=== 新春随筆 ===

           自 由 人 閑 話 ([)




 
前鹿児島市医師会事務局長  馬原 文雄

酉年(2017年)1月1日 重富海岸
*6回目の「年男」の大いなる「体験」
 ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスをご存知でしょうか。アキレウスは不死身の肉体の持ち主で,最大の英雄となりましたが,唯一かかとだけが生身のままであったため,その唯一の弱点であるかかとを弓で射抜かれこれが原因となって命を落としました。この伝説から「アキレス腱」の名前が取られ,それは致命的な弱点の代名詞にもなったといわれています。
<蒲生の太鼓踊りを撮りに>
 それは,昨年8月でした。私は「あんぐる」の写真仲間とともに蒲生の太鼓おどりの撮影に出かけました。この太鼓踊りは島津義弘が秀吉の命により朝鮮出兵し(文禄,慶長の役),その凱旋記念として踊らせたといわれる伝統行事で,姶良では,加治木・蒲生で毎年8月,地域の大きな行事として今も続けられています。
 その日は朝から今にも泣き出しそうな空模様ではあったものの,何とか実施されそうな感じでしたので写真仲間二人と出かけました。蒲生の太鼓踊りは,地区内に4つの保存会があり後継者育成や保存伝承に精力的に取り組まれており,当日は,蒲生八幡神社の境内までの町内街路を練り歩き,神社の境内では競い合うかのように勇壮に舞い踊り奉納されます。踊り連も,小学校入学前の子供たちから地域の長老と思える方まで老若男女を問わず幅広く構成されており,ここにも伝統を継承しようという意気込みが伝わってきます。
 現地に着くと,空からポツポツと落ちてきて少しいやな感じもしましたが,勇壮な踊り連を見ているうちにいつのまにか必死にカメラを構えているのです。路上を飛び跳ねながら練り歩いてくる踊り連の正面からファインダーをのぞき,シャッターチャンスをねらう。しかもカメラが雨に濡れないようにと小さな傘を差しながらです。踊り連は当然のことどんどん近づいてきます。カメラを構える私も,ファインダーをのぞいたまま少しずつあとずさりしなければなりません。カメラアングルも,高く低くと色々変えながら撮り続けました。
(撮影中に転倒)
 突然,足が後ろで何かに引っかかったように動かなくなり,身体が大きく後方に倒れていくのを感じました。「しまったー」と思ったと同時に両足・両手に激痛が走りました。目をやると右足のズボンはずたずたに破れ,血だらけになっているではありませんか。咄嗟に「カメラは大丈夫か」と思って見ると,何とか両手で支えたらしく大した傷もないようでそれはそれでほっとしたところでした。身体は傷だらけになってもカメラだけは守る。何という「カメラマン根性?」でしょうか。
 その時,足が引っかかったのは車道と歩道を分ける縁石だったのです。後ろに転倒しようとしたのを咄嗟に身体をひねり前向きになることができ,後頭部を打たなかったのが不幸中のさいわいだったのかもしれません。すぐに救急班の女性が駆けつけてくれ,血だらけになっている右足を中心に応急処置をしてくれました。その女性には感謝でいっぱいです。そして立ち上がろうとすると左足が変なのです。しびれて,特に痛みを感じるほどではありませんでしたが全然力がはいらず,かかとが垂れ下がっているような感じでした。それでもびっこをひきながら駐車場まで歩いていき,一緒に来ている仲間に連絡して家まで送ってもらったのです。
 近くの病院にいくと,すぐに「これはアキレス腱が切れていますね。このまま入院してください。3カ月はかかりますよ。」とのこと。・・・・・ショック!!
<手術そして闘病生活>
 アキレス腱断裂。
 アキレス腱が一本切れただけで,治るのに3カ月もかかり「歩く」という生活の基本中の基本ができなくなるのですから,もう言いようのないショックでした。かつては奴隷や捕虜が逃げられないように,アキレス腱を切断したこともあったという話を聞いたことがあります。正に人間の「致命的な弱点」を,身をもって思い知らされたのです。
 入院の翌日,手術が行われました。
 足首を切り開いて,切れたアキレス腱を縫合するという手術は2時間に及びました。下半身麻酔でしたので,手術中の医師や看護師の声もよく聞こえ,不安とまな板の鯉の気持ちが行ったりきたりで,長い時間もいつの間にか終わり「手術はうまくいきましたよ」の声を聞きほっとしたところでした。左足に目をやると,膝の上までギプスに巻かれており何の感覚もありませんでした。でも,そのあと麻酔が切れていくにつれてどんどん増していく痛さには痛み止めも効かず,その晩はずっと「うんうん」うなりながら長い夜を過ごし,次の日の午後になりやっとまどろみはじめるという状況でした。
(思い知らされた「惨めさ」・・・看護師が患者の支え・・・)
 これから私の経験したことのない闘病生活が始まったのです。私の左足は,膝の上までギプスに巻かれているため膝を曲げることもできません。そのため,自分一人では身動きがとれず,洗面もトイレも人のお世話にならないとできないのです。特にトイレに行きたい時は,夜中でも看護師さんに来てもらって車椅子でトイレに連れて行ってもらい,便器に座るまで介助していただき,終わったらまた看護師さんに来てもらい病室まで連れて帰っていただくのですから,この時ばかりは自分で何もできないことの「惨めさ」を思い知らされたのです。でも,この病院には食事や排泄など身の回りのことは殆ど全て,看護師や介助員の力を借りないとどうにもならない人たちがたくさんおられ,医療だけでなくそのような患者の生活に関わること全てを,皆さんが24時間いつでも笑顔を忘れず迅速に対応されている献身的な仕事ぶりを肌で感じ,改めて感動させられました。人間誰しも,何時かはこのようにお世話にならなければならない日がくるかもしれませんが,今回のこの「惨めさ」を感じる気持ち(裏をかえせば「感謝」の気持ち)は忘れないようにしたいものだなと思うことでした。
(リハビリはじまる)
 病院では寝ていることが多く,ただでも筋力が落ちてくるといわれますが,私の場合は一方の足にギプスを巻いているわけですから尚更です。これからしばらくは健全な方の足が頼りですので筋力が落ちたら大変です。術後2日目から早速リハビリが始まりました。理学療法士,作業療法士など専門家によるリハビリです。
 広いリハビリ室に連れて行かれると,そこではたくさんの人たちがいろいろな形でリハビリに取り組んでおられる姿が飛び込んできました。たくさんの「リハビリ台」の上では,療法士の肩に足を持ち上げられている方や,身体を捻られている方,四つん這いになっている方など様々な形でリハビリが行われており,通路では,思うように動いてくれない足を引きずりながら歩く訓練をされている方など,いずれも療法士と患者さんがマンツーマンで取り組んでおられるのですが,その様子は,必死さと同時に楽しみながら取り組んでおられるように感じられたのです。不自由になられた原因は様々でしょうが,脳梗塞などが多いとのことです。
 これは私自身が体験して実感したことですが,自分の思うようにならない身体を何とかしたい気持ちは当然ですが,回復するのにはとにかく時間がかかるのです。回復しているといってもそれは多くが目に見えない位でしかありませんので,ともすると気持ちが萎えてしまい,「もういいや」という投げやりになる方も多いということです。ですから本人をその気にさせるように取り組んでいくということが,リハビリを続けるうえで最も大事なことなのだろうと思いました。そのためには何と言ってもパートナーである療法士の方の明るい接し方と,「何としても治してやる」という気持ちが患者さんに伝わるかどうかが大事であり,気持ちが通じ合っているからこそ「必死さと同時に楽しみながら取り組んでおられる」ように感じたのです。
(理学療法士・作業療法士の力)
 私自身,4カ月以上に及ぶリハビリは,休みなしで毎日午前と午後1時間ずつでしたが,時には「こんなことをしてもどうにもならないのでは」とか「全然変わらないのに」「キツイばかりだ」とか疑問に感じることもありました。でも,担当していただいた理学療法士・作業療法士の方の,一つひとつの科学的で真剣な治療行為とその合間にかわす世間話に,療法士の「何としても治してやる」という思いが伝わってきて,「ようし,頑張るぞ」と何度も元気を取り戻したことでした。
 機能回復と同時に,本当に気持ちの支えになっていただき 感謝! 感謝!です。

 それにしても,アキレス腱とは何とやっかいなものなのでしょう。手術で繋がっても,それから普通の状態に戻るまでは半年以上かかるそうです。とにかく「時間」「時間」・・・なのです。特に手術後6週目から8週目が最も再断裂しやすいので注意するように,ということを担当医師から言われていましたが,まさか自分がその憂き目をみるとは思いもしませんでした。それで余計に時間がかかってしまったのです。
 正に,私の「アキレス腱」ですか。

 いま,リハビリの重要性がますます大きくなってきており,今回の介護報酬改定審議のなかでリハビリのあり方についても議論されているようです。今までより利用し難くなるという話も聞こえてきますが,リハビリの効果は明らかであり効率性の面からだけでなく必要なところでは必要に応じて利用できるようにするべきではないでしょうか。

 私は酉年生まれで,昨年は6回目の年男でした。その年に,これだけの体験をして改めて「人間の一生」について考えることができ,72年の私の人生で,最も自分史に残る「大いなる体験」だったようです。そして,この「体験」を通じて「本当に家族とはありがたいものだな」と再認識させられました。妻には,心から感謝しています。

*突然の解散総選挙で思ったこと
<安倍さんの自信のなさの裏返し>
 東京都議選での自民党の大敗は,それまでの安倍政権の傲慢な政権運営に対する都民の選択であるということで,これからは少しは政治が変わるのではないかと思っていましたが,安倍総理はその“上手”をいき国民の批判を無視して突然衆院を解散しました。「野党の態勢が整わないうちに。今なら勝てる。」という,正に自己都合解散だったといわれていますが,これでは解散まで私物化しているといわれても仕方がありません。結果的には,安倍さんの思惑通りになってしまいましたが,それは市民と野党の共闘が進みつつあった中で,小池都知事の希望の党にかき回されたことがこの様な結果に繋がってしまったのだろうと思うのです。でも,このような姑息なやり方でしか勝てないという自信のなさを安倍さん自ら認めたようなものではないでしょうか。
<小選挙区制にかわる民意を反映できる選挙制度を>
 安倍さんはこれまで,小選挙区制のもと候補者の公認権をにぎり,上級官僚の人事も全て官邸が行うようにするなど物が言えない体制を作り上げ,自分の思うように突き進めてきました。その結果,安保法制や秘密保護法,「共謀罪」法案の強行,森友・加計問題,臨時国会開催要求にも応えないなど,憲法と国会を無視した傲慢な対応を重ねてきたのです。これらに対して国民の間では,安倍さんに対する不安・不信の気持ちが広がってきているのは間違いないと思います。それは,今回(だけではなく,最近の)の選挙の投票率の低さや自民党の得票率を見れば明らかではないでしょうか。比例区の絶対得票率は4分の1しかないのです。4分の3の有権者は自民党に投票していないのです。それでも今回のように民意が反映されないような結果になるのは,やはり小選挙区制という選挙制度にあるのは間違いありません。この際,小選挙区制の問題点を明らかにして,真に民意が反映される制度に改めさせる取り組みが必要ではないでしょうか。また,この選挙制度のもとで安倍政権の国会無視の傲慢な政治を改めさせるためには,やはり市民と野党の共闘などの取り組みを進めていく必要があるのではないでしょうか。
<質問時間の配分変更という国会の形骸化>
 いま安倍さんは,新たに国会議員各会派の質問時間の配分変更という,国会の土俵を変える提案をしてきています。これは,安倍さんの野党とはまともに議論したくないという国会軽視の姿勢から,選挙後の数をたのみに,これまでの慣行を覆し一気にやってしまおうという乱暴極まりないものです。議員内閣制のもとで国会のチェック機能を失わせ,質疑を形骸化させる大変な問題だと思うのです。自民党が野党時代には,野党の質問時間をふやすように要求していたというのですから何をか言わんやです。特別国会では,結局は数の力により与党の質問時間を大幅に増やしてしまいましたが,特に自民党の質問内容を見ると,時間を増やしただけ(野党の時間が減っただけ)安倍さんを喜ばせる内容でしかなかったように思えるのです。いまや,国会は内閣の下請け機関になってしまったのでしょうか。
 かつて安倍さんは,国会答弁で「私は立法府の長」とまで発言したことがありますが,今思うと,それは間違って言ったのではなくて本音だったのではないかと危惧するところです。安倍さんは選挙後には「謙虚に」とか「真摯に」とか言われましたが,実際にはそれは口先だけで益々政治の私物化に突き進んでいるように思えて心配です。

 今回の解散総選挙に関して,自分の感じたことを勝手に書いてきましたが,書いているうちに,このままではどうなっていくんだろうと心配になってきました。でも,今回の選挙結果のなかでは「安倍さんは支持していない」という声も多くなってきているといわれております。国民も,だんだんと安倍政権の本質を見抜いてきているのは間違いないと思うのです。
 憲法を無視し国会までも政権に従属させるような政治の私物化を,主権者である国民が,いつまでも続けさせるはずがありません。
「桜岳冠雪」




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