=== 随筆・その他 ===
若気の至りで 名医になれなかった話
プラセボ効果を考える(その1)
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医師になってまだ日も浅く、いわゆる無給医局員の時代、城山町にあった当時の大学病院の裏口からすぐの病院で非常勤医師として働きながら、細々と食べさせていただいていた。1週間に1回、午後からの外来診療と20人ほどの大部屋の結核患者の主治医役が仕事だった。大学から近かったこともあり、ちょっと時間を見つけて毎日患者を回診出来たのはありがたかった。隣の同じタイプの病室の患者は、大学も同級、医局も一緒だったA医師の受け持ちだった。まだいわゆるヒドラ、パス、ストマイの三者による化学療法が主体だったころである。パスは1日に10グラムと服用量が多く、飲みにくい上に胃腸障害も強く、こっそり捨てている患者が多かった。
そのころ、新しい胃の薬が開発、発売され、テレビでのコマーシャルのためか、患者もその評判を知っていたのだと思う。仮にB薬としておく。患者からの申し入れがあった。「A先生の受け持ちの患者さんはBという大変いい胃薬をもらっている。自分たちにもB薬を是非処方してほしい」との事であった。
まだ日本には臨床薬理学の専門家もほとんどいない時代だったが、私は妙に薬の効果について厳密に考える悪弊(?)があった。しっかりした比較試験を経ていない薬を信用できず、すぐ新薬に飛びつくことを避けて、効くかどうか、重大な副作用はないかなどと考えて、発売後数年間は様子を見ようとする傾向があった。
したがって、B薬に対しても大きな期待は持てず、自分の受け持ちの患者に処方することはなかった。そうはいってもせっかくA医師の受け持ちの患者が服用して具合がいいと言っているのだから、黙って自分の患者にも処方しておけばいいものを、そこは若気の至りで、自分で有効と思っていない薬を患者に処方する気になれず、わざわざ「あんな薬が効くわけがないよ」とまで言った。「それでも」と希望する患者たちに「どうせ効かないと思うよ」とまで付け加えて処方したと記憶している。
A医師は自分でも有効だと信じており、自信をもって患者に勧めて処方しているのである。自覚症状でしか効果を判定できなかった胃腸薬であれば、A医師の患者には有効だったB薬が、私の受け持ち患者にはほとんど効果を見せなかったのはあまりにも当然のことであった。
その後の再評価でB薬は薬効が認められずに処方薬から姿を消した。医学的には私のほうが正しかったとはいえ、今でもこのときのことを思い出すと、患者に申し訳なかったと忸怩たる思いに駆られる。
医療とは、学問的に正しい診療を行うことではなく、あくまでも患者のために役立ってこそ存在意義がある。そういう視点ではどう考えても、友人のA医師のほうが、理屈をこねてかたくなだった私よりもはるかにいい医師だったことは間違いない。少しは反省しているものの、今なお効果がはっきりしない薬をプラセボ効果を期待して積極的に処方できるようにはなっていない。
いまだもって名医になれないでいる次第である。

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