=== 随筆・その他 ===

トイレの変遷


中央区・中央支部
(鮫島病院)    鮫島  潤
 先日NHKテレビでトイレ談義をやっていた。上品をモットーとするNHKがゴールデンタイムの人気番組でよくやるなあと思いながら見ていたが教えられることも多かった。
 10月10日を「トイレの日」というのを初めて知った。テレビで食事の場面は良く出るがトイレの話題は出たことがない。この機会に「トイレ」の問題を少し掘り下げて考えてみよう。もともとトイレは「4K(キタナイ,クライ,クサイ,コワイ)」と言って敬遠されてきた。トイレの経歴からみてみたい。

トイレの歴史
 まずヨーロッパでは,紀元前2,000年の昔,中近東メソポタミア,インダス地方,今のイラン・イラクでは既に水洗トイレが備わっていたという。ベスビオス火山の噴火で埋没したポンペイの遺跡にトイレの遺跡を見たことがある。然し,その後人口が急激に伸び,団地が出来てトイレの管理が行き届かなくなった。折角の衛生的な環境が急に悪化してきたので,住民は「おまる」に入った糞尿を2階の窓から道路に放棄する様になった。法律で取り締まっても効果がない。町は不衛生になり疫病が大流行し,そのためペロポネソス戦争(アテナイとスパルタの戦い)の時多数の兵士が死亡して遂にローマやギリシャ滅亡の原因になったという。その頃になると道路に投げ出されて積み重なった糞便を踏みつけないためにハイヒールが出来たり,2階から落ちて来る汚物防止のためにパラソルや山高帽が出来たりした。あれほど豪華なベルサイユ宮殿にトイレがなかったので,女性が立ったまま自由に用便出来るようにフラフープ型のスカート(鳥篭といった)が出来たり,垂れ流しの悪臭が酷かった為にフランスに香水が発達したという。
 折角メソポタミアの古代に発達した水洗トイレ設備も壊滅的な非衛生状態になったのだ。それは欧州で糞尿を肥料に利用する習慣がなく,つい垂れ流しになったので,例えばロンドンの国会議事堂ではテムズ川の悪臭が酷く国会議員の間で大きな問題になり,ついに大規模な予算を計上し全市内に下水道を造り,汚水を直接ドーバー海峡に流したのだという。ロンドン市内には十分に網羅した大規模な下水道が張り巡らされていることは西洋映画などで散見される。この工事から地下鉄の工事に繋がったのも面白い発想である。
 日本では縄文,弥生の頃糞尿は川に流していた。平安時代になって寝殿造りの屋敷では川の水を屋敷に引き込んでそれに跨っていた。鎌倉,徳川時代が長く,日本ではトイレを川屋,厠(川の上で排便),後架,手水(ちょうず)などと呼んでいた。
 武家時代,城の構築が始まったが不思議にトイレは堀に垂れ流しだった。即ち当分の間は野糞,立ち小便が続いた。私たちが子供の頃,男は壁際や電信柱に,女は腰巻を手繰ってシャーシャーやってそのまま立ち去っていた。我々の学生時代,寮の2階から放尿して「寮雨」と呼んだり,「万里の頂上から小便すれば,ゴビの砂漠に虹が立つ」と歌っていた。おおらかな時代で女性は腰巻だけでパンツはなかった。それを誰も不思議に思わなかったのだ。場所によっては,「小便無用」の立て札や「ちょん切るぞ」と鋏の絵が壁際に掛けてあったり,ユーモアたっぷりだった (図1)。
図 1 立ち小便禁止の札

昔から糞便を肥料に使っており,私が若い頃には鹿児島の場合は桜島,大隅方面から甲突川の武之橋まで帆掛け舟が来て,野菜を土産に家庭の便所を汲み取って行ったが,その後が猛烈に臭かったものだ。それを積んだ汚い(おわい)船の中には,錦江湾の真ん中で海中に便を流す者がいて,青い海原に黄色い流れが出来,青い空を飛んでいた鴎が一斉に集まって飛び交い綺麗な絵になっていた。然し衛生上の問題で現在は見られない。
 トイレは大体庭先に造るものだったが,次第に家の中のあまり目立たない西北方向に造るようになった。そしてトイレの周りに音消し,匂い消し,跳ね飛ばし(おつり)防止のため,杉や檜の枝を敷いたり色々工夫されてきた。今までのボットン便所から戦後次第に洋式トイレが普及され出した。ただ,床にしゃがみこむスタイルに慣れた我々は洋式に慣れるまで大分変な感じがするものだった。
 大体キリスト教系の地域は腰掛け式でヒンズー教地域は床にしゃがみこむスタイルが多かった。トルコのボスポラス海峡を境に東西に分かれていたようだ。次第に便所の環境も改善され,「ボールタップ」とか「U字管」などが出来て,防臭,逆流防止が可能になってから一層清潔で環境になじむ水洗トイレが発達して来た。洋式トイレの開発は日本が一段と優れているという。暫く和式と洋式の優劣が争われた時代があったが,ウンコスタイル(和式トイレ)は足が痺れる。立ち上がり,しゃがんでパンツ(猿股)まで脱ぎ,またはく等時間が掛かる。周囲が汚れるなど現在全国的に和式トイレは少なくなって来た。糞尿も各家庭で溜め込んでから市中に纏めて流して処理するようになり,洋の東西を問わず明るく衛生的になった。

トイレ各論
※学校のトイレ…近年学校では友達に笑われるといって,ウンコを我慢して家に帰ってからやるという問題が起こり,学校のトイレを全部大便式にして壁も高くする,擬音装置を付けるなど改良したという話を聞いた。私はこれには疑問を持つ。まず子供が便所で生理現象を果たすのを囃し立てて苛める方も悪いが負ける方も悪い。それを指導しない学校も悪い。大体今はグローバルな世の中になったのだ。将来どんな大都会に行くか,どんな僻地に行くか,砂漠に行くか,またはジャングルに行くか判らない。そこで便所の苦労をするようでは目的は成功しないと思う。どんな状態でも対応出来る度胸を持たなくては。
※汽車のトイレ…以前はボットントイレだった。穴の下から線路の上を走るのが見え,冷たい風が舞い上がってくるものだった。鉄路に便が落ちてくるのだから線路工夫は大変だったし,非常に不潔だった。今では真空バキューム式になって凄く綺麗になって清潔だ。
※飛行機のトイレ…以前は飛行機のトイレは乗務員が始末していたそうだが,現在は「ジャアー,ガボッ」と物凄い音がしてあっという間に消えてしまう。これは飛行機の外気圧と内部気圧の差を利用した汚物の吸い取り装置で機体の後部に蓄える様になっているそうだ。
※宇宙船のトイレ…限られた空間でやる処置だからしくじると糞便が部屋中にプカプカ浮くのでその研究は大切だった。男性はコンドーム,女性は特大のおしめを組み合わせた様なパンパースをつけていたが,まるで馬に跨ったままで歩いている様だったそうだ。糞便,オナラの始末改良の為にNASAでは食事の改良に必死の研究が行われた。現在どこまで進んでいるものだろうか。
※アルプスのトイレ…スイス・アルプスに登山したことがある。3,400mまでロープウェイを使って数分で登ったが,あの狭い崖の空間に世界中の人間がぎっしり登っている。雪は沢山積もるし風は凄く吹いている。人々は山頂の店で温かい飲み物を競って飲んでいる。これだけの人が小便をすればどうなるだろうかと心配になった。ところがスイス,イタリア,フランス各国が共同して研究を進めていて,皆の排便をコンピューターで操作し,濃縮し,ソーセージみたいにしてコンテナに詰めてロープウェイで地上に降ろして処置するそうだ。だからあれだけの人が群がっても山は綺麗にしている筈だ。日本の富士山が非常に汚れているのは恥ずかしいと思う。
※ロッククライミングでのトイレ…崖っぷちに2〜3日でもビバークするというが,その時トイレはどうするのか気になって登山家に聞いてみた。尿は霧になって落ちるし,糞便は遥かに見えなくなるまで落ちて行くそうだ。砂漠の平原の中でも見渡す限りの氷原でも女性はそれなりの物陰で衝立を工夫して排便するそうだ。後は鳥や獣が始末してくれるし,宇宙の輪廻の中に組み込まれた大自然満天の星空での行為がすごく気持ちが良いと聞いたことがある。
※お相撲さんのトイレ…両国国技館のトイレは凄く大きく広く,しかも頑丈に造ってあるそうだ。昔,お相撲さん(男女ノ川)がトイレを踏み破って尻を怪我し,それが元で死んだことがあるという。相撲取りは飛行機に乗った時トイレが狭くて入り切れないので,乗る前には飲食を控えるそうだ。痔の悪いお相撲さんの診察には診察台をずらさないと後ろの壁に頭を打ちつけるという経験をした。
※刑務所のトイレ…私は医局時代に刑務所に治療に行ったことがある。冷たく頑丈な石造りの監房に机,いす,便座,兼用の食台があり,それこそ臭い飯を食っていた。今刑務所は吉松に移転して国連の人権委員会の指導で冷暖房付きの個室になり,人権の尊重される有難い生活を送っているそうだ。
※オストメイトのトイレ…世の中はノーマラゼイションの時代になって障害者の人も自由に社会に出る様になった。外出先で生理現象を経験することも多い。それには車椅子で入れるし,付き添人も一緒に入れる広さが必要だ。ストーマの処置をするのに高さと幅が必要だ。色々な姿勢を取るので照明が要るし,清拭の為に温水シャワーの必要もある。このような条件を備えるには設計当初から基本的な広さを必要とする。個人的にはなかなか思う様にはいかない,まず公共的に十分敷地も取れる建造物が必要となる。最近この様な条件を満たしたトイレがあちらこちらに増設されているのは喜ばしい限りである。
※災害時のトイレ…災害時に一時に大勢の人が集まるときには数多くのトイレが必要になる。阪神災害の後は大分経験を積んで緊急の仮設トイレの設置,マンホールの利用,学校のプールの水を使うとか場所を決めて簡単なトイレまたはテントを造設して国,県,市町村で準備してある。避難民は食料衣服も必要だが,トイレの設置が一層必要だということを考えねばならない。
※公衆便所…江戸時代の昔,お祭り,花見などではトイレは風紀上も衛生上にも大事な問題だった。若い頃,中国,上海に行った時公衆便所が豚箱みたいな仕切りだったし,西安では広っぱで陽に当たりながら小便をする人も,脱糞をする人も互いに見上げ見下ろしてしゃべりながらやっているのに驚いたことがある。万里の長城ではそのトイレの汚いこと,臭いこと,開けっぴろげなこと,そして人がいっぱいで男でさえ吃驚したが,女は悲鳴を上げていた。その後政府はトイレの設置に凄く力を入れ国家旅遊局,建設省にトイレ局長を任じ,オリンピック,万博に対して監督を特に強力にして対策を立てていて,最近上海に行ったときは見違える程綺麗になっていた。欧米では公衆トイレに番人がいてチップを取っていたが,今でもそうなっているのだろうか。また,どこの駅でも女便所にはずらりと並んでいるのに,男便所はがらんとしているのをよく見掛ける。男は排尿するのに女より遥かに早く済む。女は衣服の着脱,パンツの上げ下げなど大分時間を要するのに男も女も便所の穴の数は同じだ。これは何とかして女を楽にしてあげないと,と思っている。時には元気な「おばたりあん」はさっさと男便所に入るのもいる。
 最近,旅行業者の中にアイフォン,スマートフォンを使って公衆便所のランク分けをする運動が始まっている。旅行案内にトイレを重要視する傾向になった。
 また,「馬上,枕上,厠上」といって排便の時に意外によい着想が浮かぶものだ。公衆便所の落書きにも哲学的な文章が見られるものだった。
 「七重八重糞はひれども懐に,紙ひとつだに無きぞ悲しき」
 「天皇陛下は金の糞,皇后陛下は銀の糞」
 「お尻だって,洗って欲しい」
※トイレットペーパー
 修行を積んだ偉い僧ほどお尻を拭くのに紙が短くて済むそうだ。外国では昔,ガチョウの首を股に挟んで拭ったそうだ。
 私が子供の頃,約80年前は排便後に尻を拭いたのは縄切れ,竹べら(糞ベラ),木の葉などを使っていたが後に雑用紙(落し紙)になった。初めは古新聞とか当時農村では大抵購入していた「家の光」等の農村雑誌を破って揉んで使ったが,インクでお尻が黒くなったりしたものだ。敗戦後,進駐軍によりトイレットペーパーが庶民にも使われるようになって来た。
 最初は縮緬タイプ,そして最近のトイレットペーパーは非常に柔らかく,純白色で思うところでスパリと切れるようになっているし,時には青とかピンクの色がついて香水がふきこんであるような芳しい匂いがする(これらの加工品は時にはアレルギーを気にする人もいる)。特に日本製のペーパーは柔らかく,水に溶けやすいなどの特性があり,至れり尽くせりの上質ペーパーになっている。その代わりそれだけの紙を作るには莫大なパルプを使い森林環境を破壊,地球温暖化を促進している。また大量の水を使い,大量の薬品を使って水を汚し環境を汚染している。
 大体トイレットペーパーは世界共通で巾11cm,長さは用途によって55,60,130mに分けてあるそうだ。正常の時は手にペーパーを4〜8重に巻いた位の見当,90〜100cmぐらい。必要にして十分なペーパーを使う。念の為に付け足すが,水洗便所にティシュペーパーを使うと水にほぐれずに詰まってしまう。
※トイレの虫たち…今でこそ殆ど水洗トイレになってボットントイレは見られないが,昔の思い出を少し話しておこう。「クライ,クサイ,キタナイ,コワイ」のボットントイレには蝿(イエバエ,キンバエ),ゴキブリ(ワゴン,チャバネ),蚊(オオクロヤブカ,トウゴウヤブカ,トラフカクイカ)などがわんさか群がっていた。ウジムシがウジャウジャわいていたり,尻を蚊に刺されたり散々な目に合ったものだ。今のトイレは有り難いものだとつくづく思う。

 トイレに関してその変遷と辛かった昔の思い出話を記してみた。若い諸君の参考にして頂ければ幸いである。



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