=== 新春随筆 ===

         〜 年男に思う 〜
          当院の整形外科医療のこれまでと将来
(昭和40年生)



西区・甲北支部
(整形外科米盛病院)
米盛 公治

はじめに
 「社会医療法人緑泉会 整形外科米盛病院」は「米盛整形外科医院」として1969年(昭和44年),草牟田(現まろにえ老人保健施設)に当法人会長の米盛 學が開院いたしました。私が4歳の時で,当時の伊敷の古い借家から毎日のように母に手をつながれて建設中の病院に歩いて通っていたのが昨日のことのようです。その後1982年(昭和57年),私が17歳の時に現在の場所に移転いたしました。奇しくも当時の父は現在の私と同じ年男。病院建設の心労で狭心症の発作を起こし,現鹿児島医療センターのICUに1週間入院し生死をさまよいました。その後奇跡的に回復し,橋口兼久先生・荒武郁朗先生等,歴代の副院長先生方のご尽力のもと,100床の整形外科単科専門病院として運営をして参りました。
 私が酒匂 崇名誉教授の整形外科教室で研鑽を積ませていただき,小宮節郎教授のお許しを得て大学医局を離れ,院長に就任したのは36歳。ちょうど父が鹿児島県医師会長としての責務を果たす機会を皆様からいただいた年でした。

院長就任からこれまで
 院長となった私は「めまぐるしい医療環境の変化にどのように対応し,患者と職員に喜ばれる病院づくりをすべきか」を考え実践して参りました。周囲からは「急性期医療に集中することは難しいのではないか?」とのご指摘も多数いただきましたが,もともと9月9日生まれの救急医志望であったこともあり,手術加療に重点を置いた病院づくりをして参りました。いわゆる二代目,跡継ぎということもあり,慢性疾患の手術加療分野を私の担当領域と認識。脊椎脊髄外科・関節外科をライフワークとしました。毎年のように老朽化した病院を改装し環境整備に努め,手狭となった病院の療養環境を改善するべく,近隣にまろにえリハビリテーションクリニックとして外来部門を分離しました。
 当院の特徴は,比較的遠方からの患者が多いことです。手術目的入院の患者構成をみると鹿児島市55%,鹿児島市外45%で,鹿児島市外の内訳は本土67%,離島26%,県外7%となっています。この患者構成は単科急性期病院ならではで,大学病院を除けば一般的にはこの様な患者構成にはなりにくいと思います。必然的に術後リハビリの充実が求められ,リハビリテーション病院吉村を運営。遠方からの外来患者とスポーツ整形外科対象の学生の通院利便性を鑑みて,中央駅前にクリニックをオープンしました。
 遠方患者の術後リハビリは原則,地元整形外科医療機関にお返しするため,回復期リハビリテーション病院吉村の当院術後患者入院比率は50%程度で,残りは近隣の医療機関からご紹介される脳血管系や整形術後などです。また中央駅クリニックでは,中央地区在住患者は近隣同門の先生方への逆紹介による診察・リハビリテーションをお願いしており,地域医療のバランスを壊さないよう配慮しています。

当法人の一つの方向性
(海外医療機関との学術交流について)

 上記の如く当院は比較的遠方からの患者受け入れの機会が多かったこともあり,患者対象を県外ばかりではなく広く海外にも求めていけるのではないかと数年前から考えていました。ちょうど少子高齢化が叫ばれだした時期で,政府の新成長戦略でも日本の医療技術の海外展開や国内への海外患者受け入れ促進が方針として打ち出された頃です。鹿児島県も例に違わず急速に少子高齢化が進んでいます。県庁所在地である鹿児島市ですら人口は減少。九州新幹線がつながったことによるストロー効果で,鹿児島県・市の活力は今後ますます低下することが予想されます。しかしながら,もし海外から患者を誘致して治療することが実現すれば,それは鹿児島の発展に貢献できる可能性があります。何故ならば,人間の交流こそがさまざまな知識・技術・文化の源であり,それなくしては何事も発展し得ないからです。ここまで発達した日本の医療は,十分に一つの地域活性化の手段となり得るのではないでしょうか。
 また我々整形外科医が手術に際して使用するインプラントは海外製品が主流です。日本の医療機器の研究や製造の活力を増すためには日本製品を海外に紹介し,その有用性を認めていただいた上で輸出を増やすことができれば一石二鳥となります。そのためには国内での医療行為(インバウンド)と海外での医療行為(アウトバウンド)を両立させる必要がありますが,まずは足がかりとなる海外の医療拠点が必要となります。さまざまな条件から,今後最も日本式の医療技術に対するニーズが存在するのは中国であろうと判断したのが3年前のことです。
 当初は連携先として,鹿児島と直行便のある上海の医療機関を念頭に置き,1年以上かけて中国の有力医療機関を北から南まで訪問しました。最終的には2011年(平成23年)8月に,北京の「中国リハビリテーション研究センター」と「日中友好外来開設協定」を結び外来診療を開始。その後現地での,日本製インプラントを使用した最小侵襲手術(MIS)による人工関節置換術(股関節・膝関節)の技術指導を毎月施行できるようになりました。その甲斐あって2012年(平成24年)7月には初の中国人患者が人工膝関節置換術目的に来院し,入院期間6日で無事帰国いたしました。
 その後月に一人程度の患者受け入れの予定でしたが,皆様ご承知のように尖閣諸島に端を発する政治的不安定が災いし国内への患者誘致は滞っており,1日も早い平和的解決を望んでいるところです。
 このいわゆるメディカルトラベルについては賛否両論あることも十二分に承知しています。「医療崩壊といわれる中で,海外からの患者を引き受けると肝心の国内の患者対応が疎かになる」と日本医師会は反対しています。ところが実際には地域の日本人患者が不利益を被るほど,多数の患者が海外から来院することは現実問題あり得ません。決して国内の患者を対象とした通常の医療がお留守になることはありませんし,間違っても営利目的の医療展開などではありません。
 「志」は前述のように,「鹿児島と日本の活性化を図ること」にあります。

当法人のもう一つの方向性
(救急医療体制の充実)

 私が元来救急医療に対して思い入れがあったのは前述の通りです。整形外科開業医の息子でなければ,間違いなく日本医科大学救命救急センターに入職していました。ですから大学で整形外科の基礎を学び,米盛病院で慢性疾患の治療を行ってきながらも,鹿児島の救急医療の現状をいつも気にしていました。
 民間の単科病院として貢献できる救急医療には自ずと限界があります。現在の救急医療体制は,鹿児島市立病院や鹿児島大学病院を中心とした地域の公的病院や医師会病院,そして民間総合病院に支えられています。しかしそれでも救急隊が患者受け入れ病院選定に30分以上要する比率は,鹿児島県では51%を占めており,決して救急患者の受け入れは早くはありません。いわゆる「たらい回し」という状況は,未だ確実に残っているのです。
 加えて交通網の発達もあり,重篤な多発外傷や集団事故・集団災害の頻度は増えています。当然救命救急センターでなければ骨盤骨折や出血性ショックなどの重傷例,頭部外傷や胸腹部外傷合併例にも対応できません。自ずと救急隊の選択できる病院は限られるため,多数傷病者が発生した際などは特定の医療機関のみに患者が集中してしまいます。重傷患者が集中することで最適・最善の医療行為を行うことは難しくなり,結果損害を被るのは患者になります。 
 私は現在の救急医療の状況を見て,外傷に重点を置いた救急センターは鹿児島に必要であると思います。地域の先生方に日常の地域医療を守っていただくためにも,その限られた医療資源を疲弊・枯渇させてはなりません。この救急医療分野を充実させることは,地域医療のバランスを保つためにこそ必要不可欠だと考えています。

写真 1 多重衝突事故による多数傷病者発生事例


写真 2 工場での右大腿以下デグロービングによる
出血性ショック事例

 鹿児島県で鹿児島市立病院を基幹病院としたドクターヘリ運行が始まったことはPTD(Preventable Trauma Death:防ぎ得る外傷死)を減少させることに大変有用です。実際三次医療機関でなければ助けられない外傷患者や重症患者が確実にその恩恵を受けています。しかしながらドクターヘリも万能ではありません。有視界飛行に限定されるため日没後や悪天候では出動できませんし,何より出動依頼が重複する場合があります。そのため当院ではドクターヘリを補完する意味で,ドクターとナースが同乗して救急現場に駆けつけ,現地での医療活動を行うドクターカーの運行を,昨年7月より鹿児島市周辺地域にて開始しました。遅ればせながら私も一から救急医としてのトレーニングと研鑽を積み,自ら救急現場に赴き現場での救命活動に当たっています。CPA(心肺停止)症例も多々あり,現場にて気管内挿管・血管確保・エピネフリン投与・胸腔ドレーン挿入・止血操作にて心拍・自発呼吸再開となった事例もあります(写真1・2)。
 ここで鹿児島市医師会に一つお願いがございます。鹿児島市(鹿児島市消防局)はトッピー事故を契機として「救急業務の協力に関する協定書」を2006年(平成18年)12月26日に鹿児島市医師会と独占提携しております。このため鹿児島市医師会から鹿児島市内での当院のドクターカー活動承認をいただけないため,鹿児島市消防局は当院ドクターカーを要請できない状態にあります。しかしながら鹿児島市はドクターヘリ要請件数が県内で最も多い地域で,周辺の地方都市よりも圧倒的に救急要請の必要性は高いと考えています。事実救急現場からはドクターカーに対する期待と要請希望は大変多く,現時点で霧島市消防局・姶良市消防本部・さつま町消防本部・日置市消防本部・南薩地区消防本部・薩摩川内市消防局の6消防本部からの要請に応えています。引き続き鹿児島市医師会救急担当理事・執行部ならびに会員の皆様には当院の救急活動にご理解を賜り,一人でも多くの重症患者を救うべく鹿児島市内でのドクターカー活動をご承認いただきたいと考えております。

当院の将来像
 2014年(平成26年),当院が現在の草牟田から与次郎へ移転することに関して,皆様に改めてご説明の上,ご理解を賜りたいと思っています。
 米盛病院本院も築30年を超え,改装では補えない老朽化による医療環境の劣化が認められています。当初近隣地区への移転を考慮していましたが,適切な移転候補地が見つからず苦慮していた折,与次郎が候補地の一つとして推挙されました。鹿児島市都市計画法の改正により,病院運営が可能な地区となったためです。当初当院の移転地としては現実性のない場所だったのですが,県外資本の総合病院がその地に進出計画を立てたことで状況は大きく変化しました。何故ならその病院が進出してくると,市内のみならず県内の大病院や診療所まで大きな影響を受けることは明らかだったからです。地域の医療機関のバランスを保つためには,「鹿児島の医療情勢をよく知り,地域医療のバランスを考える当法人が移転した方がよい」と移転を英断した事情があります。
 新病院では,整形外科米盛病院とリハビリテーション病院吉村を統合。新たに救急科の標榜をさせていただき,外傷センターとして新たな機能を設けたいと考えています。それによって当法人の方向性を実現しながら患者に喜ばれ,地域の先生方のお役にも立てるような病院運営をして参る所存です。近隣のみならず遠方の医療機関様とも密接に連携を図らせていただきながら,微力ながら鹿児島に貢献したいと考えております。

 以上,年男の新春随筆として当法人の過去・現在・未来についてお話させていただきました。地域医療の充実に,これまで以上に精進して参る所存でございます。どうぞ皆様に当法人の活動をご理解賜り,倍旧のご支援ならびにご指導・ご鞭撻をいただけますよう,今後ともよろしくお願い申し上げます。




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