随筆・その他

リレー随筆


世界の車窓から~ユーラシア大陸編~


鹿児島県立大島病院   鄒 明憲

まえがき
 2月14日から3月7日まで,約一カ月にわたる卒業旅行の日記をそのまま掲載させていただきました。最初と最後以外,飛行機を一切使わずにユーラシア大陸を横断してみようという若気の至りです。内容はほぼ主観で文章も稚拙ですが,“どくとるマンボウ航海日記”のような(個人的には)面白い記録になったのではないかと思います。


2月14日 北京 曇り
 準備等色々とギリギリだったが,何とか間に合わせいざ旅路へ!
 飛行機の乗客は中国人ばかりだったがたまたま隣にいたニュージーランド人のJ夫妻と仲良くなった。彼ら2人は1年かけて世界を旅するらしい。大先輩だ。僕の旅を説明すると“とってもいいことだね!”と励ましてくれた。初めての理解者だ。
 北京はスモッグで蓋をされたような街だった。降りたとたん何とも言えない匂い。でも街の人はいい人たちだった。ホテルの道を尋ねたおばさんは英語がわからないのに一生懸命に教えてくれた。レストランでおすすめのメニューを聞いたら“お母さんの料理”と答えた娘さんもかわいらしかった。
 不安8割ぐらいの旅だが今のところとても楽しい滑り出しだ。明日は地下鉄で知り合った空港デザイナー?のおばさんに教えてもらったTemple of Heavenというところに行ってみよう。

2月16日 ウランバートル 快晴
 さむすぎる。汽車の窓の隙間風で目を覚ました。気が付いたら外は砂と雪の世界になっていた。外気温は-20℃らしい。
 たまに見かける牛のような動物も服が着せてある。
 食堂列車は内装がモンゴルバージョンになっていた。途中の駅で物売りをしているおばあちゃんと遊んだりしてとうとうウランバートルへ。くそ寒い。布で覆っていない体表が痛い。
 ゲストハウスは暖かく,とても良い対応をしてもらった。換金したついでに横に併設されていたマーケットに寄ってみる。色々なものが大量に売られていた。試しにヨーグルトとチーズを買ってみたが攻撃的なまでの酸味だった。雪印ってめっちゃうまいんだな。
 日が暮れる前に夕食へ。道行くおばあちゃんに連れて行ってもらう。お互い言葉はわかっていなかったがなんとなく通じていたように思えた。レストランは小さいけどネットで調べていったところよりはるかに安くて,うまかった。

2月18日 スヘ・バートル くもり
 なんだこれは。車両のつくりは中国と同じはずなのにロシアの車両のほうが圧倒的にクオリティが高い。トイレもきれいだしベッドも機能的だ。そして何より窓がぴっちり嵌っており寒くない。とても快適だ。車掌のおばちゃんもとてもフレンドリーだ。ぐっすり眠れた。
 ただ朝のモンゴル出国とロシア入国は大変だった。トイレにも行かせてくれない。
 またスヘ・バートルというシベリアの片田舎で5時間待ちがあったが事前に換金していなかったためトイレにも行けなかった。モンゴルで買ったインスタントラーメンを水筒で戻して食べて乗り切った。あとはひたすら暇だ。
 列車の移動中,日が出ている間は景色をぼーっと見ながら過ごしたらいいが,日が暮れると真っ暗だ。食事の楽しみもないし,ひたすら「地球の歩き方」を読む。この分厚さに感謝だ。明日はイルクーツク。ずっと列車に乗っていると久しぶりに外に出ることが楽しみになる。

2月19日 イルクーツク 快晴
 6時半におばちゃんにたたき起こされる。同室のおっちゃんがコーヒーをおごってくれた。しみる。
 7時半着,まだ全然暗い。事前に予約していたMr.Aとも奇跡的に会えた。
 バイカル湖まで夜明けのシベリアドライブ。1時間ほどでバイカル湖へ。キンッキンに冷えてやがる。最初割れるんじゃないかと思っていたが,そんなレベルの氷の厚さじゃなかった。言葉にできないぐらい美しい。すべてが透明でキラキラしている世界だった。この光景を見るためだけでもこの旅の意義があった。来たばかりだけどまた来たいと思った。
 帰りの車で食べたオムルのうまいこと。日本に持って帰りたいぐらいだ。
 午後は街をぶらぶら。よくわからない美術館に行ってみたりスーパーマーケットに行ったり。ロシアの女の子はマジでみんなかわいい。目がやばい。ホテルに帰ってから気が付いたが風邪をひいたらしい。


2月21~23日 シベリア鉄道
 ここは不思議な空間だ。「起きて半畳寝て1畳」とはよく言ったもんだ。色々な人が代わる代わる乗っては下りてゆく。アジア人は僕一人だ。多少窮屈なところはあるけれど,同じ空間で過ごしていると不思議と一体感のような空気が生まれる。
 寝て起きてを繰り返すだけではとても退屈だ。まじめなことを考えようとしたりしたが30分と持たない。寝てばかりいると体調が悪くなる。時たま人と交流すると生き返ったように感じる。全く言葉が分からなくても意外とどうにかなったりする。というか,ロシアの人は結構優しいと思う。
 長く旅を続けると感情が摩耗すると誰かが言っていた。確かに同じものを見ても感動が薄らいでゆく。何か変化をつけないと。少なくとも3食カップラーメンはやめたほうがいい。食事の喜びは結構大きい。
 膨大な時間を非効率に消費することの贅沢さを。それでも進んでいくことの大切さを。


2月24日 モスクワ 曇り
 ようやくモスクワへ!同室のお姉さんが手配してくれたタクシーにてホテルへ。感謝。ホテルの朝食がめちゃくちゃうまい。新鮮なトマトが最高にうまい。
 アルバート通りのお土産屋をぶらぶらした後,大聖堂を横目にトレチャコフ美術館へ。そんなに興味がないつもりだったがしっかり2時間かかってしまった。
 初の地下鉄は深すぎてエスカレーターに乗るのが怖いほどだった。
 オデッサママで遅い昼食を食べたのち(高い)一時帰宅。3日ぶりのシャワーを浴びた後,目一杯のおしゃれをしてボリショイ劇場へ!胸が高鳴る。セリフはほとんど分からなかったが“人生,後悔するなよ!”って内容だと思う。
 帰りにカフェで軽く食べるだけのつもりが,隣の席のめっちゃ怖いお兄さんにからまれめっちゃビールをおごってもらう。ありがとう。でもそんなにお酒強くないんだ。

2月27日 サンクトペテルブルグ 曇り
 7時に駅に到着。白タクに吹っ掛けられもめていると古株っぽいおじいちゃんが出てきて乗せてくれる。ラーダの古い車で自壊しそう。言葉が通じないながら色々教えてくれたうえに安かった。ありがとうおじいちゃん。
 ホテルでは朝早いにもかかわらずチェックインできたうえ,なんと朝食も食べれた!受付も学生みたいな子で話しかけやすいし気さくだった。
 準備中に気が付いたがエルミタージュ美術館は月曜日休館じゃないか…。気を取り直してとりあえずイサク大聖堂へ。すごい。でかい。きれい。屋上にも上ったがめちゃ高い。上り下り大変。
 青銅の騎士,エルミタージュ,海軍本部を外から見た後,日本領事館へ挨拶。換金所を聞くだけだったがとても丁寧な対応だった。血の上の教会を見た後,マーシャと熊で昼食。鶏肉のバター揚げみたいなやつがうまかった。
 その後色々ぶらぶらするが月曜日休館のところが多く残念。夕日に映える血の上の教会は美しかった。

2月28日 ヘルシンキ 雨
 朝食後出発。いいところだった。必ずまた来よう。
 Allegroという特急でフィンランドへ。めっちゃ快適。入国も超スムーズ。やっぱりヨーロッパは空気からしてロシアと違うな。
 ホテルはワンルームマンションのようだった。キッチンもついてる!
 15時に近くのレストランに行ったが超高い。ただのサラダに?16はさすがに引いた。少しテンションが下がりながらムーミンカフェへ。おしゃれなカフェで子どもが多かった。ムーミンランドは冬はやってないらしい。残念。
 教会の近くで帽子を買った後,靴屋を教えてもらう。防水スプレーだけの予定が結局新しい靴を買ってしまう。スーパーで買い物した後,疲れてホテルで休憩。
 21時ごろにスシバーでも行こうとしたがどこもすでに閉店。とぼとぼ帰ると途中ホットドックの屋台があったので買って帰る。めっちゃうまい。昼の高いだけのサラダよりよっぽどうまかった。

3月2日 ストックホルム 晴れ
 今日はぐっすり寝てフルチャージ。船窓からの景色がとても綺麗。
 下船前に日本人らしき人を見つけて交渉,タクシーを割り勘にしてもらう。めっちゃ高かったので助かった。
 軽く歩くだけでも街並みがとても美しい。ホテルも年季が入っていて迷路みたい。キキの部屋みたいだった。
 早速街に繰り出すも通貨がユーロじゃなくクローネなことに気が付く。換金して分かったが物価が超高い。比較的ましなレストランを見つけて入るとサラダバーがあり大満足。城とノーベル博物館に行く。学割を使ってもまだ高い。船を利用して対岸のマーサ号博物館へ圧倒的なスケールだ。内容も充実しており2時間では足りないほどだった。閉館後外に出るとちょうど夕暮れ時で港がとても美しかった。
 夕食は節約してスーパーで購入した。昼にたくさん食べておいてよかった。夜も無一文で街に出たが,歩いているだけで楽しい街だった。


3月3日 コペンハーゲン 曇り
 小雨の降る中駅まで高いバスで向かう。電車はWi-fiもあり快適だった。途中隣になった身長190㎝!のお姉さんにコペンハーゲンのことを色々教えてもらう。優しい。相変わらず物価はめちゃ高かった。5000円分換金するが全て食費だけで消えた。
 ストロイエは若者で溢れており,活気があるけど目的がないと疲れる。とりあえず1000円のハンバーガで腹ごしらえ。
 気を取り直して歩いていくとニューハウンの港に出た。たまたまそばにあった観光船に乗ってみた。これがとても素晴らしく海から市内を観光できた。ただめちゃくちゃ寒かった。
 船からも見たが,ちゃんとがっかりするためもう一度陸から人魚姫を見に行った。そんなにがっかりするかな?
 帰りはスーパーで夕食を買ってから夜のストロイエへ。確かにキラキラして綺麗だった。
 14時からの短時間だったが,陸と海,都市と自然が楽しめて満足だった。

3月5日 アムステルダム 雨
 ICEに乗ってオランダへ。途中乗り換えで寝過ごしそうになる。オスナブレグにてサンドウィッチとプレッツェルを食べる。プレッツェル大好き。
 アムステルダムに着いたのは昼の3時。雨も降っているし電車で子供もうるさかったのでテンション低めだった。時間もあまりないし,前回楽しかった船上ツアーに乗ってみる。アムステルダムの計画的な水路に感動しつつなんとなく街の全貌を把握する。
 すっかり暗くなったのでとりあえずレッドラインに。エロティックミュージアムとレッドラインミュージアムをはしごする。こういう下ネタって万国共通なんだな。見ず知らずのおっさんと仲良くなる。
 いい時間になったので本物のレッドラインを観光しに行く。周りはマリファナと思われる独特な空気が充満し,赤い光が怪しく光る。凄いな。流石に一人で冒険する勇気がなく,この旅で初めて誰か一緒にいればよかったなと思った。

3月6日 パリ 雨のち晴れ
 朝早めに起きたので街を散歩してみる。レッドライトは掃除が始まっていた。変な乞食に絡まれながらオムレツを食べていたら列車に遅れそうになった。汗だくになりながらもなんとか間に合った。このタリスって列車は少し狭かった。
 パリは雨だった。なんとなくパリの雨はおしゃれにしとしと降るもんだと思っていたが,がっつり降っていた。ずぶぬれになりながらホテルに駆け込み,荷物を置いてパリの友達とオペラ駅で待ち合わせ。パリの地下鉄は複雑で迷いながらたどり着いた。6年ぶりの再会でWi-f iもなかったのでちゃんと会えるか心配だったが,意外と遠目からでもすぐに分かった。
 昼食に軽くサンドウィッチを食べながら積もる話をした後,まずは凱旋門へ。シャンゼリゼ通りから歩いて向かったが,徐々に大きくなる門は圧巻だった。次にエッフェル塔。この頃になると雨も上がり,塔は遠くからでも美しく,特に対岸の博物館からの景色は最高だった。最後にルーブル美術館。残念ながら中に入る時間はなかったが,有名なガラスの入り口と写真を撮れただけでも満足だった。
 余談だがフランス人というのは不思議な国民性である。こちらが英語で話しかけると,内容も理解しているのに決して英語で話さず,ずっとフランス語で話してくるぐらいスカしている。かと思うといきなり路上でバイクから降りて殴り合いを始める。1晩しか滞在できなかったが,好きな人は本当に好きな国なんだろうなと思った。

3月7日 ロンドン 晴れ
 北駅からユーロスターに乗ろうとするが異常にセキュリティが厳しい。他のヨーロッパではそんなことはなかったため不思議に思っていたが,そういえばイギリスはユーロを脱退したのだった。
 ロンドンまでは一瞬だった。ホテルで荷物を置いて,予定を立てていざ出発。街角にはもう桜が咲いていた。シークレットガーデンを通るが広すぎて全く隠れていない。鳥や花,人々が自由に過ごしておりとても寛げる場所だった。首都とは思えないほどのどかな場所だった。
 ハードロックカフェはとても混んでいたので隣のパブへ入った。パイを頼んでみたが食べ方が分からなかった。味は全然おいしい。
 宮殿を見た後,教会を過ぎビックベンを通る。いつもテレビで見ていた場所に自分がいることが何とも不思議だった。
 今日はなぜかとても疲れやすかったので計画を変更し,地下鉄で大英図書館へ。マグナカルタなどそこそこに見学したのち,近くのベンチで昼寝し回復する。贅沢。
 夕食はシャーロックホームズというパブに行ったがかなりの混雑。しかもぼったくられた。最悪だ。
 夜は市内観光のバスツアーに乗った。景色は素晴らしかったが,如何せんオープンカーは寒かった。
 明日はいよいよ日本に飛ぶ日だ。


あとがき
 同期からリレーエッセイの話を聞いたとき,筆不精な自分は初めからどうにか楽ができないかばかり考えていました。幸いにも卒業旅行の手書きの日記が残っていたため,これだと思いまるまる使わせていただきました。そして駄文ですが,恐れ多くも自身の文章を世に発表させていただくことができました。この文章が皆様のよい暇つぶしとなれば幸いです。
 次回アフリカ大陸編を掲載するために,長めのお休みをいただけないかと考えております。





次号は,鹿児島県立大島病院の西依友梨子先生のご執筆です。(編集委員会)




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