=== 新春随筆 ===

J R 指 宿 枕 崎 線 今 昔

鹿児島県医師会 理事

     田畑傳次郎

 私のクリニックはJR指宿枕崎線沿いにある。私の人生はこの鉄路と切り離しては考えられない。
 昔は蒸気機関車や貨物列車が走っていたが今はカラフルでスマートな高速のディーゼル車に替わった。しかし砂利の盛り土の枕木に犬釘で止められたレールは今も昔のままである。幼い日、ぺんぺん草の生えた線路の上に一斉に仲間と共に横になりレールに耳を当てて列車の遠ざかる音を聞いた事を思い出す。
 私は終戦の年に満州で生まれた。翌年、母に抱かれて引き揚げ船で京都の舞鶴、そして汽車で博多、鹿児島を経て郷里の小さな二月田駅に着いた。私の人生はこの駅から始まった。朝から晩まで通り過ぎる列車の轟音も意識しなければ気が付かない。朝は夢の中で目覚まし代わりに聴いているほどに馴染んでいる。少し離れた町まで行くのも賑やかな鹿児島市内に出るのにも汽車を利用した。
 高校からは鹿児島に出たが最初の頃は汽車通学だった。今は1時間ぐらいで着くが昔のSL時代には遅いばかりか石炭の継ぎ足しと給水があり2時間以上は掛かった。また市内に近づくにつれ乗客が増えて谷山駅で客車2両を増結した。そんな事で高校の始業開始に遅れないように5時前に起き出しまだ暗い中を駅に走った。常に満員で立つことが多い上に通学に5時間以上を要しすっかり疲れてしまい、授業中は殆ど居眠りする事が多かった。厄介な事には汽車がトンネルに突入するたびに煤煙が車内に充満し降りる頃には全身煤だらけになり臭いが染み付いて離れなかった。
 指宿枕崎線の真ん中あたりに今、NHK大河ドラマ「篤姫」で有名な今和泉駅がある。一駅下ると日本で最も海に近い駅として有名な宮ヶ浜駅がある。線路に沿って左に国道、海側は原っぱがあり畑が点在している。列車はその横を走る。周囲には家や電柱などの人工物は見当らない。前方に錦江湾と大隅の山並みを一望出来る。ここで「篤姫」のロケが行われた。
 指宿はオクラとソラマメの産地でここの畑でも作られている。ロケの為に今年は植え付けをしないよう頼まれた。以前にも「翔ぶが如く」のロケにも使われた所である。昔の薩摩の映画撮影にはもってこいの場所らしい。宮ヶ浜駅から今和泉駅に行く途中は高くなっていて、雨の日や冬の霜の降りた朝などは汽車の車輪が滑って登れなくなる事もしばしばあった。そんな時には列車は一旦後ろに下がり海岸の砂をレールの上に蒔きながら助走を付けてかけ上がっていた。この為に列車は延着し通学生は遅刻を覚悟した。
 先日NHKテレビの紀行物でJR九州指宿枕崎線の列車で篤姫ゆかりの里を巡る番組が放映された。薩摩今和泉の駅では、地元指宿商業高校の女生徒達と婦人会が合同制作した篤姫団子が紹介された。その後、宮ヶ浜駅も紹介された。この駅は昭和58年に無人になり、その最後の駅長さんが出て来て驚いた。私のかかりつけの患者さんだった。昔の国鉄マンで駅長の経験もあるとは聞いていたがここの駅長とは知らなかった。台風のときは高波が線路を越えSLの床を洗い汽車が来るまで打ち上げられた貝を獲った事など昔話をしたが、私の記憶と重なり懐かしかった。



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