無性にマカオに行きたくなる時がある。香港から高速船で1時間、1887年に清からポルトガルに割譲され、1999年に中国へ返還された。現在は中国特別行政区。世界有数のカジノの街、と説明した方が分かりやすいかもしれない。あの、マカオである。
初めて行ったのは、20代後半。3泊4日、うち2泊が香港、マカオは1泊だったと思う。当時、今では「若者の旅のバイブル」と称される沢木耕太郎さんの「深夜特急」(新潮社)が発刊されたばかり。たまたま本屋で手にし、たちまち沢木さんの旅の世界にひきこまれた。なかでも香港、マカオの魅力は出色で、居ても立ってもおられず、休みが取れるとすぐに旅立ったのだ。
初めて足を踏み入れた現実の香港、マカオは期待を裏切らなかった。「深夜特急」が描く時代からかなりの歳月がたっており、沢木さんの歩いた街とは異なっていたはずだが、雰囲気は本の中のまま。風景、人、食、すべてが興味深かった。ひと言でいえば、喧噪の香港、静寂のマカオといったイメージだったか。似ているところも多いが、間違いなく違うふたつの街。日本と異なるアジアのにおい、混沌に満ちていた。
以来、連続4日間以上の休みができ、金銭的に許せば、香港行きの飛行機に乗った。そのころは鹿児島と香港を結ぶ直航便があり、格安航空券は国内旅行並みの価格で手に入った。宿も豪華ではないものの、快適にすごせるところが現地で安く調達できるのだ。
旅行は大好きだ。自分で計画し、自分のお金で初めて出かけたのは学生のとき。当時、アルバイトの稼ぎの多くは生活費に消えたが、一部を旅費に回した。一部とはいえ、学業よりもアルバイトに割く時間が多かったので、北海道10日間、アメリカ1カ月という「豪勢なビンボー旅行」も実現できた。
あのころ、時間だけは十分にあった。サラリーマンになって、学生の時にもっと旅行にいけばよかったとたびたび悔やんだ。「深夜特急」を読んで以降、後悔する頻度は大幅に増えたが、後の祭り。それでも、何とか時間をひねり出した。休みが少し長く取れると、香港を拠点にタイ、マレーシア、フィリピン、インド、ネパール、バングラデシュにも足を延ばした。
それほど好きだった香港、マカオから遠ざかったのは、鹿児島からの香港直航便がなくなったことが大きい。今考えると夢のようだが、日本系と香港系の航空会社が同時に飛んでいた時期もあった。2008年4月には香港系航空会社が5年ぶりに新規就航し、これでまた香港が近くなったと喜んでいたら、乗る機会がないまま1年後には撤退してしまった。香港の人気自体が下がっているのは間違いない。現在、香港へは福岡からも直航便はなく、台湾経由が一般的。鹿児島から直航便があるソウル、上海経由でも香港には入れるが、時間的にも金銭的にも負担が大きい。
それならと、韓国に出かけるようになり、今度は韓国にはまってしまった。ここもアジアのにおい、混沌に満ちている。韓国料理も口に合った。物によっては日本より安いので、買い物も楽しい。なんと言っても鹿児島からソウル直航便があり、費用は香港旅行の半額以下、格安ツアーならさらに安い。
福岡経由で香港に行くなら、海路で釜山に行く方が得だと考え、高速船で渡った釜山も刺激的な街だった。香港、マカオに行くなら休みは4日間は欲しいが、ソウルなら3日、釜山なら2日あればそこそこ楽しめる。パスポートから香港、マカオの入国スタンプが消え、韓国一辺倒になるのに時間はかからなかった。
話がそれた。韓国も大好きなのだが、今回のテーマはマカオ。韓国の魅力の紹介は別の機会に譲って、本題に戻る。
当初、滞在する時間は香港の方が長かった。だが、そのうちマカオの比重が重くなった第一の理由は、宿代が安かったからだ。マカオには安宿もあるが、プールがついたちょっとしたホテルでも香港の数分の1、日本の地方都市のビジネスホテルの料金で宿泊できる。
マカオ料理が絶品だったことも大きい。香辛料の効いた肉、魚料理だけでなく、イワシを焼いただけの物でもおいしく感じた。中国各地やタイ、日本料理などのレストランも多く、おおざっぱに言えば、1日1万円あれば、ホテルに泊まり、観光をし、バラエティーに富んだ3回の食事ができる。ビールの値段は日本の数分の1。ポルトガル産を中心にワインも安く、種類も多い。夜の食事はアルコールをたっぷり飲んでも料金はさほど気にしなくていいのもうれしい。
なんだ、安くてメシがうまければいいのか、と思われた方もいるだろう。そう、それでいいのだ。旅行先を選ぶとき、値段と食べ物、これは絶対に外せない私の基準だ。もうひとつ付け加えると、香港よりもマカオの方が落ち着ける。マカオを流れる時間の方がゆったりとしている。たまにしかない連続休暇を過ごすには打ってつけだった。
というわけで、3泊する場合、次第に2泊がマカオで香港1泊、もしくは3泊すべてがマカオに変わった。ただし、香港も大好きなことに変わりはなく、到着日と日本への帰国日に時間を取って街に出る。例えば、ビクトリア湾を行き交うスターフェリーに乗り、廟街という街路で開かれるナイトマーケットをのぞく。これだけでも、香港に来たかいがあると思えるぐらい満足できる。
マカオでの一番の楽しみといえば、街歩き。初めのうちは観光地を訪ねていたが、小さな街だ。世界遺産に指定された遺跡もあるとはいえ、ひととおり回るのにさほど時間はかからなかった。その後は行き当たりばったり、その時に思いついたところに行く。何度も出かけた場所もあるが、あきることはない。
ポルトガル領だった名残で、街には西洋風の建物が多い。ヨーロッパに行ったことはないが、石畳の坂道はポルトガルのリスボンをほうふつさせるのだという。人口46万人、大陸側はこぢんまりとしているので、歩いてでも回れる。橋でつながっているふたつの島もバス、タクシーを使えば手軽に行ける。
食事は地元の小さな店がお勧めだ。カジノを併設した高級ホテルには超一流のレストランが入っているが、値段も一流。縁がない。地元の人たちで込み合う店は安く、おいしい。一番のお気に入りは、島部の海岸にあるポルトガル人経営のレストラン。人気店だが、気取らない雰囲気がいい。1人だけで入っても問題ない。マカオの名物、エッグタルトもお勧め。街中の小さな店でびっくりするぐらいおいしいものが食べられる。香港同様、マンゴーなどの南国の果実も豊富にある。
中国の隣町にも気軽に行ける。かつて一般の旅行者が入るのは難しかった中国だが、今ではマカオと隣接する珠海に入るにはパスポートチェックはあるものの、ビザは不要。歩いて越境するのは楽しい体験だ。珠海からバスに乗れば、食の都・広州も日帰りが可能だ。
ちなみに、通貨は香港が香港ドル、マカオはパタカ、中国は元。おおよその交換比率は1対1対1なのだが、かつては香港ドルが最も強く、マカオでも、珠海でもそのまま使えた。店によっては、香港ドルで支払った方が歓迎されたものだが、今の一帯の王様は元。パタカ、香港ドルに両替しなくてもいいぐらいだ。香港ドルは現在でもマカオで使えるが、パタカは昔も今も香港、中国では受け取ってもらえない。市民の暮らしのなかに、国(地域)の強さ、経済事情がストレートに反映されていて、これもなかなか興味深い。
安価な旅行に打ってつけのマカオだが、「落とし穴」もある。そう、カジノである。マカオには1回70円ほどのスロットマシン、1000円以下のかけ金でディーラーと勝負できるゲームもあるが、そこはギャンブル。のめりこめば、恐ろしい。私も何日分かの滞在費、さらにはもう一度マカオ旅行ができただろう分を失い、途方に暮れたことが何度もある。
気に入っているのは「大小」というさいころゲーム。基本は、3個のさいころの合計数字が11以上の「大」か、10以下の「小」かを当てる。当たれば、かけ金と同額が受け取れる。ただし、さいころの数字が3個とも同じぞろ目はカジノ側の総取り。3個の合計数字や2個の数字、ぞろ目であるかどうかを当てるなど、さいころが振られるたびに多彩なかけ方ができる。
単純に見えるゲームだが、奥はかなり深い。次はどの数字が出るのか、自分の持っている最大級の集中力を動員し、その一点をさまざまな角度から推測する。当たれば心底うれしいし、勝負に出たときに外れたときの喪失感は言葉に表せないほど大きい。ギャンブルの魅力と怖さは、一瞬で人生最大級の喜怒哀楽を味わえることなのかもしれない。どこでやめられるかが勝敗を左右する大きな要素だと理解しているつもりだが、何度挑戦してもやめ時は難しい。
多彩な魅力があるマカオ。だが、初めて訪れた二十数年前と比べると、ずいぶんと変わった。カジノのネオンがきらめく市街地に立つと、かつて「時間が止まったような街」と形容されていたことが信じられない。中国に返還されたこともそうだが、2002年に地元資本が独占していたカジノ経営が自由化されたことが最大の要因だ。
02年以降、街は劇的に変化した。ムツゴロウのような生き物がすんでいた泥海は埋め立てられ、海岸沿いにあった雰囲気のいい並木道は街中のそれになり、風情が消えた。バンジージャンプで日本でも有名なマカオタワーも埋め立て地にある。新しいカジノが次々と建設され、中国本土からの観光客が押し寄せた。校庭で地元のおじさんたちが上半身裸でサッカーを楽しんでいた街中の小学校跡には、地元資本の巨大カジノがそびえ建つ。
個人的には、以前のマカオの方が数百倍好きだ。飲み物を買って一休みしながら、校庭で繰り広げられるへたくそなサッカーを見物するのはひそかな楽しみだった。だが、新しいマカオにはカネが落ちる。変化を好ましく思っている地元の人も多いはずだ。今はカジノバブルがはじけ、建設工事が止まった現場もあるが、これからも街はどんどん変わっていくだろう。その変化を見続けていければ。新年にあたり、あらためてマカオ行を思う。

|