新春随筆

看 板 の ユ ー モ ア

エフエム鹿児島社長 大囿 純也

 先日、かねて念願の熊野三山巡りに出かけた。勝浦からの観光バスは終点までの客が私ども夫婦のほかは1人だけ。もったいなくて落ち着かなかった。旅行にかぎらず、外に出ると看板の類に私は目がゆく。気に入ったのをメモしておく癖が、いつのまにか身についてしまった。今度の旅行はひたすら深山渓谷を縫っての道行きだから、それほどたくさんではなかったものの、収穫はあった。
 新宮から熊野川沿いに入って早々『那智ねぼけ堂』と大書した広い屋根の建物が見えた。うつらうつらのねぼけまなこを見開いて、急ぎ持参のガイドブックを開いてみた。熊野の工芸品や珍味を製造販売する、このあたりでは有名な老舗。屋号は江戸時代の狂歌の名人太田屬山人寝惚堂が茶菓を好んだことに由来する、とある。
 屋号といえば、週1回講義に出かける、唐湊の純心女子短大の、坂道を降りた新川近くに『てまひま堂』というのがある。1行添えていわく「てまひまかけて願かけて……」。どんな商いか知らないが、この看板、毎週見上げるたびに楽しくなる。

 佐渡へ出かけたのはもうずいぶん前だが、このときの収穫もちゃんとメモに残してある。
そのひとつが、港に到着してすぐ目にしたスローガン、
 『行くトキ来るトキ 安全運転 両津警察署』
 両津にはトキの繁殖センターがある。スローガンにとどまらず、ここでは街路灯までトキのかたちをしている。金山で知られる隣町相川の土産は海産物。自慢はイカの一夜漬だそうで、交通安全の看板も『スピード違反はスルメー』となる。
 そのまた隣の真野町に入って、おやおやと目を見張った。道路沿いの家々に貼ってあるステッカー、なんと『アルコール共和国』。飲酒運転の礼賛とも読めるではないか。気になって役場に問い合わせてみた。実は佐渡に7つある日本酒メーカーの大半がここに集中しているそうで、そのPRが狙いだという。「飲酒運転奨励? とんでもない。町民みんな(オール)歩こう(アルコー)、つまりアルコール……なるべく車は使うまいという呼びかけですよ」。少々強引な気がする、とメモに評してある。
 交通安全に関する看板はたいてい警察が立てる。『行くトキ……』もそうだが、警察のセンスにはコピーライター顔負けの傑作が少なくない。ひったくりが横行していた都心のある団地で「犯人を逮捕しました。ご協力ありがとうございました」という張り紙を交番に出したら以来ひったくりがなくなった、という話題を先日テレビが紹介していた。心理作戦の勝利だ。

 九州自動車道の人吉―えびの間がまだ通じていなかったころ、鹿児島から熊本へ行くには国道221号で加久藤峠を越えるしかなかった。急坂・急カーブが続く名うての難所だから事故が絶えない。トンネルを出た人吉側にひときわ目立つ大看板があった。
 『助かりません重大事故 救急病院まで○時間 人吉警察署』
 「速度を落とせ」などの看板・のぼりが大小とりどり、このあと長い坂を下りきるまで林立している。あまりの多さに、わかったわかった、目障りだぞ……とつぶやきたくなったところを見透かしたように、視界に飛び込んできた1枚に、
 『看板を見くびるな!』

 旅行先で、といえば、数年前の英国旅行で面白いのを見つけた。ロンドンに住む二男の家族とスコットランドに出かけたその帰り、エディンバラの空港で隣に並んでいる飛行機、胴体に『Boldly Go』とあった。格安航空会社Go Flightの飛行機だそうだ。鹿児島ならさしずめ“チェスト行け”号。いかにもユーモアの本場らしい。
 「男は3年片頬」(かたふ、薩摩男児たる者、カカ大笑するのはせいぜい3年に1度、それも片頬ずつでよろしい)、とされた土地柄だから、ユーモア感覚は体質遺伝的に希薄とされる鹿児島だが、今は身近にあの『てまひま堂』の例もある。世代の更新にあわせて徐々に渋皮が取れつつあるようにも見える。
 私の住む紫原団地は全体が丘陵地で南側の斜面には昔からの墓地が続いている。登り口に花屋や墓石屋さんがある。ともに墓地に欠かせぬ商売だが、ほかにも関連の商売があることがわかった。墓地の一角に看板あり、
 『将来あなたも住む家です。お墓に屋根をつけませんか』
 このあたり、周辺住民の格好の散歩コースでもある。坂を登りきった住宅地の一角に物理療法の診療所が看板を掲げている。列挙された治療対象に「腰痛」などと並んで『ギイックリ腰』。あいたたた……と悲鳴が聞こえてきそうなひびきではないか。今のところ私のコレクションでは秀作のひとつに入れてある。
 予備校が並ぶ博多の街の一角が「親不孝通り」と呼ばれたのはもう随分昔のことで、その後これは正式に地名として認知されたと聞く。当時は『ノーベル荘』『住みよさ荘』といった学生アパートがあったそうだ。最近評判になった映画「三丁目の夕日」の雰囲気とだぶり、大昔の学生時代、箱崎で間借り生活を送った身にはことさら懐かしい。
 最近、真砂の路地を歩いていて『健康荘』というのを目にした。木造モルタルの小さな2階建だが、洗濯物の干し方まで行儀がよく、清潔な感じがいい。箱崎の「三丁目」を思い出したのは、このアパートの近くをたまたま通りがかったせいだろう。
(以上)


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