=== 新春随筆 ===
芙蓉峰剣が峰を越えて行こう、何と無鉄砲なタイトル |
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『頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして、雷様を下に聞く、富士は日本一の山』
将にその通り、簡単明瞭、にっぽんイコール富士山で済む。この国に生まれ育った生粋の日本男児が喜寿の記念にと山頂制覇を思い立って何の不思議があろう。加齢に伴う諸病を重ねた挙句の年で真夏の山登りとは若干首を傾げたくもなる。数年前の出来事にしては余りにも鮮烈な印象となり蘇って来る。秀麗な富士、日本一の山頂を制覇した満足感に酔いしれたのはホンのヒトトキ一時であった。決して伊達や酔狂の物見遊山とばかり安易に飛びつくものではない。これ、富士登山、胸突き8丁の苦渋を身に沁みた経験者が語る本心。あの登攀を思い出せばもう2度と真っ平御免と尻込み必定である。老人達は5合目近辺で格好の湖畔を選んでそこから遠景を愛でるが得策。日数、時間などに余裕あればもっとノンビリと山登り案内人とかを雇えば宜しかろう。
さて本題に帰る。夕方近く5時頃、さあ出発。概ね7合目辺りまではまあ比較的なだらかに登って行ける。肺換気不足の所為で呼吸速迫、心悸亢進が現れ始める。この辺りで山小屋が待っている。やれやれ。所謂高山病対策に酸素吸入一式を買い求めボーッとなる頭に活を入れる。リュックを背負ったままごろり横になる。相当に疲労しているのであろう。ウトウトするが熟睡出来ない。標高3000米ともなると真夏でもひんやりする。さあ、胸突き8丁、準備不足ながら左手に懐中電灯、右には金剛杖、ふらつく脚を滑らぬように踏み締めながらゴツゴツした岩場を無心に攀じ登る。1歩又1歩と。まるで修行僧の如くである。やがて8合目。待望の御来光を拝める筈だ。さあ着いた。同行の皆さんも疲労困憊ながら落伍者殆どなく全員到着丁度朝5時頃。御来光を拝める時刻だ。山の端に橙色の朝焼けが射しはじめ微かにボーッと明るさが増してくる。目を凝らす。
太陽を背に富士が山肌を大空に現す何とも神々しい程の厳かな瞬間だ。知らず知らず神々しさに両手を合わせ、祈りを捧げて仕舞う。純粋無雑、自然の礼拝、誠の心。
頂上まであと数百メートル、なれど高山病に苦しむわが肺は酸素吸入しながらダウン寸前。頑張れ老爺、休憩すること数十回、頂上近くの小さな神社も定かには目に映らない。着いたのだぞ、やっと頂上の茶店が数百メートルかに見える。地上ならば一走りのすぐ先だ。が、足の運びは将に重病人のままならぬ有様。倒れこむように茶店の長椅子に横たわる。暫くそのままで呼吸を整え微かに働く意識の回復を待つ、幾らか落ち着いたところで昼弁当を開く、美味くはないが、落伍しないように、無理して水で流し込む。辺りが急に暗くなると同時に稲光、雷鳴突風、それに霰が降り出し約2時間平伏したまま雷も遠く音は麓の方に聞こえる。歌詞そっくり。暫時耳を両手で塞ぎながら嵐の過ぎるのを待つ。凡そ2時間を経過した後、雷雨閃光共に細まる。やれやれそろそろ下山するベイ。凡そ6時間の下り坂、滑らぬように慎重な脚の運びが求められる。宿舎には8時過ぎる頃着くだろう。暗くなる。足許注意。下肢は長途歩行で痙攣気味だ。大儀、大儀、愛でて遣わす。賀正22。

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