随筆・その他

     産業遺産の保存とその活用を考える

    − 英国のアイアンブリッジ渓谷を訪ねて −
西区・武岡支部
       松下 敏夫

 とかく暗い話題が多い昨今、2007年7月、ユネスコ(UNESCO、国連教育科学文化機関)が「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)を世界遺産(文化遺産)登録のニュースは、久し振りの朗報であった。わが国では、これまで文化遺産11件、自然遺産3件、合計14件が登録されてきたが、石見銀山は、産業分野の遺産としてはわが国初のものである。

アイアンブリッジ渓谷一帯の世界遺産
 ところで、イングランドのシュロップシャー(Shropshire)州は、英国における産業革命発祥地の一つである。この州のセヴァーン川沿いのアイアンブリッジ渓谷(Ironbridge Gorge)に近接するコールブルックデール(Coal-brookdale)で、エイブラハム・ダービー一世(Abraham Darby I, 1678-1717)が、1709年、コークスを燃料とした溶鉱炉の建設に成功し、鉄鋼の大規模な生産が創始された。そして、これを利用して蒸気機関のポンプ駆動の鉄製シリンダーや輸送機関で重要な鉄製レールなどが開発され、産業革命の原動力となり、1779年には、世界初の鉄鋼製の橋“Ironbridge”が建設された。
 アイアンブリッジ渓谷に沿って広がる広大な地域には、産業革命発祥期の鉄道や発電所、石炭地下トンネル、波止場、工場群など多数の遺構類があり、この一帯が1986年に世界遺産として登録された。そこには、当時の溶鉱炉、工場、作業場などを活用した鉄鋼博物館、アイアンブリッジ渓谷博物館、タイル博物館、陶磁器博物館などがあるとのことで、私は、予てから是非訪れてみたいと思っていた。


アイアンブリッジ渓谷を訪ねる
アイアンブリッジ渓谷博物館
アイアンブリッジ(1779年建設)
コールブルックデール鉄鋼博物館
アイアンブリッジ研究所

 この希望は、幸い、2007年4月、バーミンガム近郊のホテルで開催された国際産業保健学会(ICOH)の「職業性及び環境性疾患予防の歴史に関する科学委員会」主催の第3回国際会議に出席した折に、学会の見学ツアーとして実現した。
 学会の専用バスで走ること約一時間、アイアンブリッジ渓谷博物館に到着した(写真)。重厚な外観のこの建物は、以前は倉庫として使用されていたという。館内には、産業革命の発祥地として世界遺産登録されたこの地域の重要性や歴史などを解説したビデオや模型・展示物などが多数あった。



 博物館から徒歩数分の場所に、世界に先駆けて英国で起こった産業革命のシンボルとして有名な鋼鉄製の橋アイアンブリッジがあった(写真)。英国で最長のセヴァーン川を横断する全長約30mの圧縮アーチ状橋の優雅な見事さには、ただ感嘆するのみであった。







 次に訪れたアイアンブリッジの北のコールブルックデールでは、立派に復旧・装飾された時計台がある鋼鉄製の鉄鋼博物館(写真)へ入館した。ここには、ダービーが開発したコークスによる鉄溶解の溶鉱炉の原型や美術工芸鋳造物のコレクションを含む製鉄業などの歴史に関するさまざまな展示物があった。
 






 その横手には、以前は倉庫として使われ、現在はバーミンガム大学のアイアンブリッジ研究所として使われている建物があった(写真)。この研究所では、遺産管理や歴史的環境保護、博物館管理、産業考古学に関する大学卒業後の修士や博士号取得の教育が行われているという(通信教育を含む)。
 研究所の近くには、石炭などを運んだ鉄道の高架橋があり、その下には、産業革命のすべてがここから始まったエイブラハム・ダービーが開発した現物の古い溶鉱炉などの遺構類が展示物と共に保存されていた。
 この広大な歴史的地域は、住宅開発などの再開発事業の中に位置付け、その中で産業遺産の整備を進めており、現在、アイアンブリッジ渓谷博物館トラストとその関連博物館の発展に伴い、アイアンブリッジ渓谷観光ツアー、研究・教育、各種イベントの開催、ショッピングなどとして見事に保存・活用されているようである。


世界遺産登録と産業遺産の保存・活用
 ユネスコの世界遺産には、文化遺産、自然遺産、複合遺産があり、その選定は、文化的基準(6)と自然的基準(4)の10個の基準により行われているが、世界遺産の概念自体が進化するため、委員会により定期的に改正されているという。近年、登録申請が増加する中で、年々新たな登録を抑制する傾向があるようである。
 産業遺産は、人類の科学技術の発展と産業活動の進展の成果を示す産業文化の遺物のすべてとされる。近年、それらを現場で良好な形で保存・活用しながら次の世代に伝えていくことが重要視されつつある。
 これらの産業遺産は、先進的事例を見ると、まちづくりのシンボル(景観)としての活用、産業技術博物館等による技術継承や学習的活用、新しいタイプのツーリズム拠点としての活用、トラストのような形での運用などとして活用されているようである。

終わりに
 わが国における近代化産業遺産群は、現在の経済大国日本の原点で、日本が何故急激な近代化を遂げることが出来たのかを解明する鍵になるともいわれている。
 最近、幕末・維新期に諸外国との軍事的緊張や外来文化との融合により産業技術が発展した中で、日本近代化を担った鹿児島県内の集成館(反射炉・溶鉱炉跡)、集成館機械工場(現尚古集成館)、鹿児島紡績所技師館(現異人館)を含む九州・山口の産業遺構を、世界遺産に登録しようという動きがある。
 しかし、石見銀山や旧官営富岡製糸場の世界遺産への登録運動のような官民挙げての運動には至っていないように見受けられる。
 今後、先進事例の多くの教訓に学び、九州・山口の貴重な産業遺産の適切な保存とその有効な活用を図り、是非、ユネスコの世界遺産登録も行われることを期待したいものである。




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