 この春ゴルフに行ったら、花粉が大量飛来しており鼻炎にはじまり涙がとまらない状態になりました。中学生の時より苦しめられているとは言え、この日の花粉の量はちっとやそっとの量ではありませんでした。大いにアレルギーの責め苦を味わい、楽しい筈のゴルフがまったく台無しとなってしまいました。この‘花粉’、スギ花粉が飛散する春先の時期に最盛に達するらしく、しかも前の年に猛暑であればその影響で、スギ花粉の量は増え、飛散量は晴れの日や暖かい日、風の強い日や空気が乾燥している日に多くなると聞きます。まさに先日はその日であったと思う次第で、鼻水を啜りながら、鼻水に誘発される涙、涙で目を腫らしながらの見るも哀れな一日でありました。
ところで、『涙』と言えば、私の三人の子供達それぞれが見せた感動の『涙』の物語があり、今でも宝箱にでもしまっているような感覚で私の心の奥に大事に残されています。
先ず、一番上の長女の場合。この子は今年29歳になりますが、約10年前に実は、「クローン病」と診断されました。この子が入院することになった日の前夜に腸閉塞症状で苦しみ、そのお腹の痛みが激しいあまり、私の手を握り、「何とかして!」と苦痛の表情の中で訴えたことがありました。その苦痛に歪む娘の顔を前にして、医師でありながら専門外の私にはどうすることもできず、いたたまれない気持ちととにかく明日から入院しさえすれば救われるかもしれないという漠然とした不安な思いしかありませんでした。
数日後、この子に病名を伝えなければならない時が来ました。難病である「クローン病」であり、一生治らず、いずれ再発もやむをえないかもしれないと告げました。これを聞いた娘は病室のベッドの上で、言葉はなく、ただワァーッと泣き伏してしまいました。傍らで私と家内は重苦しい心痛な雰囲気の中で、娘のしばらくの間流れ止まらない『涙』を見せられ、ただただ立ち尽くすばかりでした。自分の健康な腸を分けてあげたい心境になっていました。それからというもの彼女の長い闘病が続きましたが、幸いなことに現在は全く再発症状なく、その後の検査でも良好で、つい最近には結婚することもでき、重ね重ねのお目出度いことと安堵の心持ちとなっています。
次に、次女の『涙』です。この子はクジ運が悪いというか、このために他の二人の子と違い、小学、中学は自宅近くの地元の学校に通うことになりました。志望は姉と同じ学校に行きたかったのですが、運命は残酷で、小学入学時も、中学入学時も思い通りには行かず、その度に悔しい思いと悲しい思いを強いられたのでした。この子が高校受験となりました。ここでも姉と同じ高校を受験しました。もちろん今度も志望校です。いよいよ合格発表の日となりました。まんじりともせず、次女は朝から部屋の中に閉じこもっていました。ところで皆さんは御存知でしょうか?合格発表の日、朝の内に中学の担任の先生から電話がくることがあるそうです。それは不合格の報で、理由は発表の現場に行き、辛い思いをしないようにと言う先生達の配慮からでした。だから、電話の音を聞きたくなくて、無理矢理お風呂に入ったり、イヤホーンを通してわざわざ音を大きくして音楽を聴いたりしていたようです。そんな中、ついに午前中は電話の音は鳴らず午後になりました。すると1本の電話が鳴り、次女がでました。それは、待望の合格を知らせる連絡だったのです。受話器を持ちながらその朗報を聞いた彼女は、その場に立ち尽くしたまま、いつしか目にいっぱい『涙』をためて声は出さず、喜びを噛み締めているようでした。家内と私もその『涙』を見た途端、貰い泣きしてしまいました。心の中が感激で満たされた一瞬でした。
最後は、我が家の長男の『涙』です。我が家の一人息子は次女の誕生の5年後に生まれました。私にとっても勿論、家内の実家にとっても家内が一人娘(一人っ子)だった関係で、それは皆にとって嬉しい限りでした。したがってこの息子は家内方の両親に大変可愛がられました。特に義母は心底からよく面倒をみてくれるので、息子の方も義母を気に入ってとっても慕っていました。運命が訪れたのは彼が中学1年の夏でした。義母が病の為、床に伏せてしまいました。病状は結構重症で、7月の中旬頃から一進一退の経過でした。息子は義母の小康状態を見て思いきって7月末に前々から予定していたカナダ旅行に出かけました。息子が帰国するまで義母は何とか頑張っていましたが、しかし意識は徐々になくなっていきました。出発する時は意識があり、息子の呼び掛けに返事がみられていましたから、彼はてっきり義母と再会して話ができると思っていた筈です。ところが、帰ってきて久し振りに義母の病室に入った途端、ベッドで弱々しく横たわり、呼び掛けても何の反応もみせない顔、姿をみて、みるみる彼の目に『涙』が溢れたのです。その時周りは皆無言のままで、ただ静寂な時間のみが過ぎていきました。息子の純粋な少年の心を見た思いでした。
この頃の私には積み重ねた年のせいで、締まりのなくなった涙腺からわずかな心の動きにもすぐ涙が漏れ出るようになりました。また冒頭述べたアレルギー性鼻炎による何とも情けない涙もあります。それにひきかえ子供達それぞれがみせた涙はいずれも私のものとは違って心に残る感動の『涙』でした。今後も一生私の心の中にそっと仕舞っておこうと思っています。
| 次回は、清水内科医院の梅林雄介先生のご執筆です。(編集委員会) |
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