしまった(写真7)。 宿泊は旧・フランス租界にある日系のオークラガーデンホテルで,三越などもあり日本人に馴染み易い。近くに新天地や田子坊(タゴボウ)など,ご婦人方の喜びそうな洒落たお店が並んでいる地区もある。
 歴史的には孫中山(ソンチューザン)故居や夫人の宋慶齢故居もあるので行って見た。中山は孫文の号で,中国では専ら孫中山と呼ばれているようだ。2011年は1911年の辛亥(シンガイ)革命から丁度100年で,色々な催しが行われたらしい。彼の銅像の前では観光客が代わる代わる記念写真を撮っていた(写真8)。300年続いた清朝を倒した功績は現在も高く評価され,住まいの中は当時の客間や書斎がそのまま保存されていた。夫人の宋慶齢は宋家三姉妹の次女で(三女・宋美齢は蒋介石夫人),故居は少し離れた所にあり,車で移動した。庭には夫人の石像があり,常用していた車が車庫に納まり,隣りの文物館には東京で孫文と挙げた結婚式の写真などがあった(写真9)。
 帰国の前にガーデンブリッジ近くの浦江飯店で足指マッサージで疲れを取った。1846年創業の英国風クラシックホテルで,チャップリン,アインシュタイン,周恩来などが宿泊したらしくロビーに写真が飾ってあった。
 帰国してジャッキー・チェン主演の映画「1911」を見た。彼が演じるのは孫文でなく革命軍総司令の黄興(コウコウ)である。黄興は日本留学の経歴があり,西郷隆盛を凄く尊敬していたという。数回の武装蜂起に失敗した後,武昌で清朝の袁世凱軍に勝ち辛亥革命が成功した。孫文が臨時大統領となり,汪兆銘が起草した中華民国成立の宣言文を読み上げた。映画制作にあたりジャッキー・チェンが色々勉強したら,革命の立役者の多くが日本留学の経歴を持ち,梅屋庄吉(貿易商)や宮崎滔天(トウテン)(浪曲師)など沢山の日本人の支援を受けているのを知って驚いたという。
 今や上海は人口2,300万の大都会で,高層マンションの建築ラッシュのようだ。車も多く片道8車線の所もあり朝夕の渋滞は凄いらしい。車優先なので道路を横断する時は神業的テクニックが必要で,クラクションは鳴りっぱなしだ。国家主席だった江沢民は上海市長だったし,習近平は上海市党委書記の要職を占めていたので国家主席の椅子が待っているらしい。観光するところはまだ沢山あるので,機会があればまた行ってみたい気がする。



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