=== 新春随筆 ===
臭 い が 伝 わ っ て く る 文 章 |
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いつだったか、『ごみの搬送先が決まらず汚物が山積みされている』というテレビのルポで「映像ではどうしても伝えることができないのはこの臭いです」と現場のレポーターが叫んでいた。そりゃそうだ。朝飯の時間に臭いまで運び込まれたらたまらないと言いながら思い出したのが、そのころ読んでいたR.D.Wingfieldの「Night
Frost」である。まさに“臭いが漂ってきそうな”くだりがある。
小生お気に入りのフロスト刑事シリーズ、今回も老人が次々殺されたり少女が襲われたりのにぎやかな展開だ。古い教会の地下に死体の包みが発見された場面。検死に来た医者が袋を開けて顔をそむけながらうめく。「うん、これは死んでおる。」かたわらのフロスト、「そりゃそうだ。俺だってこんな臭いをまき散らしてまで生きていたくないさ。」
フロストという男、捜査にかけては動物的な嗅覚をそなえた敏腕刑事なのだが、身なりや時間にルーズ、職場の秩序などクソくらえ、金銭感覚はゼロ、あのコロンボ刑事をもっと数段だらしなくしたような中年男。ご婦人方の前でも卑猥なジョークを連発してひんしゅくを買う。
例えば…
湯気ほやほやのウンコの上でのハエ2匹の会話。1匹が「大変だ、近くで消毒薬を撒いたらしいぞ。逃げよう!」 もう1匹「よせ、いま食事中だ。メシがまずくなる。」
男が砂漠を歩いていた。若い女が砂に埋められていて「助けてください!」と叫んでいる。王様がsexを迫るので拒否したら見せしめに埋められたという。「助けてやってもいいが、お礼は何だ?」「Wet sandを4ポンドぐらいあげるわ。」
どうです?少しはニオってきましたか?
司馬遼太郎の作品は、例えば「(維新の)灰かぐらが舞い立つような混乱の中で…」といった比喩の軽快さが魅力のひとつだが、欧米のミステリーにも、映像以上に鮮明なイメージをそそる、鮮やかな表現がある。
前夜飲み過ぎた主人公の弁護士を、心配した友人が訪問する。朝食も取らずぼんやりしているのを見て「緊張しているね」と友人。「うん a whore in church の気分だ」
(John Grisham:A Time to Kill)
「タルの中の漬物みたいに気持ちよさそうに寝ている」(James Patterson:The 5th Horseman)とか、「タクシーの運転手は溶けかかったアイスクリームみたいな格好でシートを占領していた」(D.E.Westlake:Money for Nothing)。
どっちも日本人とは連想がやや異なるようだが「salt and pepper beard」(胡麻塩ひげ)のように似たものもある。「a rose in a field of garbage」(Greg Iles:24 Hours)はさしずめ「泥中の蓮」「掃き溜めに鶴」か。
似た発想といえば、Minette Waltersの「The Scold's Bridle」で容疑者の老人が犯罪歴を並べられ「もう過ぎたこと(water under the bridge)さ」ととぼける場面で思い出した言葉がある。お元気なころの城山観光ホテルの創業者・保 直次さんが宴席のたびに口癖のようにつぶやいていた。
「望みある身は岩間の清水、しばし木の葉の下くぐる」
今はしがない一滴の水だが、やがて大きな流れとなり大海(大望)へ到達してみせるぞ…。ホテルの計画をめぐって散々に役所からこづかれた若いころの苦労を、誰よりもよく知る友人の森繁久弥さんから贈られた色紙の文句、とあとで知った。木の葉とはもちろん“木っ端役人”のこと。
Stephen Hunterの「Dirty White Boys」に、古参刑事が「俺のやり方のどこが気に入らないんだ」とくだを巻く場面。若い連中は 「またいつものdrink talkingか」とうんざりする。鹿児島語に翻訳すれば“ヤマイモ掘い”だ。
ヤマイモの類は英語でyamと総称するらしいのだが、さて“ヤマイモ掘い”のヤマイモをyamとどう結びつけて説明するか。テレビなら苦労はいらない。映像を見れば少なくともその雰囲気だけはわかる。
そんなわけで、文章力の出番は、フロスト流の、品のよろしくないジョークなどを、ほどほど無難に伝えるあたりにその真骨頂があると言えそうだ。

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