私は若い頃,直腸鏡検診に従事していた。当時はまだ直達鏡の時代だったので挿入の時,患者さんも痛がるし診る方も大腸のほんの入り口を覗くばかりだった。然しその後,ファイバースコープなるものが出来て自由に内部を覗けるようになった。それで回盲部まで診ることが出来た。それに何分掛かったと競争していた。ファイバーで直腸,上行結腸,下行結腸と辿りながら,腸内の異常を発見しポリープ,癌,潰瘍性大腸炎,クローンなどを見てその神秘に感動していた。現在では内視鏡で手術までやる時代になっている。そのせいか私はいつの間にか内視鏡検査をしながら地球の内視鏡検査として洞窟(鍾乳洞)を覗くのが好きになってしまった。
穴を覗くと言うのは神代の昔,天照大神の天岩戸の神話があり,今でも吾平山陵,鵜戸神宮として洞窟を崇め祭られたり,戦時中では洞窟に篭もって空襲,又は敵の襲来から命を救われた経験もある。もっと自然的な物として鍾乳洞探検がある。人間の癌,潰瘍等の変化は僅か80年の人生での変化であるのに鍾乳洞は数億年,数千万年の変化である。これらの累積が装飾みたいになっての変化,造型は誠に美しい。
私の鍾乳洞見物は50年ぐらい前から逐次,南は沖縄から北は岩手まで全国7箇所の鍾乳洞を巡って来た。各々特徴があるのでそれを紹介したい。
沖縄・玉泉洞(ぎょくせんどう)
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写真 1 玉泉洞
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写真 2 玉泉洞
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写真 3 球泉洞
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写真 4 秋芳洞
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写真 5 龍泉洞
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写真 6 弥生時代の生活の様子(洞窟内)
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写真 7 鍾乳石や石筍
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約3億年前から沖縄の珊瑚礁の地殻隆起と二酸化炭素を含む雨水の侵蝕により出来たのを特に鍾乳洞と呼んでいる。天井からは無数の鐘乳管(ストロー)が下がっている。数万本はあるだろう。怖いぐらいである(写真1)。内地の古代石灰岩に比べて琉球石灰岩は成長が早いそうだ。それでもこれが1mm伸びるのに凡そ70年かかるという。然し水量,水質,形成場所などの条件によりその成長は伸縮されて画一的ではない。洞窟の一部の壁面は流華石といって一面滑らかな膜で覆われている場所もある(写真2)。中には無数の石筍が林立する東洋一の広い空間もあり実に見事である。鍾乳石や石筍が如何にも癌腫瘍や潰瘍に似ていることもあれば女性の乳房に見えることもあり,男性のペニスに似ていることもある。それらはその意味の信仰の対象になったり,子宝を授かると信じられることもある。玉泉洞の近くに珍珍洞とか満満洞とかあるそうだが行ったことはない。
何しろ私が最初行ったのは40〜50年ぐらい前であるから,周囲は非常に原始的で熱帯特有のジャングルだった。インターネットによると現在では洞の入り口は文化村として近代的な店が建ち並び大分俗化しているらしい。洞内は年間通して16℃に一定した温度であることを利用して,洞の出口の近くには古酒を保存して売買している。商魂たくましいといえる。
沖永良部・昇竜洞(しょうりゅうどう)
深さ3,500mと割合規模は小さいが約600mが一般に開放されている。大分不便な所にあるだけに人の手が加えられていないのが救われる。
大自然の神秘的なままで地底のオブジェだ。周囲は多数のカルスト特有のドリーネがあり,200〜300もの鍾乳洞があるそうだ。然し人によれば煌く鍾乳洞は日本一美しいと表現しているが,私は時間の都合でそれに気付かずに早く引き揚げてしまってそれを見なかった。いつか再訪問してみたい。
熊本県・球泉洞(きゅうせんどう)
急流で名高い球磨川の辺りにある。一般的に楽に行けるファミリー型とそれから奥にはキャップや靴などを借りて案内人がついて奥に進む冒険型がある。激しい滝の音と川の流れが印象的だった(写真3)。
大分・風連鍾乳洞(ふうれんしょうにゅうどう)
山奥の森の中に目立たない鄙(ひな)びた一画があった。その洞窟の奥は意外に深い。鍾乳洞に達するまでは人工のトンネルで進む。鍾乳石(つらら)が細い。日本で一番美しいと言う人もあるが,他の場所と同様に個人の主観があるだろう。洞の出入り口は私が行った当時は何も無く只の藪だったが,今では周囲に売店などが出来たりして賑やかな街になっているらしい。
山口・秋芳洞(あきよしどう)
日本三大鍾乳洞といわれるが流石に規模は日本一だろう。古く南北朝時代から知られていた。今までは「滝穴」と呼ばれていたが,昭和天皇が東宮時代に行啓になり,洞の正式な名前を秋芳洞と決められたそうだ(特別天然記念物に指定)。奥は5,000mというが探検次第ではまだまだ奥があるらしい。水を湛えた段々畑の様な百枚皿は大腸の潰瘍を思い出すし,また積もり積もって棚田の様な畦石(あぜいし)を形成したり,それに水を溜めた畦石池を形成したりしている(写真4)。千畳敷は大腸の弛緩した空間を思う。水神の棲家といわれる豊富な水の流れは急性大腸炎を思わせる。癌腫瘤に似た隆起もあったり,見る所が多い。最後はエレベーターで地上に出るようになっていた。地上は秋芳台といって大規模カルスト地帯になっている。沖永良部の昇竜洞の大規模なものだと思う。何回か行ったが,秋芳台も時代の波に呑まれて行く度に周囲が開発され,以前の荘厳さが失われて行くのは淋しい。
高知・龍河洞(りゅうがどう)
これも日本三大鍾乳洞に数えられる。高知空港に近い。洞内は身体を曲げて通ったり,這うようにして狭い所をすり抜けたり起伏の激しい所だった。峡谷型通路として狭くて人が並んで通れず一方通行なので,約1,000mの洞窟を疲れたから途中から引き返すわけに行かず,同行のY氏が途中で痔発作を起こして座り込むのを無理して押したり牽いたりして,散々苦労してやっと出口に辿り着いたことを思い出す。
此処の洞内に弥生人が住んでいたという証拠に神の壷といって弥生式土器,人骨が鍾乳石に埋まっている。同じ様な事象は岩手の龍泉洞でも見られた。高齢化社会の傾向として,最近は若い人ばかりでなく老人の観光客が多い。その為に最近はエスカレーターまで設置されたという。昔,藪から入って藪に出て来たことが,やっと探検したという達成感があって太陽の光を浴びたのが懐かしい。
特に思い出すのは洞の出口の付近で見事に長い尾羽根を誇る優美な尾長鶏と対称的に誠に獰猛そうな土佐犬の展示があった。いずれも土佐の名物で天然記念物になっている。今もあるだろうか?
岩手・龍泉洞(りゅうせんどう)
これも日本三大鍾乳洞といわれるが確かに規模が大きい。非常に高低差があり幾多の階段を上り下りするのが大変酷(きつ)かった。然し階段は非常に頑丈に出来ており安心できた。世界一深い地底湖で280mもある。その透明度も世界一で41.5mと言う。滔々と流れる滝とともにその青い澄み切った湖の神秘に心を洗われた(写真5)。湖の水は高い硬度のミネラルウォーターでペットボトルに詰めて飲料として商品化されている。洞窟内に弥生時代の人物が住んでいたという食器の化石や当時の家族の人形の生活がモデル化されて印象的だった(写真6)。数億年の石の囁きが聞こえるようだ。この雰囲気はいつまでも残して置きたい。鍾乳石や石筍が如何にも癌腫瘍や潰瘍に似ていることもあれば乳房かペニスを思わせることもある(写真7)。
今まで私が見学して来た鍾乳洞を挙げたが何億年,何千万年掛かって出来た鍾乳洞がいずれも次第に人工の手が加えられて何となく尊厳性が失われて行くのは残念だ。それでも私は人間の僅か80年の人生での病変と鐘乳洞の数億年の変化を比較しながら,内視鏡検査と鍾乳洞見学を続けて行くことだろう。

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