新春随筆
戌 年 生 ま れ の つ ぶ や き


東区・郡元支部
(東内科) 東  洋一
(S9. 11. 18生)

 桃太郎はサル、キジ、イヌをお供に連れて鬼退治に出かけた。鬼とは人間の中に巣食っている鬼。それを退治するために、サルの知恵を借り、キジの勇気をもって、イヌの仁を広め、人間性を高める必要性を説いた寓話であると、ある雑誌で読んだことがある。戌年生まれの私はイヌに仁のイメージを重ねた。このたとえ話をときに思い出す。昭和の一桁9年生まれなので戦前最後の戌年になる。戦後、最初の戌年は昭和21年でその間物心ついたときは戦争の最中、そして国民小学校を卒業した。その後、統治の形態は君主主義から民主主義に180度転換。教育改革による我々は第1回の新制中学卒業になる。社会的混乱の波に揉まれて成長した。「親に孝」「長幼の序」「礼儀作法」「公徳心」などなど、戦前仕込まれた社会的なルールを持って生まれてきたのが、9年戌年生まれの大方ではなかろうか。私達の世代は戦後社会の中で、桃太郎のお供をしたイヌの役割を果たした存在だったような気がする。『イヌも歩けば棒に当たる』という諺がある。辞書を見ると、「でしゃばると災いにあう」という意味と「出歩くと思わぬ幸せにあう」という意味とがある。私も戦後、食糧難の時代から今日に至るまで食くいはずれた事がなかったような気がする。同期の連中に社会的に評価を受けている人が多くみられるが、どうやら「思わぬ幸せ」に巡り合った幸運の世代なのかもしれない。もちろん混乱の責任を国や社会に問う前に、自助努力で行く手を切り開いていったことは言うまでもない。
 現在ほどイヌがペットとして飼われる時代はない。文字通りイヌがストレス社会の人間に「仁」すなわち、「おもいやり」や「情」「慈しみ」を与え、癒してくれるかのようだ。たしかにイヌと戯れると心が和む。結構なことだが、今日の日本に「桃太郎にお供をしたイヌ」が見当らなくなったのは残念なことだ。肝心の桃太郎がいないのではお供のしようがないと言えばそれまでだが…
 渋谷駅の待ち合せ場所として有名な忠犬ハチ公は、大正12(1923)年秋田県大館市で生まれ、翌年、東京大学農学部教授の上野英三郎先生に引き取られた。ハチは朝・夕、先生の送り迎えをしながら暮らしていたが、ハチが東京に来てからわずか1年半後に上野先生が急逝された。ハチは先生が亡くなってから、3日間は何も口にせず物置に引きこもっていたが、通夜の行われた4日目から昭和10年に亡くなるまで約10年、渋谷駅の前で上野先生の帰りを待ち続けた。

 我々は、いつまで桃太郎の登場を待てばよいのだろうか。それとも、ハチが渋谷駅で亡くなったご主人を待ち続けたように、現れるはずのない桃太郎を待っているだけなのであろうか?
 願わくは、ご主人(桃太郎)のお出ましを切に望む。

このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2009