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バ ラ Rosaceae
バラ科の一属ローサRosaの総称で, 園芸品種の中でも代表的な鑑賞花木の一つである。原種は新旧両大陸の赤道以北に分布し, 280種以上にも達するといわれており, 原種あるいはそれに近い形態のままで鑑賞されているものもあるが, 今日一般に栽培されている園芸品種は高度の雑種である。したがって現在の栽培品種の形成に関与している原種の数も少なくはないが, それらのうちでもっとも重要と考えられるものを挙げると, その数は意外に少なく、Rosa chinensisこうしんばら(中国)R. damascena(中近東), R. foetida(ペルシャ)R. moschata(中国南部かインド), R. odorata(中国), R. multifloraのいばら(日本), R. rugosaはまなす(日本), R. wichuraianaてりはのいばら(日本)などにしぼられ、現代のバラの多くは少なくともこれらたった8種の原種から2つ以上の血統を受け継いで今日にいたっているものといわれている。東西の交易によって西洋に渡った中国と日本の原種が近代のバラを育て上げたことは、ユリと同様注目に値いしよう。
歌劇カルメン(Bizet, 1875年初演)第一幕, セヴィリアの辻で, カルメンが流し目に花を投げつけるシーン, それは真っ赤なバラの一枝と衛兵のドン・ホセ。
原作(Merimee, 1845)はともかくとして、メイヤックとアレヴィーの合作台本による劇作上の意図は、開幕前からすでにこの物語の悲劇的結末を序曲によって予期させ、呪われた運命の中に嵌(はま)りこんでゆく激情のヒロインを赤いバラに象徴し、ハバネラのリズムにのせて静かに歌いだす愛の歌の冷笑的な唄いまわしにトゲを暗示させたかったのであろうか。
トゲをもつ植物はそう多くはないが、サボテンのように何者も寄せつけないぞという構えのものから、カラタチの立ちはだかり型、青グリはさしずめ解禁まちというサインであろう。バラは葉柄や枝に猫のツメのようなトゲを逆さ向きに配列させていて、枝、葉の間に手を差し入れるのは簡単、だが、手を戻そうとすると必ず引っ掻かれる仕組みになっている。「ちょいとお前さん、触っておきながら、ただで出て行こうとでも・・!」と云わんばかりだが、花にしてみれば、虫が運んでくる良縁のチャンスを、今あなたなんかに摘んで行かれては元も子もなくなるからよ、とでも云いたげである。
さてカルメンも男たちの葛藤をよそ目に、チャンスを求めて媚(こび)を振りまくのだが、いま一つ反りの合わない男たちばかり、このあたりは西洋のバラが美しい個性を伸ばしきれずに、あきらめの日々に悶々としていた当時の情景によく似ている。やがてカルメンはそれを待たずして燃え尽きてしまうのであるが、バラには運命の転機が訪れる。それは航海術の発達に伴う、東西の交流がもたらした東洋のバラとの遭遇であった。
それまでの西洋のバラは、初夏に一度だけしか咲かない一季咲き性であったが、中国原産のバラが紹介されるや、その四季咲きという驚異的な特性に人々は目を瞠(みは)った。少し遅れて本邦(日本)のノイバラ(野いばら)やテリハノイバラ(照葉野いばら)が紹介されると、今度はその多花性に目をつけ、西洋のバラは堰(せき)を切ったように交雑による改良種を次々と生みだす革命期に突入した。時に紀元1,800年の後半, あたかも悲劇のヒロインが投げた赤いバラの想いが東洋に届いたかのようであった。
西洋バラの歴史は古く、数も多いが大半が雑種で、その起源は小アジア(トルコ周辺)とされている。古くから鑑賞植物として栽培されていた記録が各地に残されているが、それは美しさのほか香りの高いことが大きな理由であろう。中国のバラはコウシンバラ(庚申ばら)、オドラータ(瑰)など四季咲きという特性が、また本邦のバラは前述2種のほか、海岸の砂地に自生しているハマナスなどの多花性という特徴が交配または台木に用いられ、近代バラの隆盛を築いた。
現代のバラは大別して2つの系統に属する。1)ハイブリッドティー系は、ヨーロッパ在来のフレンチローズやダマスクローズなどを中国のバラと交配した四季咲き大輪性の品種群、2)フロリバンダ系というのは, 日本在来種のノイバラを親木として小輪、房咲き種のポリアンサPolyantha系がまず作出され、ついでこれに 1)のハイブリッドティー系をかけあわせて作出された中輪房咲き多花性ならびに耐病性を兼ね備えた樹勢の強い品種群である。と簡単に云っても, ここまで到達するのに約100年を要している。東洋の品種がヨーロッパに渡った1,800年代半ばに始まった接ぎ木法では、花が咲くまでに早くて2年、交配実生法では3年はかかるし成功とばかりもいかない。が、ついに1942年、クリーム黄色地にピンク色の覆輪が入る巨大輪がフランスのメイヤンによって作出され、第二次世界大戦の終結(1945)を祝ってピースと名付けられた。現在、多くの品種の母品種となっている名花である。
バラにまつわる伝説として、ローマ時代には<バラの下sub rosaで>といって、バラの花を天井に吊るした宴会では、その下で交わされた話は一切秘密にするという変わった風習が生まれ、現在でも西洋では<バラの下で>といえば<秘密に>という意味になっている。
故事としては、イギリスのヨーク家が白いバラを、ランカスター家では赤いバラをお互いの目印にして王位を争い、30年間もの内戦が続いた。これが≪バラ戦争≫である。が、その争いはあっけない幕切れを迎える。1485年, ランカスター家のヘンリー・チューダーが、ヨーク家のエリザベスを王妃に迎え、両家和解のかたちで新しい王統を創立、赤いバラと白いバラを組み合わせた紋章を制定した。これがチューダー・ローズで、現在でも英国王家の紋章であり、それに因んでバラはイギリスの国花とされている。
さて品種改良を目指す園芸家の一つの願望は<青いバラ>の作出である。本邦のある企業も、遺伝子レベルまで掘り下げた研究と開発にここ十数年間とり組んでいるが、いまだに満足な青い品種の誕生をみていない。また本邦のある女性園芸家も、青に近い品種間の交配を続け、青と考えてもよい色にまでは辿り着いたが、厳密にはフジ色の域を脱していない。方法はどうあれ、自然の摂理を曲げることの難しさに立ちすくむ人間像が、青い壁の向こうから透けて見えてくる。青はバラの神域なのであろうか。ギリシャ神話の一つを紹介してみよう。
ある朝、花の女神クロリスが、森の中で妖精の亡骸を発見する。それがあまりにも美しかったので、この妖精をこの世でもっとも美しい花にかえてやろうと考え、オリンポスの神々に協力を求めた。美の女神アプロディテには美しさを、西風ゼピュロスには雲を吹き払ってアポロンの陽光を、酒神ディオニュソスには甘い蜜と高貴な香りを与えてもらい、満足したクロリスはこの妖精の花に露の王冠を戴かせ、誇り高い花の女王<バラ>を誕生させ、すべての色を与えてやった。が、森の中で見つけたときの死の青色だけは除いてやったという。物語り組み立ての段階で、青だけをバラの神域にしているところが興味深い。
筆者より;花をテーマとして、緑陰銷夏号35巻第8号(No. 414, 1996)から10年間、50回執筆をご寛容下さった編集委員各位、毎回ご教示をいただいた斯文堂編集部の上原秀明さん、ならびに当初の編集委員長有村敏明先生に謝意を表し、今回で「花のシリーズ」を閉じさせて戴きます。水枝谷 渉
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