=== 新春随筆 ===
「 年 頭 雑 感 」 |

(T13.3.26生)
|
中央区・清滝支部
(片瀬クリニック)
片瀬 游
|
|
私は平成13年に診療所を改築しました。その時に1階を貸しギャラリーにして(ギャラリー游)、利用してもらっています。或る30代の出展者の方より、昭和初期から戦争までの事は余り本にも書いてないので判らないから教えてくれと云われたので、年を考えると既に終戦で60年以上経っているので「なる程」と感じました。自分ではまだ最近あった様な感じですが、若い人にとっては70年位前になり「昔話」を聞く様なものだなあと感心しました。「明治は遠くなりにけり」ではなく、昭和も遠くなり、平成になって今年は20年です。戦争を知らない年代の人が首相になり、議員の大部分は皆戦争を知らない人になりつつあります。戦争の苦しさを実感してない人が多くなると戦争をしたがっている、と何かに書いてありました。戦争は苦しみと、うらみと、悲しみを作り破壊のみで創造はないといわれます。作られるものは新しい殺人兵器のみで人間にとっての利益はない。平和があって、初めて人間の幸福がもたらされるものと実感しています。
以前の事が判らないと云われたのでここに昭和初期からの事を書いてみます。私は甲子の年(大正13年)に山之口町で生まれそのまま現在に至っております。今年は(戊子)で7回目の子の年を迎える事になります。昭和初期の全世界の不況、日本でも銀行の取付騒ぎ、破産があったのを覚えています。又農村では貧乏の末、娘の身売りが多く見られ、又ブラジル、満洲等に移民が行われていました。之は一種の棄民政策であるといわれていました。鹿児島でも与次郎ヶ浜の塩田の跡地には乞食小屋が沢山建てられており、時々父が往診に呼ばれて行っていました。この様な世相を見た若い学生や有識者には左傾する人も多く、その対策に政府は言論圧迫を加え、警察には特別高等警察(特高と言っていました)を組織して思想の弾圧を行い、出版物の検閲等を行って、出版物の発行を停止したり、一部を伏せ字にさせたりしていました。学生の下宿には特高が無断で臨検と称して上がって来て、本棚を点検、ノートを調べ、少しでも左傾の本があると学生を留置場に入れて調べたりしていました。現在の北朝鮮や中国の公安、ナチスのゲシュタポ等と同様です。学生誌や学内新聞も発行する前に、特高に持って行き検閲を受け、その後に発行する事になっていました。何か重苦しさを感じていました。
又、徴兵制度があり、国民の三大義務の1つとして、兵役につかねばならぬ事になっていました。軍隊では二等兵に対し、「お前達は一銭五厘だ、軍馬は買うに沢山の金銭が要るので馬は大切にせよ。」と言われていました。一銭五厘とは当時のハガキ料金です。兵隊は令状1枚で召集出来るとの意味です。徴兵を忌避する事は国家に対する反逆とされていました。又、懲罰召集という制度があり、「好ましからざる人間」に対して令状を出して、軍隊に入れ、必ず死ぬ様な所で仕事をさせるのがありました。北朝鮮の訓練収容所と同じです。徴兵制度というものは大変危険なもので、絶対作ってはならぬものです。軍人が力を持つと、必ず軍人の専制政治となり人権は無視されて、一部の軍人とそのつながりのある人だけの世の内になります。又、軍備に金がかかり、インフレとなり国民は苦しむばかりです。軍備は放棄するのが最良です。国益の為とか、国際協力の為とか、美名にだまされぬ様しっかりと見張って置くべきです。戦前の苦しみを経た者としてつくづく軍人を威張らせてはいけないと感じます。
又、最近は効率化、効率化と何でも効率化で、丁度戦時中の「一億一心」「ぜいたくは敵だ」の様です。
効率化の名のもとに、非効力の田畑はつぶし、農村の老人は町にまとめて収容すれば良い、とか農村には金をかけても無駄だ、道路は狭いままで良い等、農村をつぶす事を主体としている様で、又、米は工業生産して、その金で買う方が効率が良い等と言う人が政治家にも経済人にも一部の経済学者にもいる様です。農村で米作を止めると農村はつぶれ、田畑は荒れ、山林も荒れ、山や田の保水能力は少なくなり、大雨が降れば川は洪水となり、都市も水害に遭い、又、雨水の貯えも出来ず、地下水も涸れる事になり海も汚染、海の生物は少なくなり、野菜も米食も少なくなってすべての生産効率が悪くなる。又、教育にても同様大きくまとめる事に主体が置かれるが、小さなシステムにも良い事がある。小さな松下村塾からは沢山の明治の偉人が出ている。効率化で大きくする事だけが良い事ではないと思います。小さいと良く気がつきます。
医療でも同様と思います。大きな病院だけが効率が良いとは限りません。政府は効率化といって、医療も国家統制下に管理するという野望がある様に見えて仕様がありません。国民皆背番号、弱い者は切り捨て、有病老人は治療費がかかるから治療制限し、早く死んでもらいたい、と考えられる様な政策が行われている気がします。又、国家が、好ましからざる者は精神病院に強制入院させ大量の安定剤を投与させるという風になったら大変です。
医療は小さな診療所や小さな病院でも、土地の住民と一体になる事が出来て良い医療が出来ると思います。大きな病院で住民と一体化出来るでしょうか。今後の医療は医療人と住民との心の通じ合いがあって良い医療が出来ると思います。ただ単に「インフォームドコンセント」のみの機械的なものでは本当の医療が出来ぬと思います。一歩進めてお互いの人間としての心の交流があって、初めて本当の医療が行われるのではないでしょうか。この様な医療が行われる様努めたいと思います。

|
このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2009 |