=== 随筆・その他 ===
「抗うつ薬は本当に効くのか」を読んで
プラセボ効果を考える(その4)
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私は専門外で,抗精神薬について論じる資格はまったくない。ただ最近,「抗うつ薬は本当に効くのか」という本を読み,自分自身,かなり驚くと共に心が動揺したので,「プラセボ効果を考える」というエッセイ・シリーズの最後をこの本の感想で終りたいと思った次第である。著者はI. カーシュという英国の臨床心理士である(石黒千秋訳,エクスナレッジ)。職業がら,向精神薬の効果に辛くなるのは当然であり,著者の主張を鵜呑みにするのは公平でないのは承知の上で概略を紹介したい。たとえ反対の立場の主張であっても,どうせ読むのなら,なるべく著者の主張を理解するよう努めなければ読む意味がないと考えているからである。今回も自分の考えは一応おいて,著者の論理を追ってみた。
著者は,発表された論文だけでなく,新薬認可の機関に提出されたデータも入手して,SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors)等の新しい抗うつ薬の臨床試験のデータを分析し,以下のような結論を出している。すなわち,多くの抗うつ薬の臨床試験では,実薬と偽薬の作用に小さいながら有意差が見られる。しかし,薬効を判定する医師も,試験に参加する患者の多くも,副作用によって実薬に割り当てられたか,偽薬に割り当てられたかを探りあてることが出来る。そして副作用を自覚すればするほど,抗うつ効果が大きくなる。この効果を差し引くと,臨床試験のほとんどで実薬と偽薬との薬効の差はなくなるという。著者が臨床心理士であることから,ある程度割り引いて考えねばならないだろうが,臨床試験データの読み直しの必要性については著者の主張は正しいように思える。専門家には承知済みのことなのかもしれないが,素人医師の私はうろたえるほどに驚いた。まだ三環系抗うつ薬が主体だったころのことであるが,大学の一内科外来で軽症のうつ患者の診療を行っていた。そのころ,抗うつ薬の効果を信じて患者に処方していたし,今でも,抗うつ薬は絶対に効くからと患者を説得して,精神科を受診するように薦めているからである。
抗うつ薬が本当に効かないのであれば,この薬効を元に組み立てられたうつ病の病因に関するニューロ・トランスミッター説も考え直さねばならないことになりそうである。そういえば,もう一年ほど前に読んだ(今手元にないので正確な書名も定かでないが)「精神病は脳の疾患か」という本では,向精神薬の効果とニューロ・トランスミッター病因論を比較的公平な立場で解説した後で,そうはいっても,臨床試験のほとんどが薬品会社の資金で行われていること,世界中で莫大な数の人々が抗うつ薬を服用しているにもかかわらず,うつの患者が減らないことなどから,向精神薬の薬効についてもう少し反省が必要だという主張だったように記憶している。
I. カーシュは英国の臨床心理士らしく認知行動療法の有用性を主張しているが,抗うつ薬の効果の評価という医学上の問題はともかく,現在,多くのうつ病患者は薬の投与も含めた精神科医の診療環境に守られて,どうにか寛解ないしは軽症化を得ているようである。抗うつ薬が効かないということが患者の知るところとなることが,多くのうつ病患者にとって幸せなのかと考えると,これも怖くなるほどである。薬効判定の困難さ,プラセボ効果の大きさを考えさせる著書であった。

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