新春随筆

「 焼 酎 ク ラ ス タ ー 」を 夢 見 る

KTS鹿児島テレビ社長 山元  強

 焼酎にはまっている。以前は日本酒党だった。自分の体調に合っているし、血液サラサラ効果あり、と医学的に言われると焼酎の味を一層、美味しく感じる。それで一体、鹿児島県内に何種類の焼酎があるのか。いろいろな方に聞いてみると、これがはっきりしない。県外の方が、こういうことに関心が高く、焼酎を酌み交わすとよく質問を受ける。そこで最近は耳で仕入れた情報をもとに、こう答えることにしている。「蔵元が大体110ぐらい。種類は数え方にもよるが2,000ぐらいでなかろうか」と。さらに「プライベートブランドを含めたラベルの種類だけなら5,000以上はあると聞くことが多い」と付け加える。これらの数字は、何人かの焼酎蔵元らに聞いてみたり、活字を読んだりしての受け売りだが、根拠になるデータを、と求められるとあまり自信はない。
 実は、何種類または何銘柄あるかを明らかにするには、焼酎をどう分類するかの基準が確立されていなければならない。それがはっきりしないから、大雑把なことをつい言ってしまうのだろう。500年以上の歴史を持つ薩摩の焼酎だから、分類などという発想自体が風土に合わないのかもしれない。ただ、これだけ日本全体に広がり、グローバルな商品として発展することを期待されている今だからこそ、この問題に関係者の知恵を絞っていただきたい。いろいろな切り口があるはずだ。原料の種類、産地、土壌、麹菌の種類、蒸留の方法、杜氏(機械生産ならコンピューター技師)の名前、手作り、機械式、仕込みの方法、貯蔵方法、味や香りの分類、年代などなど。これらをどのように表示するか。そのためには、どのような基準を作り出したらいいのか。半端な仕事ではない。もはや学問レベルのアプローチになるはず。
 2004年2月に鹿児島市の県民交流センターで開かれた「デザインフェア」に出かけた際、会場に焼酎関連コーナーがあり、その一角で県内の焼酎ラベルを集めて幅90センチのロール紙に貼り付けた展示物(写真上)を見つけた。いつもユニークな作品に挑戦されるアーティストの、ます光三知子さんが県内各地域の焼酎組合の協力を得て作り上げたものだった。その展示物は、彼女の本来の作品の周辺を飾るディスプレーみたいな存在だった。県内の焼酎の種類に関心を持っていた私は、それを見た瞬間つい興奮して親戚のものに「カメラを持ってきて写真に記録してくれ」と頼んだものだ。これをラベルごとにばらばらに切り離し、焼酎を分類してみようと思い立ったのである。ところが、この写真をいくら眺めても、ラベル数がおよそ1,200と膨大なうえに基礎知識もないため分類の方法も思い付かない。すぐに自分には到底無理だと分かり、あきらめてしまった。その後、やはり県外から支店長として赴任されている方が、「在任中に分類の調査・研究をプライベートにやってみたい」とおっしゃったので、「これ幸い」とばかりにその写真を差し上げた。分類されてない資料なので、多分、何の役にも立たなかったはずで自分の押し付けがましい態度を反省している。
 焼酎が今や、東京、大阪、名古屋といった大都会でワインを上回る勢いで親しまれるようになったことは、県民の一人として大変嬉しい。東京・赤坂のあるイタリアンレストランに入ったところ、昔はワインをずらりと並べてあったコーナーに焼酎が何種類もおいてあるのでびっくりした。店主に聞くと、お客が要求するから、置かざるを得なくなった、と複雑な表情だった。博多でもある居酒屋の女将さんから「うちは、もともといい日本酒を置いてあるのが自慢だったのに、今や焼酎が主力」とぼやかれた。なるほど棚には、鹿児島の芋焼酎がずらりと並んでいた。かつてブランデーやバーボン、ウイスキーが幅を利かせていた都内のホテルのバーも様変わりした。メニューに何種類かの焼酎が登場する。少し前になるが上京した折り、そんなバーの一つに立ち寄ってみると、メニューに他の洋酒に混じって3種類の焼酎が目に付いた。2つは鹿児島の著名な芋焼酎で残りは奄美の黒糖酒である。驚いたのは芋焼酎が一杯2,000円弱であり、黒糖酒は、その6割ぐらいだった。我々の世代感覚でいえばかつての高級ブランデー並みである。オンザロックか水割りを勧められた。躊躇なく黒糖酒を注文したところ、「シングルにしますか、ダブルにしますか」と畳み込まれた。もちろん、「シングルで」と答えた。仮に芋焼酎を「ダブルで」などとウイスキー感覚で注文するとグラス一杯で4,000円近くになる計算だ。友人たちとわいわいがやがやと飲むという焼酎のイメージがふいに遠のいた感覚を覚えた。
 焼酎に付加価値がつくこと自体は、焼酎王国にとって悪いことではない。だが、庶民に愛されてきた歴史を考えると、ある種の焼酎の高額さは少々異常である。きちんと分類され、「なるほどこれは、高いだけの理由がある」と消費者が納得する商品であって欲しい。幸い、18年4月から鹿児島大学に焼酎学講座が誕生した。醸造学では日本一と定評のある東京農大教授の小泉武夫氏を客員教授としてお迎えすることができた。嬉しい限りである。地元からは元薩摩酒造常務の鮫島吉廣氏と、元宝酒造の研究開発センター長の伊藤清氏のお二人が教授に就任した。焼酎の分類などにも学問的見地から、研究調査し、消費者も納得できるものをご提案していただけたら、と願うものである。
 ところで、これからの焼酎について何が求められるか、ファンの一人として考えてみた。飲み方は人の好みの問題なのだが、お湯割り、水割り、ロック、カクテルなどさまざまな方法をもっと広げてもらいたい。「焼酎は、水で割ったものを黒ぢょかに入れ、直火であたためて飲む」という伝統の飲み方を世の中に広めることは必要で大事なことだが、熱心なあまり、これを押し付けないで頂きたい。蔵元の作り手たちが情熱を傾けた焼酎をこう飲んで欲しい、という思いがあるのならば、商品の中でぜひ紹介してもらいたい。その熱き思いを感じながら飲むと一層美味しく感じるからである。作り手の個性をアピールしていくことがこれからの焼酎の品質を高め、一時的なブームに終わらせない方法の一つだと思う。中でも今後の研究テーマは、焼酎カクテルや地元のさまざまな素材とのコラボレーションだろう。例えば、最近、鹿屋市の「かのやバラ園」と大海酒造が連携し、香りの強いバラの「ロサ・ダマセッナ」と芋焼酎を組み合わせて「2006原酒 薔薇の贈りもの」を売り出したが、どのような反応になるのか注目したい。鹿児島が誇る日本茶やフルーツなどとの組み合わせも充分考えられる。ホテルなどで焼酎カクテルもいく種類か飲んでみた。独断で申し訳ないが、味、ムードともいまいちだ。
 やがてワインのようにグローバルな商品に発展してゆくためには、グラス、ボトル、デキャンタに当たる中間の容器(ちょかやお銚子)のデザインの向上も重要である。つまりテーブルの上の印象である。焼酎グラスや焼酎サーバーも最近、さまざまな製品が登場している。これなども購入してみると、他県の製品であったり、外国で作られたりしていることもある。もっとも新しい動きもある。最近、日置市東市来町美山の陶芸の里の一角に井手江里子さんがガラス工房「ウェルハンズ」をオープンさせた。デザイン性のあるグラスなど美しい作品を拝見させていただいたが、オンザロックや水割りのグラスにぴったりなものもある。手作りなので一つ一つ微妙に違う。温もり感があっていい。但し、耐熱性ではないのでお湯割りには向くまい。私自身は、お湯割りのときは、県内のデパートで買い求めた分厚いガラスのコップ(ごつごつして大きくどっしりしている)か、友人の娘さんから頂いた有田焼き(湯飲みより一回り大きい)の容器を使ってお湯割りを飲んでいる。いずれも気に入っている。ただ、分厚いガラスコップの方は、「焼酎グラス」と日本語で書いてあったので国産と思ったが、日本のガラスメーカーによるメイド・イン・チャイナだった。デザインだけではない。焼酎粕の有効利用ももっと力を注いでいただきたい。健康に役立つ成分もあるようだ。すでに粕から取り出され、クエン酸飲料として商品化されたものもある。産学連携の成果と聞いている。
 クラスターという言葉がある。語源的にはぶどうの房を意味している、という。私自身は、公共事業に頼らないで地場産業を集積発展させる理論と勝手に解釈している。焼酎の発展は、焼酎単一商品だけではだめで、さつま芋作りから、蔵元ツアーによる観光事業にまで関連するさまざまな商品・課題がブドウの房のように重なりあって、相互に刺激し合い、力を付け合い、集積発展して行くべきでないかと期待している。「焼酎クラスター」を鹿児島起こしの中核に据えるぐらいの意気込みがあってもいい。それには、業界、自治体、大学などの産官学連携が必要だろう。全体を動かすエンジン部分をどこが引き受けるかが次の課題になってくる。どなたか「よし来た」と引き受けていただけまいか。


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