「アラフォー」という言葉がある。アラウンドフォーティー(around 40)の略で、40歳前後のキャリアウーマンのことだそうだ。この時期の女性は仕事がスムーズにできるようになると同時に結婚、出産、仕事を決める人生の岐路に立たされ悩める時期である。いろんな人生ドラマがあるが、女性に限らず男性でも40歳前後は自分の生き方を決める時期でもある。
さて私も昨年40歳になった。確かに40歳が近くなってくると身のまわりが騒がしくなり、長年勤めた病院から今の病院に移った。公立病院で続けて働いていくのか、父の診療所を継承するのか、もしくは今の病院に就職するのか、かなり迷った。最終的には「人生は一回だけ」と思い、自分の一番したいことができる場所を選んだ。今さらではあるが、なぜ父の診療所を継がなかったか、考えてみた。
父が始めた産婦人科診療所は自宅の横にあった。幼少時から病院の横を通って家に入り、病院の横を通って外に出た。父の診療所は自分の中で誇りであったが、それが家の横にあることで、いやだなあと思うことがあった(こんなことを書いたら父親におこられそうだ)。まず妊婦のうめき声が聞こえることだ。あれは正直、怖かった。あれが聞こえてくると足早にその場から立ち去った。次に学校で、「おまえんち、産婦人科なんだってな」と言われるのがいやだった(子供がもう少し大きくなったら、このことをどう思うか聞いてみよう)。じゃ、なぜ産婦人科医になったんだ、といわれれば、単にその頃が幼くてよくわかっていなかった、としかいいようがない。大学を卒業後、「消去法」というべきか、「天の声」というべきか、産婦人科を選んだ。なんだか夢のない話だが、やってみたらおもしろかった。仕事の話は割愛するが、この科はやってみないとおもしろさがわからない科だと思う。近年、産婦人科を選ぶ男性医学生がどんどん減っているが、男性でも選んで欲しい科だと思う。そんなこんなで40歳近くなり、自分の理想が分娩だけでなく手術もできて、多くの外来患者を診られて、複数の医師で働ける病院を経営することであったため、また青少年期の小さなトラウマもあり(これは冗談)、診療所を継ぐことをやめた次第である。
男の40歳というと、いわゆる「前厄」である。どんな人でも仕事、私生活でいろいろな問題がおこってくる時期で、体が疲れてくる。運動不足からメタボリックシンドローム、成人病にならないよう、「かねてからの厄払い」をしないといけないと思う。厄年について調べてみると陰陽道、神道、仏教の国から伝わった説はあるが、イギリスやスペインといったキリスト教の国、エジプト、トルコといったイスラム教の国にも同様の風習があるらしい。やはりどの国でも、ある年齢に近づくと社会的にも責任が重くなり、精神的、肉体的に負担がかかる時期なのだろう。逆に考えればこの年頃になったら社会的に責任あることをしているべき時期、ともいえる。
今年、鹿児島大学の同期生が山梨医大の生化学講座教授に就任した。同期生から教授が選出されたのは初めてである。彼は卒業後、大阪大学の基礎医学に入った、とは聞いていたが、その後、神経生化学の分野で学会奨励賞、40歳以下で功績のあった人に贈られる文部科学大臣表彰若手科学者賞を受賞したそうだ。学生時代は決してガリ勉タイプでなく、部活動も一生懸命やる人だったが、自分の進むべき道の勉強をこつこつ続けていたことが実を結んだのだろう。
いろんな40歳がいる。いろんな生き方がある。これからも急ぎすぎず、緩めすぎず、地道にやっていければよいと思う。
| 次回は、平野エンゼルクリニックの楠元雅寛先生のご執筆です。(編集委員会) |

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