=== 随筆・その他 ===


シリーズ医療事故調査制度とその周辺(1)
東京都立広尾病院事件(1)-事件の経緯と東京地裁判決-
中央区・清滝支部
(小田原病院) 小田原良治

 今年1月11日,鹿児島市医師会で,医療事故調査制度に関する講演をさせていただいた。320人もの出席をいただき,この問題の関心の高さを改めて認識するとともに,この問題の正確な把握がいかに大事であるかを痛感した。講演後の執行部の方々との懇談の席上,医療事故調査制度を巡る問題について,鹿児島市医報に連載する許可をいただいたので,奮起して執筆することとした。毎号の掲載はさすがにストレスなので,極力,切れ目のないように頑張るつもりではあるが,中断した場合はお許しをいただきたい。
 この事故調問題の発端は,法医学界の「異状死ガイドライン」であるとの意見も間違いではなく,この「異状死ガイドライン」を避けて通ることはできない。しかし,直接の出発点であり,それまで医療者がその条文に関心も持たなかった医師法第21条が脚光を浴び,また,今日まで種々の意味で注目される重大事件は,やはり,東京都立広尾病院事件であろう。この東京都立広尾病院事件から今シリーズを始めたいと思う。

東京都立広尾病院事件の事実経過
 本事件については,刑事が,地裁・高裁・最高裁,民事が,地裁・高裁と合わせて5つの判決がある。本事件の事実経過について,客観的な経過の記載ということで,刑事裁判の東京地裁判決文に東京高裁判決文を加味し要約したい。その他の必要な箇所は,それぞれの場所で追加記載することとしたい。
【事件番号】東京地方裁判所判決/
      平成12年(合わ)第199号
【判決日付】平成13年8月30日
      医師法違反,虚偽有印公文書作成,同行使被告事件
(被告人は東京都立広尾病院の院長であるが,当事者は,同病院の准看護師である)
(経緯)
1)58歳の慢性関節リウマチ患者D子が,平成11年2月8日,左中指の滑膜切除手術を受けるために甲病院(広尾病院)に入院。2月10日,主治医である整形外科C医師の執刀で左中指滑膜切除手術を受け,手術は無事終了,術後経過良好であった。翌日(平成11年2月11日)午前8時30分頃,患者の留置針の血液凝固防止目的のヘパロック用ヘパリン生食(ヘパ生)10ml注射器を,処置室においてE看護師が準備し,注射器にマジックで「ヘパ生」と書いて処置台の上に置いた。この際,他患者に使用予定の消毒液ヒビテングルコネート液(ヒビグル)10ml注射器を同時に準備し,処置台の上に並べて置いた。E看護師は,このヒビグル注射器につけるべき「F子様洗浄用ヒビグル」というメモをヒビグル入り注射器にセロハンテープで貼り付けたつもりであったが,誤って,ヘパ生の注射器に貼り付けてしまった。E看護師は,取り違えた(ヘパ生と誤信した)ヒビグル注射器(ヘパ生との記載はない)を患者D子の床頭台の上に置き,その場を離れた。同日9時頃,抗生剤の点滴が終了し,患者D子が押したナースコールに応じて赴いたG看護師が,床頭台の上にある注射液をヘパ生と誤信し(ヘバ生との記載はなく,実はヒビグルであった),留置針のヘパロックを行い病室を出た。このため,ヒビグル約1mlが患者D子の体内に注入されることとなった。残り約9mlは点滴ルート内に残存していた。その後,E看護師が点滴の確認のために患者D子の病室に戻ったところ,既に抗生剤の点滴は終わっており,G看護師によりヘパロックされていた。まもなく,患者D子はE看護師に「胸が苦しい」と苦痛を訴え始めた。E看護師は抗生剤の影響かと思ったが,前夜の点滴時は異状がなかったため,当直のH医師に連絡。H医師の指示で,血管確保のための維持液の点滴が開始されたが,維持液に先立ち,点滴ルート内のヒビグル約9ml全量を体内に注入する結果となった。その直後から,容体は一層悪くなり,原因不明で応急措置が続けられた。この間,処置室に立ち寄ったE看護師は,処置台の上に「ヘパ生」とマジックで書かれた注射器があるのを見つけ,それに自らが書いた「F子様洗浄用ヒビグル」というメモが貼ってあるのを発見した。ここで,ヘパ生ではなく,消毒液ヒビグルが誤って注入されたのではないかと気づいたE看護師は,病室に戻り,H医師を呼び出して,「ヘパ生とヒビグルを間違えたかも知れません」と告げた。その直後,患者D子は意識を失い,同日午前9時30分頃,心肺停止状態になった。H医師と他の当直医M医師が心臓マッサージ,人工呼吸を行った。同日10時25分頃,連絡を受けて駆け付けた主治医C医師が心臓マッサージを行ったが,その際に,当直のH医師から状況の説明を受けるとともに,「看護師がヘパロックする際にヘパ生とヒビグルを間違えて注入したかもしれないと言っている」と聞かされた。また,主治医C医師は心臓マッサージの最中,患者D子の右腕に色素沈着のような状態があることに気づいていた。蘇生の気配がなかったため,主治医C医師は,親族に現在の状態を説明するとともに患者D子のもとに伴い,親族の意向も聞いて,蘇生措置を中止し,平成11年2月11日午前10時44分に死亡確認した。主治医C医師は,死亡原因は不明として,解明のために病理解剖の了承を求め,親族から,患者D子の急変の原因として誤薬投与の可能性の質問があったが,C医師はわからないと答え,看護師による誤薬投与の可能性を伝えないまま,病理解剖の了承を得た。
2)患者D子の死亡した2月11日は祝日であり,院長である被告人は外出していたが,午後7時頃,外出先から自宅に電話を入れると,N庶務課長から電話が欲しいとの伝言があった旨を聞き,直ちに,N庶務課長に電話をし,説明を受けた。驚いた院長(被告人)は,午後8時頃帰宅,P看護部長に電話をし,説明を受けた。院長(被告人)は「これが事実とすれば大変なことで,事実関係の調査と今後の対応が必要なので,明日の朝,対策会議を開きましょう」とP看護部長に伝えた。
3)翌日2月12日午前8時頃,主治医C医師が院長室に赴き報告。8時30分頃から対策会議が開かれた。出席者は9人(院長,K副院長,Q副院長,J事務局長,P看護部長,L医事課長,N庶務課長,R看護課長,O看護副課長)で,E看護師から説明を受けた後,主治医C医師が呼ばれた。C医師は,E看護師がヘパ生とヒビグルを間違えたかもしれないとH医師に伝えたこと,心筋梗塞の疑いもあること,病理解剖の承認を貰ったことなどを説明した。協議の結果,警察に届けると決まった。
4)甲病院としては,警察に届け出ることに決定したので,院長(被告人)はそのことを監督官庁である東京都衛生局病院事業部(病院事業部)に連絡するよう指示,L医事課長が12日午前9時頃,病院事業部に電話した。病院事業部で電話を受けたS主事,A副参事,T病院事業部長は協議し,病院事業部の「医療事故・医事紛争予防マニュアル」を調べると,「過失が極めて明白な場合は,最終的な判断は別として,事故の事実が業務上過失致死罪に該当することになります。従って,事故の当時者である病院が病理解剖を行うと証拠隠滅と解されるおそれがあるので,病理解剖は行いません。解剖が必要と思われる場合,病院は警察に連絡しますが,司法解剖を行うか否かは警察が判断します」との部分を読み,過失が明白な場合については警察に届けなければいけないと理解した。その後,病院事業部から,A副参事が午前9時半頃N庶務課長に電話。「これまで都立病院から警察に事故の届け出をだしたことがないし,詳しい事情もわからないから,今から職員を病院に行かせる」と連絡。同日9時40分頃,再開された対策会議で,病院事業部のA副参事の電話の内容が伝えられたため,病院事業部から職員が来るのを待つことにし,それまで警察への届け出は保留とすることに決定した。病院事業部のA副参事が甲病院に到着したのは,午前11時過ぎであった。(この時点で,死亡時刻の2月11日午前10時44分から24時間となる2月12日午前10時44分が経過してしまった)
5)D子の病理解剖は,2月12日午前9時半頃から甲病院のW子医師が中心となって行われることとなった。W子医師は,大学の病理の助教授であるY医師の応援を受けることにした。この時,遺体の外表所見で右腕の静脈に沿って赤い色素沈着があるのを発見,C医師にポラロイドカメラで写真を撮ってもらった。この時,皮膚斑を見たC医師は少し驚いた感じで,わあ,すごいなと思った様子であり,皮膚斑に,それまであまり確実な自覚を持っていたようには見えなかった。Y医師は遺体の右腕の状況を見て,警察に検案してもらいましょうと提案,監察医務院に連絡を取った方がよい旨言ったが,電話が直接外線につながらないため,X技師長が内線で,対策会議中の院長室に電話をかけ,電話に出たL医事課長に,病理解剖の医師が警察に届け出た方がいいと言っている旨伝えた。L医事課長は,院長(被告人)に今までの方針でよいか尋ねると,院長は「それでやってください」と言った。X技師長は,許可が出たから始めるようにとW子医師らに言い,W子医師らは監察医務院に問い合わせたと誤解し,解剖を始めた。解剖所見としては,右手前腕静脈血栓症および急性肺血栓塞栓症のほか,遺体の血液がさらさらしていること(これは溶血状態であることを意味し,薬物が体内に入った可能性を示唆する)が判明し,心筋梗塞や動脈解離症などをうかがわせる所見は特に得られず,「右前腕皮静脈内に,おそらく点滴と関係した何らかの原因で生じた急性赤色凝固血栓が両肺に急性肺血栓塞栓症を起こし,呼吸不全から心不全に至ったと考えたい」と結論された。解剖終了後,Z医長とC医師,W子医師が,院長にポラロイド写真を見せて,肉眼的な所見として心筋梗塞等,病死を思わせる所見がなかったこと,血管が浮き上がっており,血液がさらさらしており90%以上の確率で事故死であると思う旨報告した。
6)2月20日,院長(被告人)はK副院長とともに,D子の夫であるIの自宅を訪れ,それまでの経過について中間報告を行った。その席で,Iから事故であることを認めるよう詰め寄られ,病院が警察に届け出ないのであれば,自分で届け出る旨言われた。院長(被告人)は,病院関係者らと話し合い,警察に届け出ることを決め,2月22日,東京都衛生局長らと面談し,その旨を報告したところ,警察に相談する形で届け出るようにとの指示を受けて,同日,渋谷警察署に届け出をした。
7)3月10日,D子の夫であるIが保険金請求のため,D子の死亡診断書,死亡証明書の作成を甲病院に依頼。用紙を受け取ったJ事務局長は,翌3月11日,主治医C医師にその作成を頼んだ。C医師は,保険金請求用に必要な診断書だと理解した。D子が死亡した直後の2月12日付死亡診断書で,死因の種類を「不詳の死」と記載していたが,この診断書では保険の方がうまくいかないのだろうと考え,この時点で死因を不詳の死または外因死と記載するか病死と記載するか迷い,院長に相談した。院長も判断に迷い,K副院長,Q副院長,J事務局長と協議。解剖の報告書に急性肺血栓塞栓症との記載があったことから,死因を急性肺血栓塞栓症とすることにした。保険請求のための診断書であり,現時点での証明であることを説明することとして,3月12日,C医師作成の死亡診断書,死亡証明書をJ事務局長がI方に持参し,同人に手渡した。
【判決】
主文:懲役1年および罰金2万円,執行猶予3年
(罪となるべき事実)
(1)平成11年2月11日午前10時44分頃,甲病院で主治医C医師が,D子の死体を検案した際,C医師と共謀の上,この時から24時間以内に警察署に届け出をさせず,医師法第21条に違反した(C医師は,死体を検案した際,H医師から看護師がヘパ生とヒビグルを取り違えて投与した旨の報告を受け,かつ同死体の右腕の血管部分が顕著に変色するなどの異状を認めたのであるから,この11日午前10時44分頃から24時間以内に所轄警察署に届け出なければならなかった)。
(2)D子の夫Iから保険金請求用の死亡診断書および死亡証明書の作成を依頼された際に,C医師と共謀し,病死および自然死ではないのに,死亡診断書の【病死および自然死】欄の「病名」に「急性肺血栓塞栓症」と,「合併症」欄に「慢性関節リウマチ」等と記載させ,Iに交付させた。これは,公務員の職務に関し,行使の目的で,虚偽の文書を作成,行使したものである。
(判旨)
医師法第21条(異状死体等の届出義務)

 C医師はD子の主治医であり,術前検査では異常を認めず,手術は無事に終了し,術後の経過も良好であって,主治医として,D子が急変するような疾患等の心当たりが全くなかった。H医師から,看護師がヘパロックした際に,ヘパ生と消毒液のヒビグルを間違えて注入したかも知れないと言っている旨聞かされて,薬物を間違えて注入したことによりD子の症状が急変したのではないかとも思った。また,心臓マッサージ中に,D子の右腕には色素沈着のような状態があることに気付いていた。結局,C医師は,D子の死亡を確認し,死亡原因が不明であると判断していることが認められるから,C医師がD子の死亡を確認した際,その死体を検案して異状があるものと認識していたものと認めるのが相当である。
 また,C医師は,D子の死体を検案して異状があると認めた医師として,警察への届出義務を有するが,看護師の絡んだ医療過誤であるので,病院の対応に委ねていた。被告人(院長)は,医師法の規定を意識したうえで,警察への届け出を一旦決定しながら,病院事業部からの職員の到着を待って最終決定することとして,警察への届け出を保留とすることを決定したことによって,2月11日午前10時44分から,24時間後の2月12日午前10時44分が経過してしまい,医師法第21条にいう24時間以内の届け出をしなかったことが認められるので,被告人(院長)は,C医師らと共謀して,医師法第21条の罪を犯したものと認めるのが相当である。
(医師法第21条の検案について)
 C医師は,D子の容体が急変して死亡し,その死亡について誤薬投与の可能性があり,診察中の傷病等とは別の原因で死亡した疑いがあった状況のもとで,それまでの診療経過により把握していた情報,急変の経過についてH医師から説明を受けた内容,自身が蘇生措置の際などに目にしたD子の右腕の色素沈着などの事情を知った上で,心筋梗塞や薬物死の可能性も考え,死亡原因は不明であるとの判断をして,遺族に病理解剖の申し出をしているのであるから,D子の死体検案をしたものと言うべきである。
(医師法第21条の適用について)
 医師法第21条の規定は,死体に異状が認められる場合には犯罪の痕跡をとどめている場合があり得るので,所轄警察署に届け出をさせ捜査官をして犯罪の発見,捜査,証拠保全などを容易にさせるためのものであるから,診療中の入院患者であっても診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いのある異状が認められるときは,死体を検案した医師は医師法第21条の届け出をしなければならないとするのが相当である。
(虚偽有印公文書作成,同行使)
 D子は,術後経過良好であったのに,ヘパロック直後,容体が急変して死亡。看護師がヘパ生とヒビグルを取り違えて注射したかもしれないと言っており,死体の右腕に静脈に沿った赤い色素沈着があり,解剖所見も,心筋梗塞等,病死で死因を説明するようなものはなく,解剖を担当したW子医師から90%以上の確率で事故死である旨の報告も受けていることを考えれば,D子の血液検査の結果が出ていない段階においても,D子の死因が病死や自然死でないことは明らかであり,被告人およびC医師はこれらの事実を認識していたのであるから,共謀して虚偽有印公文書作成,同行使罪にあたると認めるのが相当である。

考 察
 東京都立広尾病院刑事事件は,医師法第21条違反について,広尾病院長のみが被告人として有罪判決を受けている。医師法第21条は,「医師は死体を検案して・・・」となっており,この条文の名宛人すなわち対象者は,「死体を検案した医師」である。院長は死体の検案を行っていないが,共同正犯として起訴されたものである。A副参事も共同正犯で起訴されているが,事務方の副参事は無罪となっている。C主治医は罪状を認め,略式裁判で罰金刑となっている。院長は筋を通し,最高裁まで争った。今回の事故調活動の経緯で当時の広尾病院院長を調べてみた。当時都立病院の医療事故・医療安全を主導していた立派な方であったようである。東京大学整形外科同門会雑誌Foramen45号の手記にも当時,隠ぺいなどせずにいかに説明に努めたかが書かれている。いつか同院長の名誉回復がなされることを祈っている。
 さて,この医師法第21条についての東京地裁判決は,控訴審の東京高裁判決において破棄されるのであるが,地裁判決の要点を以下にまとめておきたい。
1.医師法第21条の検案について
 判旨中にあるように,経過の異状,死亡原因が不明であるとの判断をしていること,死因不明のために解剖の申し出をしていること等を死体検案をしたものとみなしている。
 また,診療中の入院患者であっても診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いのある異状が認められるときは,医師法第21条の届け出が必要であるとし,経過の異状を届け出対象としている。一方,外表異状にも一部言及している。
2.異状死体とは
 ①急変するような疾患等の心当たりが全くないこと。②薬物を間違えて注入したことによる急変ではないかと思っていたこと。③心臓マッサージ中に腕の色素沈着に気づいていたこと。④死亡原因が不明であると判断していること,の四つを異状の認識として挙げている。経過の異状に外表異状を合わせた考えと言えよう。

おわりに
 シリーズ第1回として,東京都立広尾病院事件の経緯を刑事の東京地裁判決を中心に記載し,東京地裁判決の内容を紹介した。この地裁判決の医師法第21条部分は,控訴審の東京高裁で破棄される。マスコミの報道も手伝って,広尾病院裁判は,医療側が1審の東京地裁で敗訴,控訴審の東京高裁,上告審の最高裁の全てで敗訴したと誤解されてきた。厚労省死亡診断書記入マニュアルの誤導も手伝って,「異状死」という言葉が独り歩きし,医療機関からの過剰な警察届け出が行われることとなる。しかし,広尾病院1審判決は,控訴審の東京高裁で破棄されている。東京高裁は,憲法との整合性を考え,医師法第21条を合憲限定解釈することにより答えを出した。すなわち,医師法第21条にいう「異状」とは,「外表異状」と判示することになる。この東京高裁判決は重要な判決であると考えられるので,次回は東京高裁判決を主に,医師法第21条を考えてみたい。




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