 |
写真 1 筆者とドイツ衛生博物館
|
2006年に建都800年を迎え,「エルベのフィレンツェ」などと評されるドイツ東部の古都ドレスデンは,1710−28年に建立されたツヴィンガー宮殿やドレスデン城がたたずむ旧市街が世界遺産に登録され,観光客にとって是非訪れてみたい魅力的な都市といえよう。とりわけツヴィンガー宮殿内のラファエロの「システィーナの聖母」やフェルメールの名画などを所蔵するアルテ・マイスター美術館や陶磁器展示館などは,美術愛好家にとって憧れの的であろう。
この街には30以上の美術館や博物館があるそうだが,その1つに,歴史的重要文化施設と記録されている大変ユニークなドイツ衛生博物館がある。
私は,“Abenteuer Mensch(人間冒険)”という常設展示館が丁度開館した2004年に一度ここを訪れたが,クリスマスマーケットを見に出掛けた昨年2010年12月,再度立ち寄ってみた(写真 1)。
博物館創設から1930年頃まで
この博物館は,1893年に世界初の口腔衛生用うがい水オドール(Odol)を発明したザクセン州の富豪家カール・アウグスト・リングナー(Karl August Lingner, 1861-1916)により,1912年,衛生・健康・人間生物学といった概念を可視的に示して国民に啓発教育する目的で,当時の欧州では他に類を見ないユニークな博物館として創設された。
これは,前年にリングナー主宰で開催した第1回万国衛生博覧会の成功を受けて設立されたものである。
5月6日から10月30日まで500万人以上の観客を集めて開催されたという博覧会は,この博物館の前の公園に大きな展示館が建てられて行われた。記録によれば,「人間」をテーマに展示され,図面には,入り口を入ると,顕微鏡・筋肉・骨格の部屋に始まり,神経・呼吸・消化・分泌,性病,国民病,栄養,体育,女性・分娩・結婚など15の部屋が描かれている。
なお,この博物館の場所は,「地球の歩き方」などでも地図に記載されているが,市の中心地の聖母教会から徒歩約10分,市庁舎の東南500m足らずの創立者の名に因んだリングナー広場1番地 (Lingnerplatz 1)にある。
現在の博物館の建物は,1930年の第2回万国衛生博覧会開催のために1928年から建設が始まり完成したものである。
開館セレモニーで公開された人間の器官を透明の彫刻のように見せた初めての「透明人間」は,世界的に一大センセーションを巻き起こしたと伝えられている。
博物館の先駆的な真に迫った魅力的展示は,健康とヘルスケア領域の知識を人々に伝える上で大きな役割を果たしたと評価されている。
ナチスの人種差別時代
周知のごとく,ナチスが政権を掌握していた1933年から1945年の時期は,ナチス政権の「人種主義」政策によりユダヤ人・ジプシーなどの少数民族やエホバの証人・同性愛者・障害者などは,彼らの価値観では不潔・下等な者とみなされ,ホロコーストや断種法などで大規模な迫害を受けた。このイデオロギーは,社会・文化などすべての分野に及び,この博物館の展示物は,人種差別主義のイデオロギーを広報・普及させる役割を担った。1934年のポスターでは,明らかにアフリカ人の風貌の人を描き,「もしこの人間が断種されていたら…12種の遺伝的疾患は生まれなかっただろう」と書かれている。この博物館は,人が殺された犯罪施設ということではないにしても,如何なる人間が生きる価値があり,如何なる者には生きる価値がないかというイデオロギーの形成を助長した施設となっていたと評されている。
東西ドイツの分断・東ドイツ時代
博物館は第2次大戦で被害を受けたが,主な建物は残り,1945年には展示が再開された。
1967年には「ドイツ民主共和国・ドイツ衛生博物館」と再命名され,健康教育研究所が設立され,活動がさらに多面的で充実したものになった。
なお,誌面の関係で詳細は省略するが,博物館創設から東西ドイツ統一の1990年までの記録に関しては,後記の参考資料2(現館長著)に詳しく記されているので,関心のある方は参照されたい。
東西ドイツ統一から現在まで
 |
写真 2 ガラス製人体模型(1935)
|
 |
写真 3 博物館の特別展示標識
|
1989年のベルリンの壁崩壊,1990年の東西ドイツ統一により,それまでの健康に関する型通りの情報普及に焦点を当てていた博物館は,2004年と2005年に新しい常設展示室が開館した折に,「人間の博物館」として再編成され,科学と社会・芸術・文化の対話に関するフォーラムを提供し,科学の発展,特に生殖医学,脳研究,ナノテクノロジーに関する展示や行事を行う新装の博物館となった。
常設展示では,人体と健康に焦点を当て,歴史的にも重要な3万点以上のコレクションから選り抜きのものが多数展示されている。有名なガラス製の人体模型(写真 2)のほか,ワックス製の種々の疾病や人体の解剖・機能・構造の模型・標本などがみられる。
因みに,第1展示室には「ガラス製人間」,第2室は「生と死」,第3室は「飲食」,第4室は「性」,第5室は「記憶−思考−学習」,第6室は「運動」,第7室は「美容−皮膚−毛」と区分け展示されている。
また,児童や10歳代の子供を持つ家族にとって特に魅力的な子供博物館では,五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に関する基礎的知識を伝えるリアルで魅力的にデザインされた歴史的な展示物と共に直接手で触れて学習する種々の新たな展示物が配備され,友達や両親,教師などと一緒に対話しながら学習するように工夫されている。
博物館は,近年,訪問者の多様なニーズに対応するために,ITなども活用して多面的アプローチを行い,「透明人間」や「生と死」など自然科学・人文科学・社会科学のトピックスに関する特別展示を70回以上も行い,ヨーロッパで最も興味深い博物館を目指しているという。
なお,広大な敷地内に建てられている博物館館内には,種々の行事を行う会議場(570席,240席など5つのホール)のほか,教室,セミナー室,図書室,ミュージアムショップ,カフェ・レストランもあり,ガイドツアーなども用意されている。また,研究活動のほか,講師派遣,教師や教育関係者に対する教育プログラムの提供,関連の出版活動なども活発に行われているようである。
今回訪れた折には,2010年3月27日から2011年1月2日までは“Was ist schn?(何が美しいか?)”,2010年10月1日から2011年6月5日までは“Kraftwerk Religion−Eine Ausstellung ber Gott und die Menschen(宗教のエネルギー−神と人間の展示)”と題する特別展が開催され(写真 3),それらは,博物館の概要とともに後記のウエブサイトで瞥見することができるので,興味のある方は参照されたい。
おわりに
今回は,私も時間的関係で残念ながら詳細を見学することはできなかった。
ドレスデンには魅力的な施設が余りにも多すぎるが,時間的に余裕がある方には,是非,この博物館も訪れることをお勧めしたい。
参考資料:
1. URL:http://www.dhmd.de/
2. Klaus Vogel. Das Deutsche Hygiene-Museum Dresden 1911-1990. Michel Sandstein Verlag Dresden, Deutsches Hygiene-Museum Dresden, 2003.
|