==附属施設だより==
(看護専門学校・高等課程)

平成19年度看護専門学校高等課程卒業式・閉課程式

日 時:平成20年3月1日 午後2時
場 所:市医師会館
卒業者数:64人

 去る3月1日看護専門学校高等課程最後の卒業生となる第54回生64人の卒業式が多くの来賓・家族のご臨席のもと盛大に挙行された。
 増田教務部長の開式の辞に続き、市来健生校長から各組の代表に卒業証書が授与された。卒業生を代表して高田香織さんが「鹿児島市医師会看護専門学校高等課程で学んだことを人生の糧とし、なくなってしまう母校の灯火を私達の魂に絶やすことなく、日々精進することをここにお誓い申し上げます。」と2年間の思いを綴ったお別れの言葉を読み上げた。

市来健生学校長式辞
 近年、私達を取り巻く社会環境は、システムやルールがめまぐるしく変化し続け、人々はその対応に追われる中で心の安らぎを失いかけているとも言われます。
 さらに、いたるところに競争原理が持ち込まれ、その負の側面が「偽」いつわりと言う形で現れて来ました。経済効率優先の考え方によるルール作りは、永年にわたって国民の健康の維持増進に取り組んで来た医療界に影響を及ぼしています。
 そのような社会状況にあって、皆さんがこれから足を踏み入れようとしている医療・看護の世界は心身共に疲れた人々へ安らぎを提供する職業であり、尊い命とダイレクトに関わっていく貴重で誇りある職業です。
 その職業を選択された皆さんの責任と使命はとても重いということを十分認識し、たゆまず研修を心がけて、専門知識の修得と技術の研鑽に励み、自信と誇りを持って職務に専念していただきたいと思います。
 みなさんは本校最後の卒業生です。皆さんのような優秀で感性豊かな学生を最後の学生として送り出すことができる事を誇りに思います。
 皆さんが、永い歴史と地域医療に貢献する多くの優秀な人材を育てて来た本校の卒業生であることを誇りにして、大いに活躍されることを心から願って式辞といたします。

米盛 學鹿児島県医師会長祝辞
(新村 健理事代読)

 皆さんは今、医療の現場・看護の最前線に向かって、仕事への様々な思いをかみしめていらっしゃることと拝察します。しかし、皆さんには、半世紀にわたる輝かしい歴史があります。また、多くの先輩方が築いて来られた伝統の重みもあります。堂々と、誇りと勇気をもって旅立ってください。
 わが鹿児島県の医療界も、多くの看護学校で卒業生が県外に就職、あるいは進学するという深刻な状況を抱えております。どこで働くにしましても皆様方は、地域医療を支える医療スタッフの大黒柱として、これまで習熟された知識と技能を存分に発揮され、「笑顔で対応してくれる」「患者のことを心配してくれる」「質問によく答えてくれる」など、地域医療住民から信頼される、心温かい職員になってほしいと期待を申し上げます。

今井洋子鹿児島県看護協会長祝辞
 近年、国民の健康に対する関心は非常に高まっております。一方、医学の現場でも医療技術の高度化・複雑化がすすみ、医療従事者もそれに応えるべく努力することが求められます。これからみなさんは、資格を持った職業人として、安心・安全を心がけながら、よりよい看護が提供できるよう、日々研鑽を重ねられ、信頼される看護職員になられることを期待しております。

上津原甲一鹿児島市立病院長祝辞
 今の医療は、進歩が早く、めまぐるしいものとなっており、常に新しい知識の習得が求められる状況です。また医療の現場は複数の医師や看護師をはじめ、多くのcomedicalの人々のチームワークによって成り立っております。これからは知識の習得と協調性が必要とされます。唯、その根底となるものそれは“愛”です。ソクラテスの言葉に“人への愛のあるところ、医療の愛がある”という言葉があります。これから看護という大きな“愛”を育んでいって頂きたいというのが、スタート台に立たれた皆さんへの私からのお願いです。

お別れの言葉
 甲突川に反射する柔らかな春の陽差しが辺り一面をつつみ、桜の蕾が徐々に膨らみを増すこの佳き日に、ご来賓の皆様方のご臨席を賜る中、このように素晴しい卒業式を挙行していただき卒業生一同を代表して心から御礼申し上げます。
 思えば、鹿児島市医師会看護専門学校高等課程の最後の学生として、この場所で入学式を迎えて二年が経ちました。
 新しい一歩を踏み出す期待と不安を交差させながら始まった学校生活は、中学・高校からの新卒者や他の職業からの転職者、すでに医療機関の仕事に従事している者、家庭の主婦など、年齢も境遇もそれぞれ違うクラスの仲間との出会いから始まりました。そんな出会いの中、「看護職を目指す目標はみんな同じ、大丈夫。」と自分自身に言い聞かせていた事が懐かしく思い出されます。
 入学直後、クラスで初めて寝食を共にした宿泊研修では、グループ行動を重ねながら団体行動に必要な協力する事、個人の意識の大切さを実感し、少しずつ気の合う仲間が出来上がり仕事のこと、学校のこと、私生活のことなど、自分の胸の内を語り合い、話題は尽きず、互いの距離は自然と縮まっていきました。
 ミニバレーボール大会では教室を離れて共に体を動かし汗を流し、声を出して仲間を熱く応援する事でクラスが一致団結する事ができ、気付けば学校行事を通してそれぞれのクラスの個性が出来上がっていました。
 学生の本分である学業では、多くの医学の専門教科、専門用語の難しさに戸惑いましたが、教科書だけの授業ではない、講師の先生方の学生の頃の話や今までの体験談を交え講義は興味深く、要点を押さえた手作りの資料等、講義を重ねるうちに知る事、学ぶ事の楽しさを覚え、数々の疑問にも講義中、講義後とかかわらず質問する私達にお忙しい中丁寧に教えて下さり、一つ一つの知識の基礎が作られていきました。
 また、講義の前には仕事と学校とを両立させている私達を気遣ってくださり、リラクゼーションの時間を作って心と身体をリフレッシュさせてくれた先生、ナイチンゲールを通して看護の心を教えて下さり、学校の外でも学ぶ場所があると、先輩看護師方の為の講演会へ学生の私達も参加する事の出来る機会を作って下さり、看護師を目指す志を高めてくれた先生、それぞれの講師の先生方との出会いと学びが私達を着実に育ててくれました。
 一つの節目として迎えた戴帽式では、真っ白な白衣を身にまとい、一人ひとり頂いたキャップの重みを感じながら、看護の象徴でもあるナイチンゲール像より分け与えられた灯火の中、身の引き締まる思いで共に心一つに声を揃え、唱えたナイチンゲール誓詞は、皆の胸の奥に刻み込まれ看護に携わる者として生涯の訓えとなる事でしょう。
 そして迎えた七ヶ月にわたる臨地実習では、言い尽くせない程の沢山の事を学ぶ事が出来ました。  
 初めての臨床の現場では、常に緊張し続け挨拶一つ満足に出来ない自分に悔しさが募り、戸惑ってばかりでした。
 術後の疼痛に耐えている患者様に何と声をかけていいか分からずにうろたえた事、脈拍が探せず焦った事、細い腕にマンシェットが上手く巻けず慌てた事、その度に未熟な自分に反省ばかりしていました。そんな自分が少しずつ成長する事ができたのも患者様方が掛けてくださる「頑張っていい看護師さんになるのよ。」との言葉と優しい眼差しでした。その言葉と眼差しはいつも私を励ましてくれ力となって行きました。
 受け持ち後、しばらく患者様に受け入れてもらえずくじけそうになった日もありました。
 メンバーや先生方に助けられながら自分に何か出来る事はないかと心の底から望むと、次第に打ち解けてくださり、いつの間にか毎朝訪室を心待ちにしてくださいました。脳のトレーニングにとパズルを一緒に解いたり、実習の場でありながらも和やかな時間を過ごしました。時には病気や入院生活についての不安を語って下さり、患者様に近付き心情を少しでも知る事ができたことが嬉しく、諦めないこと、未熟ながらも一生懸命誠意をもって接する事の大切さをひしひしと感じることができました。栄養指導の日に「学生さんにも勉強させたいから一緒に連れて行くよ。」と担当看護師さんへお願いしてくれた患者様もいらっしゃいました。
 病室の窓辺に毎日違う季節の一輪の花があり、「庭や道端の小さな花だけど病室に閉じこもりきりだと季節も感じられなくなってしまうから。」と、患者様の家族の心遣いに自分も癒されつつ思いやりや優しさにふれた日もありました。
 産婦人科の実習では出産に立ち合わせていただき、母親の強さや思いを目の当たりにし、生命の誕生にひたすら感動し、医療に携わる者として命の尊さを再認識する事ができる機会にも恵まれました。患者様や家族の方々との出会い、数多くの場面やその時々に感じ得た事は看護学生としてだけではなく一人の人としてまた女性として更に大きく成長する事ができたと思います。
 山あり谷ありの臨地実習を無事乗り越えられたのもメンバーと共にどんな時でもどんな事でも助け合い励ましあい、友の頑張る姿に自分も負けてられないと勇気付けられた事が一番に思い出されます。
 立ち止まり悩む時は一緒に考え話し合い意見を出し合いました。自分の思いを言葉に出来ず白紙の実習記録を見つめるだけの夜もあり気付けば朝を迎え慌てて実習場所へ駆け込む日もありました。
 学業と仕事、中には家庭・育児とを両立させ、毎日をそれぞれ精一杯こなしていきました。
 もちろん自分達だけの力ではなく、臨床現場のスタッフのアドバイスや看護に取り組む姿勢の凛々しさに看護職の厳しさや素晴らしさを学び学生の今という時間の貴重さを教わりました。
 私達が考え迷う時も喜びを分け合うときも先生方は傍に寄り添い、時にはそっと遠くからいつもどんな時も根気よく見守ってくれました。
 そして看護師という夢を叶える日を楽しみに、惜しみなく応援してくれる家族に支えられ私達は今日という日を迎える事が出来ました。
 現代の便利な医療機器が次々と開発されている時代と違い何もなかったはるか昔、熱を出すわが子の額に水で冷やした自分の手をのせ看病した母親の話と一緒に、「看護」という漢字の語義として「看」は手と目の合字で「手でかざして目で見る」はよく見る事であり、「護」はまもる事であるという看護の原点を入学してすぐに教わりました。
 そして様々な二年間の経験の中で自分の弱さを知りそれを受け入れることが、互いに信頼し合い助け合う事ができる源と知りました。知識や技術も勿論大切ですが、そのまま自然とあふれ出す感情こそ看護の根拠であり、私達の活力となっていくものなのかもしれません。
 そして、人という字は支えあって成り立っているように見えるという通り、私達は人との関わりの中で生き、その中で支えあって生きているのだということを見つめ直す事もできました。
 そんな中、数々の越えなければならない障害につまずき、志も半ばで学校を去った友を仲間として支えることができなかった事に悔しさが残り、一歩一歩前へ進む私達が進級しても、後輩が入ってこなかったこの校舎は広く、本当にこの学校は終わってしまうのだと大きく、深い寂しさを感じました。
 私達に看護を学ぶ場を与え、育ててくれたこの学校が終わりを迎える事は、私達と同じような夢や希望に満ちた数多くの後輩が次々と続き目指すであろう看護師への道が狭くなってしまわない事を切に願ってやみません。
 また、自分達が進む道も専門職としてさらに厳しく求められ、今まで以上の困難に出会う時もあるかと思います。しかし、現実を見据え思いも新たに、ここまで歩いてきたことを自信と勇気に変えて、看護師としての第一歩を力強く踏み出したいと思います。
 最後になりましたが私達を時には温かく、時には厳しく熱意を持ってご指導くださいました先生方、臨床指導者の皆様、支え続けてくれた家族、そしてかけがえのない友人達、二年間私達を見守り力になってくださいました全ての方々に、この学び舎を去るにあたり改めて心から深く感謝を申し上げます。
 鹿児島市医師会看護専門学校高等課程で学んだことを人生の糧とし、なくなってしまう母校の灯火を私達の魂に絶やすことなく、日々精進することをここにお誓い申し上げます。
 本日ご臨席くださいました皆様のご健勝とご活躍、さらなる発展を心よりお祈り申し上げ、卒業生を代表しお別れの言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
 平成20年3月1日
  鹿児島市医師会看護専門学校高等課程
第54回生代表 高田 香織

<各賞受賞者>
学 校 長 賞 1 組 高 田 香 織
県医師会長賞 2 組 上 床 美 樹
学  校  賞 1 組 松 坂 敦 子
平 田 美佐子
2 組 東 窪 雅 美
皆  勤  賞 1 組 植 村 麻 代
大 住   渚
鈴 木 今由紀
長 倉 昌 代
永 田 和 代
中 目 優 花
平 田 美佐子
森   沙弥香
2 組 葛 和 麻 美
黒 木 桃 子
中 間 恵 子
原   未 来
山 村 美由紀



看 護 専 門 学 校 高 等 課 程 閉 課 程 式

 卒業式に引き続き同会場で閉課程式が挙行された。
 学校長式辞に続いて、臨地実習にご協力いただいた7施設に感謝状が贈られ、フロアの学生全員が起立して「実習ではお世話になりました。ありがとうございました。」と御礼のことばを贈った。 
 同窓生代表挨拶では、第20期生 西 龍子さん(医療法人緑泉会まろにえ介護老人保健施設看護部長)が本校の閉課程を惜しみながら、学生時代の思い出を話された。
 スライド上映「学校の歩み」の後、卒業記念と閉課程を記念して作成されたブロンズ像が披露された。
 最後に、参列者全員で校歌を斉唱して閉課程式が終了となり、鹿児島市医師会看護専門学校高等課程の55年の歴史に幕が下ろされた。


市来健生学校長式辞
 本校高等課程は、太平洋戦争終戦後の看護師不足が大きな社会問題となっていた時代、昭和28年に武町の鹿児島県医師会館の中に「鹿児島市医師会准看護婦学校」として設立されました。
 昭和38年に加治屋町へ移転、新医師会館建設に伴う下荒田への移転を経て、昭和45年からこの校舎に移り現在に至っております。
 開校以来、55年の永きにわたり、地域医療で活躍する多くの人材を輩出し、本日めでたく卒業を迎えた第54回生で9,588人の卒業生を送り出すことができました。
 本校は、歴代の鹿児島市医師会長が学校長を務める、鹿児島市医師会の中心的な事業の一つでございました。
 昭和36年からの2年間は夜間部を併設するなど、多くの学生がこの学舎に集い、平成9年までは、二学年で500人を越える学生が机を並べて看護職への夢に向かって勉学に励んでおりました。
 しかしながら、その後の看護師養成学校の増加や少子化などによる入学希望者の減少など諸般の情勢を検討した結果、閉校という苦渋の決定に至ったのでございます。
 鹿児島の地域医療のために優秀な人材を育成しようという理念のもと、今日まで本校を支えてくださいました、鹿児島市医師会会員、教育をご担当いただきました講師の先生方、臨地実習施設とそのスタッフの皆様方をはじめとする、多くの方々の多大なご支援、ご協力に対しまして、高いところからではございますが、この場をお借りして心から厚く御礼を申し上げます。
 そして、学生一人ひとりを我が子のように慈しみ導いてこられた教務のみなさん、本当にありがとうございました。みなさんが育てられた学生は立派な社会人として地域医療の場で活躍していることと思います。まさに皆さんこそが学校そのものであったのだと思っております。本校への貢献に対して、あらためて厚く御礼を申し上げます。
 今日ここに集まってくださった、卒業生の皆さん、そして今日卒業していく第54回生の皆さん、本校での学びを心に刻み、本校卒業生として誇りと自信を持ってこれからの人生を進んでください。
 皆さんの更なる活躍とここにお集まりいただいた皆様のご健勝とご発展を祈念申し上げまして、式辞とさせていただきます。

<臨地実習協力医療施設>
 鹿児島市立病院
 医療法人常清会精神科神経科尾辻病院
 医療法人光広会産婦人科・麻酔科堂園クリニック
 医療法人猪鹿倉会パールランド病院
 医療法人平野エンゼルクリニック
 医療法人白光会白石病院
 鹿児島市医師会病院



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