=== 随筆・その他 ===

野雪隠から洋装へ


中央区・中央支部
(鮫島病院)       鮫島  潤


 私が子供の頃,今の鹿児島中央駅の西側は広い田圃で,百姓さん達が野良仕事に励んでいた。小学校の頃になると次第に埋め立てられ家が建ち始めた。祖母に連れられ畦道を散歩していると,百姓さんがふと立ち止まって周りを見回してやおら裾を捲くり腰巻を持ち上げ,少し腰を曲げ尻を軽く突き出してシャカ・シャカと小便を垂れていた。終わるとひょいと立ち上がり何事もなかったかのように仕事を続けているものだった。広い田圃になるとまず隠れる場所がない。おばさんぐらいの年齢になると元気が良いので恥も外聞も要らない,つい野雪隠ということになるのだろう。その異様な光景はエロ気タップリものだった。思い出すとこの習慣は随分後まで続いていたようだ。
 昔から江戸の女性はおおらかで道路端で小便したくなると,道端の壁際に筒状の便壺がしつらえてあり通行人はそれを利用していた。今の公衆便所みたいだ。その排泄物を集めて百姓は畑の肥料にしていたと聞いた。また一般に日本では川の流れに排便するのを「厠(川屋)」と言っていた。日本の庶民の生活はこんな風だった。
 古来便所の操作は特に女性の場合,恥じらいと身体の防護を前提としていた。然し,和服の場合,下着は腰巻ひとつだった。習慣とは恐ろしいものだ。これで過ごしていたのだ。それが現代のパンツに代わった事件の経緯を思い出す。
 この習慣が一変したのは,日本橋白木屋大火事件(昭和7年)以来である。白木屋は当時三越,松阪屋と並んだ有名な百貨店で,当時としては豪壮な8階建てだった。既に昭和の初めにはエレベーターも回転ドアもついており客も非常に賑わっていた。ちょうど12月の年末大売り出しの最中に玩具売り場で発火しセルロイドに火が付いて急速に燃え広がった。従業員達はパニックに陥り,逃げようとして一斉に窓から次々に飛び降りた。当時まだ和服に腰巻着用の時代だったので,飛び降りるとき裾が捲くれて下半身丸見えになった。それを野次馬どもが囃し立てるので,女性達はなお慌てて折角帯を解いて掴んでいた命綱を離して着物の裾を押さえようとし,そのまま次々に転落してしまった。当時の女性の羞恥心は現代より数等高かったので,遂に惨事は大きくなった。この大火事以後,急に従業員の腰巻がパンツに代わり着物が洋装に変わったのである。当時の新聞は私も覚えている。この経緯がNHK朝ドラマ「カーネーション」に少し出ていた。
 昔の女性達が如何に排泄に苦労したかを表現した川柳がある。

*覚悟して必死 女の野雪隠
*江戸を見よ 小便などは垂れ流し
 (江戸の立小便,京の蹲踞と言われていた)
*春の野に 厠尋ねる女づれ
*何よりの 心持(こころ)こらえた尿を垂れ
*乳母の糞 穴恐ろしと蛇は逃げ

 女性が野雪隠をしていた田圃の時代の武町のあたりに多数のマンションが建ち並び,武岡を貫いて超近代的な新幹線が大阪直通で走る世の中になって感慨無量である。おばさんの野雪隠から次々に連想して,白木屋事件から洋装への変遷に及んだことを思い出す昔物語である。



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