=== 新春随筆 ===
出会いと別れ
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鹿児島大学医学部保健学科
総合基礎看護学講座 教授
八代 利香
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姉の嫁ぎ先の母親から,入院中の甥の病状を見てきて欲しいと依頼を受け,その方が療養する病院を初めて訪ねたのは,昨年10月12日のことでした。遠戚である50代の男性に,どのように挨拶をしたらいいのか最初不安もありましたが,彼は「親戚ですね」と屈託のない笑顔を見せてくれました。そして現在,現役の校長先生であること,先の運動会は雨模様が続き,朝から気が休まらなかったこと,運動会などの行事の後は家に地域の方々が集まって宴会になることなど,初対面の私にいろいろな話をしてくれました。目を輝かせてお話されるその姿からは,彼の仕事に対する熱意が伝わってきました。また,その素直で誠実な人柄は短時間の会話でもすぐに見抜くことができました。
しかし,せっかく出会えたすばらしいその方は,11月27日にこの世を去られてしまいました。出会ってから1ヶ月半後のことであり,お会いした総時間数はわずか3時間ほどでした。状態があまり思わしくないことは分かっており,短時間のかかわりであったにもかかわらず,自分でも理解できないほど悲しみは深く,気付くと涙があふれています。亡くなる前日の夕方には,9回目の面会をし,親子3人水入らずの空間に入らせていただきました。そして,私との関係を質問された看護師さんに「そうなんです,親戚なんです」と屈託のない笑顔を見せられたのが最後となってしまいました。亡くなられたその日は,一時退院となり家に帰られる日でもあり,3日後には他院への転院が決まっていました。
現役の校長という立場から,お通夜,葬儀とも参列者であふれ,児童の姿も多数ありました。校長室は子どもの遊び場のようであり,校長先生は子どものよき友であったと聞きました。校長先生との修学旅行の思い出を語った6年生児童のお別れの言葉に,参列者の誰もが涙していました。参列者の誰もが,すばらしい恩師である校長先生との別れを惜しまれていました。また,最期まで泊り込みの献身的な看病をされた奥様は,校長夫人として,気丈に,またご立派にその役目を果たされていました。
私にとって,病院で初めて出会う人は,今まで看護師の立場からの患者さんしかいませんでした。そして,出会った患者さんの最期を幾度も看取りました。息子さんの小学校卒業式までがんばると闘病していた30代の母親が,卒業式当日の朝に亡くなり,ご主人と泣きながら死後の処置をしたこと,業務が忙しく,同僚を待たずに一人で高齢男性の死後の処置をしたことなど,看取った患者さんのことは忘れることがありません。そして,人生最期の大切な場面での自分の看護への自問は,20数年経った今でも断ち切れることはありません。医療従事者は,その患者にとって最後に出会う人となるかもしれず,人生で最も大切な臨終の場に立ち合わせていただいているのだと改めて思い知らされました。
今回の出会いは,看護師としての立場からのものではありませんでしたが,もしかすると,私はその方にとって最後に出会った人であったかもしれません。もう少し早く出会っていたら,もっともっといろいろなことを教えていただけたのではないかと悔やまれます。また,誰からも愛され,尊敬されていたその方が最後に出会うにふさわしい人間だったのかと自問します。1ヶ月半という短い付き合いではありましたが,この短い間に実に様々なことを教わり,気付かせていただきました。
亡くなられた前日,「次の病院にもお見舞いに行きますね」と言って病室を出た私は,その方が3日間の退院中に体調を崩されないか,次の病院ではどのような治療をされるのか,そのことだけを考えていました。その瞬間が最後の別れになるなど思ってもおらず,きちんとした挨拶もすることができませんでした。そのことが私の悲しみを一層深くさせているのかも知れません。人間は,いつか死ぬために今を生きているのであり,その死は誰にも予測することはできません。これからは,人との出会いと別れを大切にし,その方が身をもって教えてくださったことを自身の人生に生かし,教育活動に還元していくことで恩返しをしたいと思っています。
最後になりましたが,献身的に治療してくださった医師,看護してくださった看護師,その他病院スタッフの方々に深く御礼申し上げます。

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