=== 新春随筆 ===
人 生 の 黄 金 期 |

(S11.7.14生)
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東区・紫南支部
(今村小児科)
今村 正人
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70歳は古希である。「人生七十古来稀」という中国唐代の詩人、杜甫の詩による。「人生五十年」といわれた時代である。
小生、いささか心に抵抗を感じながら古希を迎えて今年は年男である。百歳以上の高齢者が3万人を越す我国の今日、「人生百年」の時代も夢ではないとすれば、小生にはこれからまだ人生を味わうよき時間が残されている。より深く人生を味わえる時間を大切にしていきたいと思う。
振り返ってみれば、多くの人がそうであるように、波乱万丈の人生とはいわないまでも山あり谷ありの人生を、その時々を懸命に生きてきたのだと思う。近所隣りのお兄ちゃんたちのあとをついて東京の田園でトンボや蝶を追いかけた日々、時間がとても長く感じられたのどかで楽しかった子ども時代であった。小学2年生で上海に渡り、翌年、終戦の年の春、何隻かの駆逐艦に護衛されての貨客船での帰国、子ども心にも敵艦からの攻撃の危険性を意識させられた。戦況はきびしさを増していた。熊本の、当時陸の孤島といわれていた山奥に疎開して3日目に終戦を迎えた。太陽がじりじりと照りつけていた。この地での川遊び、ススキ狩り、栗拾い、3学年が同じひとつのクラス、あわせてふたクラスで30人たらずの分教室での学校生活、貴重な時間だったのだと今振り返ってみて思う。米1升が5円だったと記憶している。その年の暮、母の郷里指宿へ、翌年春、父の郷里山川へと6つの小学校を転々とした。中学時代も父の関係で転校、2校に学び遊んだ。当時のこととて、受験勉強もそこそこに高校へ。浪人の末、鹿児島大学医学部に学んで今日に至っている。小学3年生の時はじめて普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた時、車窓から見た桜島の大きかったこと、米のめしにありつけなかった小学生時代、通学も遊びもはだしか、自分たちでつくったわらじを履くかであった。小学5年生での母の死、高校時代の寮生活、その仲間たちとの大噴火2年前での2回の桜島登山、大学時代の数人での霧島連峰の縦走、学生運動、安保反対のデモ行進、西医体への参加、連日の解剖学実習、岡山での5大学10人の仲間たちとの楽しかったインターン生活、我が青春時代のひとこま、ひとこまが、ついほんの少し前のことのように思い出される。時が流れて、そんな青春時代を共に過ごした仲間たちの約2割が既に他界している。なんともはかない。
古代インドでは人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」である。人生を百年と考えてこれを四つに分けてみると各期25年。「学生期」は青春時代。心身をきたえ、学習し、体験をつむ。「家住期」は社会人の時期。就職し、結婚し、家庭をつくり子どもを育てる。そして「林住期」こそ人生のクライマックス、黄金期であるという。
50歳で、今では停年の60歳で一区切りつけて自分を見直し、これからの自分の生き方を思い描き、自分をリセットして自分らしく充実した人生を生きる時期、これがまさに黄金の林住期であろう。それが仕事であれ、社会貢献であれ、趣味であれ、小さな冒険であれ、要は意欲が駆り立てられ精神的な満足が得られる生き方ができるかどうかということであろう。
小生、まさに林住期の終わりに差しかかっている。なんとかもう少し引き伸ばして人生の黄金期、クライマックスを実感したいものと思う。そして、やがて心が解きはなたれた遊の世界に入っていければ幸せである。

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