随筆・その他
新幹線のこと
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北区・上町支部
(くぼた内科クリニック) 窪田 一之
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♪ビュワーン ビュワーン はしる あおいひかりの ちょうとっきゅう じそく250きろすべるようだな はしる ビュワーン ビュワーン ビュワーン はしる
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写真 1 初代新幹線0系
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我々が小さい頃、テレビでよく耳にした唄だ。ある程度以上の年齢の方はみなさんご存じでしょう(小生昭和33年生まれ)。「とんでくようだな はしる」と記憶していたが、これは2番の歌詞らしい。高度成長期の象徴だった新幹線。この唄を聴くだけでわくわくしていたのを思い出す。
新幹線はこれも戦後日本からの脱却の象徴、国民全体が奮い立った東京オリンピックの年に開通した。みんなが希望をもっていた、最近よくいい時代として描かれる昭和の頃だ。現在は超特急という言葉もあまり使われなくなった。夢の超特急があまりにも一般的になったためであろう。幼少の頃は新幹線の運転士があこがれの職業だった。しかし、東海道新幹線というのは鹿児島に住んでいた自分にとって、遠い、夢のような存在でもあった。
その新幹線が6年前に九州の鹿児島中央〜新八代間で部分開業し、来年春には全線開通しようとしている。まさに正夢、驚愕の実現である。ほんの20年くらい前までは、まさか鹿児島に本当に新幹線が通る時代が来るとは想像もしなかった。もちろん誘致運動はあったし、真剣に考えている人はたくさんいた。しかし、飛行機が発達した現代では、スピードで勝負はできないと思っていた。もちろん、鉄道派の私にとって新幹線開通は夢であったが、それだけに現実味の薄いものであった。
私は新幹線の運転士にあこがれる程、乗り物、とくに鉄道が好きであった。中学時代は同級生と日曜日になると、朝6時半、西鹿児島発のSL牽引の列車に乗り、昼過ぎまで吉松機関区周辺をうろちょろして、写真を撮って帰ってくるという、SL追っかけ少年だった。最近は「てっちゃん」という言葉がはやり、ちょっと前まではオタクと呼ばれた鉄道ファンも市民権を得た感があるが、当時から気合いの入ったマニアは存在し、我々はその猿まねのようなものをしていた。当時、九州はSLの宝庫で長期休暇の頃になると全国からマニアが押し寄せていて、筑豊地方やこの南九州もSLの走る沿線では、たいへんな賑わいをみせていた。それはそれで地方もそれなりに華やかな時代であった。開通後に大隅線と改称される国分新線が海潟〜国分間で開通し、大隅半島をぐるりと一周する線路が完成したのもその頃である。(わずか15年後には廃線になるが…)私はまた一方で、夏休みと春休みは毎回のように弟と二人で寝台列車に乗り、大阪の親戚の家におしかけていた。私が初めて新幹線に乗ったのもその時で、1972年に部分開通したばかりの山陽新幹線、岡山〜新大阪間であった。岡山駅を出てすぐの右カーブを車体を傾けたまま、すごい加速で走り抜けていったあの感動は忘れられない。それ以来のスピード狂である。
世に言う「てっちゃん」は普通の乗り方をしてはおもしろくないというのが、モットーのようである。私は鉄道ファンだが「てっちゃん」とは違う。普通の鉄道を普通に乗って、非常に満足である。ただ、普通に乗ってもより楽しみたいとは思っている。マニアには各駅停車の旅が楽しいという人が多いが、私は特急や新幹線の旅が好きだ。福岡に出張のときなど、もちろんJRを使うが、大阪へ行く時も九州新幹線部分開通後は、時間的余裕があれば新幹線で行くようにしている。この往復が楽しみで学会に行っているようなものだ。
私は列車の中で寝ることはまずないし、本もほとんど読まない。乗る前にお酒、おつまみ、弁当をしっかり用意する。できればボックスの氷も買う。鹿児島から乗るときは、鹿児島中央から新八代までは缶ビール1本とかるいおつまみで済ませる。新八代からリレーつばめに乗り換え、これからが本番、ここはちょっと贅沢をしてグリーン車に乗る。グリーン車はひとり座席があり、隣に気兼ねしなくてすみ、普通車に比べて非常に静かだ。ここで折りたたみテーブルを出し、準備したおつまみ、お寿司などのお弁当を広げる。あとはそれをつまみながら、ひたすら外の景色を眺め、そのときの気分で、焼酎、日本酒、ワインなどをちびちび飲み続ける。1時間40分があっという間だ。土曜の夜の便などグリーン車にほとんど人が乗ってないことがあり、思わずニンマリしてしまい、酒が進む。テーブルの上に氷までセットして、つばめレディーには多分冷たい視線で見られているだろうが気にしない。博多で降りる頃には結構酔っぱらっていることがよくある。しかし、この酔っぱらいに気を留める人は全くいないので、心配ないのである。
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写真 2 「さくら」仕様のN-700系7000番台
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これが飛行機だったらこうはいかない。搭乗している時間の半分もくつろげる時間はないし、帰りはたいがい空港から車を運転しなくてはならないので、酒も飲めない。ただ現在の九州新幹線は全線の70%はトンネルで、実感としては90%闇の中だ。まるで地下鉄でおもしろくない。そして山陽新幹線に比べると遅い。だから、来年の全線開通に期待している。
今年12月に一足先に東北新幹線の八戸〜新青森間が開通し、全線がつながる予定である。そして来年、九州新幹線が全線開通すると、鹿児島から青森まで新幹線がつながることになる。これは1995年に加久藤トンネルが開通し、鹿児島から青森まで高速道路がつながってから遅れること16年ということになる(よって今回も青森に後れをとったこととなる、しかも伝統の愛称「はやぶさ」をとられてしまった)。もっとも東京駅で東海道新幹線と東北新幹線の線路は実際にはつながっていないので、正確には一本につながるわけではない。
九州新幹線全線開通時には、現在「のぞみ」に使用されているN700系を改良した「さくら」が、鹿児島中央〜新大阪直通として運行される。指定席は現在の「ひかりレールスター」のグリーン車と同じ左右とも二人がけになるようだ。新幹線は標準軌といって、レールの幅が在来線より広いので、横4人並びでも広い座席となる。ちなみに現在の新幹線800系「つばめ」は、全車この広い座席だ。このゆったり座席に座って、約4時間乗り換えを心配せずに、我が悦楽の時間に浸れるというのは非常に楽しみだ。ただ、JR九州のオリジナリティーを発揮した800系の車両の存在が薄くなっていくのが否めないのは、残念なところではあるが…。
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| 写真 3 電車寝台として活躍した583系 |
学生時代は関西方面には寝台列車で行くのが定番であった。当時活躍していた583系という電車寝台(きりしま、月光など)は下段が窓を独占できる造りになっており、酒は飲まなかったが一晩中起きて車窓を眺めていた。今考えると個室に等しい贅沢な寝台だった。
しかし、仕事に追われるに従い飛行機を使わざるを得なくなってきた。旅の往復は移動するだけのつまらないものになっていた。でもまた、来年からは旅の往復の楽しみが増える。寝台ほどの味わいはないが、高速で窓の外の景色が駆け抜けるバーの特等席が待っているのだ。
みなさんも味気ない出張の往復を楽しいものに変える工夫をされてみてはどうだろうか。
| 次号は、うえの耳鼻咽喉科クリニックの上野員義先生のご執筆です。(編集委員会) |

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