=== 新春随筆 ===
人 生 と い う 旅 路 の な か で |
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昭和24年生まれの私は今年で還暦を迎えるわけだが、暦が一巡りしようとする今、来し方を振り返るとき、まさに感慨深いものがある。次の2題は今から30年前、私が特別養護老人ホームに勤めてしばらくした頃、南日本新聞の夕刊の「思うこと」という欄に投稿したときの原稿である。
1. 旅人ごっこ
うしろ姿のしぐれてゆくか(山頭火)
旅という言葉は、私達に漂泊の詩人、流浪の俳人といったイメージを彷彿させます。それは文明という庇護の下に単一化され平均化されてきた私たちが喪失した四季の変化への追慕であり、山河の景観であり、自然への憧憬で、永遠のノスタルジーです。そして、せめて旅をすることで私たちは自らを彼らに同化させ、情感の琴線に哀切の調べを爪弾かせようと欲するのです。
病雁の小寒に落ちて旅寝かな(芭蕉)
私たちにとって旅が楽しく心踊るのは、いかなるたびの途上であってもそこには引き返せる道があり、灯をともして待っている暖かいねぐらが彼方にある、という安心感からで、傷つき疲弊した翼を休めるべく宿りがあるからです。というのも私たちは旅人としてはあくまでも客体に位置づけるのであり、旅の傍観者で、「ごっこ」の域をでません。いわば本業とアルバイトの違いとでも申しましょうか。旅立ちの時点ですでに、私たちは意識のなかに忍従をよしとしない、甘えの構造を芽生えさせるのです。
「若者よ、北海道へ来い。ここには都会にない自然の雄大さがある、厳しさがある、恵がある。君たちも北海道へ来ないか」と友人へ手紙を書き送った詩人をして、一ヶ月もしないうち「自然がなんだ。雄大さがなんだ。真の人生とは都会の片隅の喧騒のなかに転がっているものだ」と言わせしめ、ほうほうの体で逃げ帰らせたほどの過酷さに、観客として慣れ親しんできた私たちは耐えることができません。
それで、他者として位置づけたところで旅を楽しむのです。競技人として参加できない代わりに、観客としてゲームの興奮に参加し、感動を味わおうとするのです。もちろん、感激が競技者だけの美酒だということは知っています。感動は受動で、客体的であり、感激は能動で主体的です。それでもいいじゃありませんか。ボヘミアンに戻れない私たちに残された、ささやかな楽しみとしては。ビバ!旅人ごっこ。
2. 旅百態
かれこれ10年前にもなりましょうか。私は旅が好きで、あちこちと歩き回ったものです。どこといった目的地があるわけでなく、ただ漠然と、あっち方面という気軽さで出かけました。鈍行(今日では使われない懐かしい呼び名で、各駅停車の列車のことです)の硬いいすに腰掛け、上下式のガラス窓を開け、窓枠に置いた両手にあごを乗せ、悠然と移りゆく景観を楽しみながら。
湯の里の湯煙の中柿一つ(やすひら)
ピーという汽笛が長く尾を引くとトンネルに入る。当時は煙を噴いて走る列車が主流を占めていた時代で、ピーという合図を聞くと急いで窓を下ろしたものです。うっかり閉め忘れようものなら、鼻の穴といわず、口の中までザラザラにすすけてしまう。そんな昔から、そして今日でも、「旅は好きだが旅行はどうもねぇ」とか、逆の言葉をよく耳にします。「辞書を引くと同じ意味なのになぜ?」って思うかもしれませんが、それにはわけがあるのです。
旅という言葉に私たちは、目的を定めず気のむくまま足のむくままさすらう、といった印象を受け、旅行という響きには計画的な、画一化された集団行動を思い浮かべてしまうのです。また、前者が各駅停車の列車なら、後者は特急。前者が急行なら後者は飛行機とでもいうふうに。両者の言葉の響きから受け取る感覚にスピードの違いを感じるのです。前者は行程そのものに目的があるわけですから、列車の発着の度ごとに入れ変わる土地土地のにおいや言葉の変化を楽しみ、後者はというと、到着地に目的があるわけですから、途上の行程はでき得れば省略したいと望むのです。
冬ぬくし九十九の島の太公望(やすひら)
旅の思い出は自己のなかに、旅行の思い出は他者とのつながりのなかに見いだされます。どちらが良いとか悪いとかの問題ではありません。いずれにしろ、要はそれを楽しむことです。(おわり)
昭和51年当時、特別養護老人ホームはいまだ姥捨て的な感があった。入所者の方が亡くなり弔問に伺うと、「長い間闘病生活をしていましたが、薬効の甲斐なく、昨日旅立ちました」と、喪主よりの弔辞がなされるのが常だった。
それから十数年が過ぎた頃になると、身内の施設入所に対して引け目を感じることなく、「○○施設の園長先生始め、職員の皆さんにお世話になりました」の弔辞が一般社会にも話せるようになってきたのである。
ところが平成の時代になった今、福祉を取り巻く職員の現状はどうかというと、魅力の感じられない職場になってしまったかの感がある。介護福祉士を養成する専門学校は、全国的に軒並み入学者が減少し、定員の5割近い状況になっている。種々の要因としては次のようなことが考えられるが、それ以上に介護福祉の魅力を介護現場が社会に伝えきれていないところに主要因があるように思えてならない。
介護福祉士減少の一般的な要因とその対策
1. 給与が低いということ:なぜ低いかというと、老舗と新規参入者に対する価格が同じだからである。民間企業の安かろう良かろうという論理を導入するのであれば、薄利多売を認めなければ企業としては成り立たない。もしくは一律価格でない、単価の違いを認めることである。
現行のままで、上記の内容に対応しようとすると、対策としては次のようになる。
職員の経験年数を常勤換算で平均2年未満を標準単価とし、2年以上4年未満の施設に対して@現行の給付費の1.02を支給する。同様に、4年以上6年未満の施設に対して、A現行の給付費の1.04を支給する。B6年以上8年未満の場合、1.06を支給。C8年以上10年未満の場合、1.07 D10年以上12年未満の場合、1.08 E12年以上14年未満の場合、1.09 F14年以上の場合、1.10とするのである。
2. 介護福祉士の直接処遇職員に占める割合による給付費加算の設定
直接処遇職員定数に占める介護福祉士の割合が一定数を超えている施設に対して、現行の介護給付費を1と置いた上で加算をする。このことで、専門性の担保された福祉サービスが提供されることになる。と同時に、介護福祉士の国家資格が同一の試験を合格することで取得されるように一元化される平成24年度までは経過措置として現行どおりの介護給付費を支給するが、平成25年度以降最低割合を満たすことの出来ない施設に対しては減額措置をする。ここで言う、最低割合とは、3割である。このことで、専門性に見合わない給与等の処遇をしている施設には職員が集まらず、結果的には適切な経営をしている施設のみ存続することになり、措置時代と同様に良質な福祉サービスが提供されることにつながる。
@介護福祉士の直接処遇職員に占める割合が3割以上5割未満の施設
現行どおり、1の基準の介護給付費を支給する。
A介護福祉士の直接処遇職員に占める割合が5割以上7割未満の施設
現行の基準を1として、1.035支給する。
B介護福祉士の直接処遇職員に占める割合が7割以上の施設
現行の基準を1として、1.08支給する。これらはすべて専門職に対する給与等として職員に還元されることになる。
C介護福祉士の直接処遇職員に占める割合が3割未満の施設
平成24年度までは経過措置として現行どおり支給されるが、平成25年度以降においても基準を満たすことの出来ない施設に対しては、現行の基準を1として、0.95に減額支給する。このことで、介護福祉士が名称独占から、業務独占化を図ることにつながり、今日の介護離れを防ぐ効果をあげることが出来るようになる。
他にも要因はあろうが、私は今一度介護福祉の魅力について考えてみたい。
当時の「思うこと」欄に次のようなことを書いた。
「人は皆老いる。老いは人生行路の最後の寄港地であり、ここから再び大洋へと出帆することはないのだ。ところが不幸にして、老いの生活のなかで地域(家庭)を離れ、家族と離れて暮らさねばならなくなったとしたら、老朽化した船でどこへ乗り出そうというのか。
老人のこの寂しさ、不安というものを私たちは本当に理解しているのだろうか。いや、少しでも感じ取ろうとして努力しているのだろうか。たとえ想像の域を出ず、慰めにしかならないとしても、私は特養の職員として、いや一個の人間として老人の悲哀に接していかねば、と思う。茫然とした気持ちを受け止めることで、漂泊している老人の情感を日常に引き戻すことが出来たら、施設職員として無上の喜びである。
だが、職員の親身の努力も、家族との絆には及ばない。お年寄りはいつでも肉親の来訪を心待ちしている。二言三言交わすだけのわずかな時間を渇望しているのだ。若者が老いを容認し、お年寄りが老いを享受する。こんな時代が早くきたらんことを」
今年還暦を迎える年齢になると、気力と体力のアンバランスを身にしみて感じるときがある。そのような今、若いころの文章を読んでみると、いかに若さゆえの大上段に振りかぶった論を展開しているかが分かり、赤面のいたりである。
人は、人生において旅派であろうが、旅行派であろうが、もしくは折衷派であろうが、そんなことは問題ではない。どのような状況にあろうと、どのような状況を選ぼうとも、人は主体的に生きているのである。要は、いかに質の高い、濃密な自分自身の人生を送るかにある。
人は否応なく生まれてくる。生まれたからには生物としての、生きようとする意欲が湧き上がってくる。これが本能である。しかし、人は動物としての本能と人としての理性の両方を身につけた生き物である。時に本能が理性を上回り、人に迷惑をかけたり、言動を振り返って自分自身を恥じたりするのも、この両者を人が保持するゆえである。
また時には、本能を無理にも押さえつけようと理性が強制的に情感を締め付け、精神的な悩みを持たされることもある。このような繰り返しの中で、人は齢を積み重ね年をとるわけであるが、高齢者には若者のあずかり知らないこのような問題を解決してきた実績、もしくは積み残してきた課題がたくさんあるのだということを理解する必要がある。
このようなことを考えていくとき、私たちは介護福祉の魅力に惹きつけられるのである。
人が人をお世話するということは、そのような悲喜こもごもに関わることであり、ナマの人生に接することであり、書物以上の感動を味わうことが出来るのである。
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、
四十而不惑、五十而知天命。
六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。
論語の孔子のように、耳順にはいまだ程遠い煩悩の多い私ではあるが、人生の折り返し点を過ぎた今も、介護福祉士の専門性の確立のために少しでも役立つことがあればと微力を尽くす覚悟の私である。そして、人生という旅路の中で、やがて来るであろう老春をこれから大いに満喫していきたいと願っている私でもある。

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