=== 新春随筆 ===

       (年)男の抱負
(S38年生)


西区・伊敷支部
(竹元クリニック)
 
竹元 雅一

 皆様,新年明けましておめでとうございます。昨年4月,2回目の鹿児島市医師会医報編集委員を拝命し編集委員2期目となりました。今年4度目の年男を迎えるにあたり,編集委員長の上ノ町先生より年男としての所感を投稿するようご指示があり,少し戸惑いもありましたが,一筆(年)男の抱負を書くこととしました。
 さて書くと決めたのはよいものの『年男とは何か?』という問いに行き詰まり,まともな回答を持たない有様で,早速ネットで検索をかけてみました。12年に一度,自分の生まれた干支の年が年男にあたるということぐらいは知っていましたが,それ以外の知識は皆無でした。ウィキペディアによると,年男とは『正月を中心とした家族行事の主役を務める男性』を指すようです。特に正月は,一家の行事すべてを年男が取り仕切り,正月が近づいた暮れの大掃除をはじめ正月の飾り付け,元旦の水汲み,年神の供え物を整えたり,お節料理の準備など一切を取り仕切ったとあります(なんと年男とは,その年の雑用係ではありませんか)。また節分の豆まきも仰せつかるそうです。これもなんとも納得のいかないものであります。家では専ら豆まきの時は,子供から豆を投げつけられる鬼の役を担っている男性は多いのではないでしょうか(当然,私もそうです)。この年ばかりは鬼役を卒業して豆まき係になり,思う存分豆を投げつけてやろうとひっそり計画を練ることとします。要するに,その家の長,大黒柱としての責任を全うする,それが年男ということですかね。ただ,悲しいかなそれは何も年男の年に限ったことではなく,開業医となった今,毎年同じ責務を背負い込んでしまっています。この厳しい経済情勢の中,決して医療業界も左団扇とは言えず,開業以来マイナス改定が続く診療所の主としては,毎年が勝負,毎年が年男,なんてことになっているのです。
 自分なりに年男の定義を理解したところで,年男としての感想を述べたいと思います。まず感じるのが12年を一区切りと考えて,どう自分にとって都合のよい解釈をしたとしても4回目の年男は48歳であり,自分の人生の半分以上は既に費やしてしまったという受け入れがたい事実であります。つまり,我が人生の残り時間は,一般的に考えて中間地点は過ぎており,復路に入ったということです。では,往路での自分は人に誇れるだけの度量なりを蓄えたかと言われれば,答えはもちろんノーです。諸先輩方などの足元にも及ばないというのが実感です。せめてこれぐらいは出来るようになりたかったという希望は沢山ありますが,これだけは人に出来ない自分だけのオリジナルと言えるものは皆無に等しいです。これが,3回目くらいの年男だとまだ言い訳もできそうですが,さずかに4回目ともなると取り繕えないなぁとつくづく思います。年男は自分の人生を考える節目の年なので,これまでの自分を反省し,今後の目標を立て直すよい機会としたいです。
 次に年男としての希望ですが,やりたいこと欲しいものなんてのは,この年になっても沢山あります。人生,復路に入ったとの自覚も芽生えたところで,まだ一度もチャレンジしたことのないことをどんどんやりたいと思います。遊んでばかりと叱られそうですが,スキーやダイビングなど今までやれなかったことを,時間をとにかく作り出して一昨年あたりから少しずつトライしています。仕事の面でも,少しずつでも患者さんの喜ぶことを頑張ってやっていきたいです。そして誰かの足を引っ張ることなく,社会の一つの歯車として上手く自分が機能することを心がけたいと思います。望むらくは,自分たちの思いが少しくらい反映された医療環境が整って欲しい,それが今の大きな希望です。
 最後に年男としての今年の抱負を一言。卯年だから,うさぎのように,ぴょんぴょん跳びはねて大きくジャンプ,そう“飛躍”です。今まで足りなかった分を少しでも取り返すために大きく“飛躍”して,自分なりの夢へ突き進んでいきたいと思います。いろいろご迷惑をおかけすることと思いますが,関係各位の方よろしくお願い申し上げます。




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