=== 新春随筆 ===
4 回 目 の 年 女 で す |

(S36.5.27生)
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南区・谷山支部
(大塚眼科)
大塚 早苗
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年女。1回目は小学6年生でした。身長160センチ近い、でかい小学生でした。当時の写真を見ても、あまり違和感が無い。よくいえば老成した、まあ、あんまりかわいげのない子供だったのではないでしょうか。その頃、すでに医学部受験を決めていたように思います。
2回目はまだ医学部の学生でした。人見知りが激しく、ポリクリのときはアナムネの聴取も殆ど出来ず、他の学生の後ろから、隠れるように歩き、どこの科に行っても、担当の先生から、「もっと積極的に」と叱られていました。
3回目は、子供2人を保育園に預け、開業準備に走り回っていました。
そして、開業して10年が過ぎ、4回目の年女になりました。
年女の回数を重ねるに連れて、増えたものは、体脂肪と目尻のしわと、口数。それに忍耐力?開業医はとにかく喋らなければ話になりませんし、患者さんの無理難題にも、ニッコリ微笑んで対応しなければなりません。子供を叱るようなわけにはいきませんから。
反対に減ったものと言えば、記憶力、体力、外出の回数でしょうか。最近、めっきりデブ症、いや出不精になってしまいました。
そんな中、私たち昭和62年、鹿児島大学医学部卒業生の卒後20周年同窓会を、昨年開催したことは、私にとって、とても刺激になりました。
私たちの学年は、学生時代、出来が悪いと悪評高かったのですが、卒後20年を超えて集まった80余名の同窓生は、それぞれの分野で、輝かしい活躍をしていて青春時代を懐かしむと同時に、朱夏のまっただ中といった感じでした。
特筆すべきは、昔の女学生が全員フルタイムで仕事を続けている事でした。内科、小児科、産婦人科、麻酔科、病理、眼科と様々な分野で、出産で休む事はあっても、みんな仕事を続けてきました。時々、集まっては愚痴をこぼしたり、育児や子供の教育に関しての情報交換もしました。実家の援助があったから続けてこられた者が殆どですが、「みんな頑張っているから」との思いが、続けてこられた一つの要因だと思います。
医師不足が叫ばれ、その原因の一つが女医の増加であると。それは一面、もっともなことですが、出産・育児に要する時間を単なるロスと考えず、母親としての目線や子供の扱い方など、臨床医としてプラスに転じる事も多い事を知って頂きたいと思います。
そして、何より医師を志す女子学生は、周りの環境が改善されても、それに甘えずに仕事を続ける覚悟をもって医学部に入学して欲しいと思います。女医に対して、「産休・育休、その他の条件が改善されても、それを当然のこととして受け止めるのではなく、感謝の気持ちを持って欲しい。」これは、医学部を志望する自分の娘に一番伝えたい言葉でもあります。5回目の年女を迎えても、まだまだ現役でいたいと思う今日このごろです。

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